コロナ禍における、今後
最近「一般人」が、色んな分野を自力で調べて詳しくなっているなと…
そういう努力をしなくても受けられていた恩恵を、根こそぎ取られて、いちから獲得しようとしている。
本当は一部分は国からの補助も必要なんですが。
今はそうも言ってられなくて。
今の状況を変える為に一番きくのは選挙へ行く、なんですが、まず目先のことを乗り切って獲得していかなきゃ、
今までそこにあった大切なお店や環境がなくなる、という事態に来ています。
不安ではなく危機感を持っていきたいですね。
医療的にも政治的にも経済的にも(どれが先になるかわからないけど)早く収束するのを祈るばかりです。
無力感を感じ、夜が眠れなくなり、
自分は今健康だし、在宅で仕事もできている、今までの日常はなくなってしまったけど
不満・不安を抱えるべきじゃないとどこかで思っていました。
でも、この状況に立たされているのは、(恐らく)私だけじゃなくて。
それは「私だけじゃないんだから我慢しなきゃ」という同調圧力?のようなものにも押しつぶされそうだし、
同時に「同じようにへこんでいる人がいる、へこむのは悪い事ではない」という共感・共鳴だったりもします。
感情的になりすぎるのは、何かの行動や判断を鈍らせる効果があるから、その意味で距離を置かなければいけないものです。
でも同時に、感情がなければ人間は人間たりえなくて。
そんな基本的なことをまざまざと見せつけられているのが、今だったりします。
八方ふさがりで、そんな中、今ある持ち駒でどこまでできるかを試されているし、
与えられた条件で何ができるか捻り出して考えるしかない。
今まで無関心でいても問題なかった周りの環境や感情や…
様々なものの上に自分の日常は成り立っていたんだと痛感します。
私たちはそれらを「再獲得」していかなきゃならない。
オンラインは今後ますます発展するだろうと思います。
その中での差別化が図られるだろう。
利便性ももっと良くなるし、ユーザーフレンドリーなツール/提供者が望まれる…
その中で自分なりの付加価値をどうやって付けられるのか?
マニュアルで獲得してきた信頼や経験をオンラインでどうやって獲得していくのか?
私自身はもっと「発信する」ことにしました。
自分の考えやコンセプトを伝えるのはエゴだと思っていたし、今でもそう思っていることがあります。
実際に手に取って感じてもらったことが全てだし、そうやって自由にその人自身のスタイルに取り入れてもらいたい。
けれど、展示をやらせてもらって、自分のコンセプトなんかを再確認して、
少しずつ、少しずつ、自分が質問されたり感想を頂いた中で湧いてきた気持ちを咀嚼して発信したいと思うようになった瞬間がありました。
展示で書いていたのは、
「たくさんの景色を自分に見せてあげられる人、
心のザラつきがいずれ自らの血肉になっていく人
そんなライフスタイルを送る人をイメージして制作しております」
これが、私からの、手に取ってくださる方へのメッセージです。