唯一無二
引越しの準備を淡々としている
淡々としているつもりなんだけど
私はもともとそんなに物に執着がなくて
少ない方だと思うのだけど
やっぱりどんどん増えていくよね
断捨離も含めて
人に譲ったり
売ったり
しているんだけど
以前の私と違って
執着ってほどではないんだけど
愛着?
ダンボールに梱包していく手が
自然と止まってしまう時間が以前より増えて
なかなか作業が進まない
以前の私は
私自身、自分を好きではなかったから
物も含めて
昔の写真とか
手紙とか
バンバン捨てていた
実は
卒業アルバムも一冊も手元にない
そして小中高学校の卒業証書もない
捨てました
(流石に捨てる時はちょっと考えたけど)
この変化はハワイ留学後からだと思うんだけど
ヒーリングスクール卒業後にはさらに変わったと思う。
自分の恥ずかしい過去
汚点と感じていたものが
オセロがひっくり返るみたいに
愛おしいものに変わっていった感じ?
または
ハワイで過ごした時間は
本当に楽しくて愛おしくて
一生懸命で
自分を全身全霊かけていた時間だったから
色褪せたくない
というか
思い入れが強い
(これは執着もかなり入っている)
授業で使ったノートとか教科書とか
大切にとってある
よく
ものが捨てられない
っていう人を見て
あまり共感が持てなかったけど
今、
以前の私と違って
少しそうゆう方の気持ちもわかるようになった
写真とかも
懐かしんでみられるようになった
自分自身が好きではなかった時の
そんな時代の写真でも
頑張ってたね。。。って。
思えるようになった。
この変化
人によっては
最初からそんな歪んだところがあまりなくて
いつの時代も懐かしんでみられる方もいると思うし
早くから
自分のやりたいことに真っ直ぐに突き進める人もいる
実際そうゆう方に出会うと
わあ、
すごいなあ
って思う。
今はね
昔は
悔しさみたいなものの方が
大きくて
自分を卑下したり
相手を嫉妬していたりしていたと思う。
今だって全くそうゆう気持ちがなくなったわけではない。
だけどやっぱり
自分のペースでしか
生きられないと思うと
諦めがつく
(諦めって本当に良いものだ)
私の成長は本当にゆっくり
昔はそれをとても恥じて
自分を責めたり
生きている価値なんてあるのかなあ
なんて思っていたけど
この世の人たちは
みんなユニークな存在で
私はそうゆう人生だったんだなってだけのこと。
大したことでなく
そして
大したことである。
唯一無二な存在。
気づくのが人より遅いってやつ
そしていろんなことに気づかずに
死んでいくのだろう。
すごいことだね。
だから、
みんな
一つの表れであるとするならば
それぞれの役割を
表現してくれていているだけのことで
みんな
その役目を引き受けてくれているってことだ。
そうやって一つの世界は
いろんなことを
表現している
今日は
自分を正当化している話と
受け止められてしまうかもしれないけど
そういったことではなく
みんなそれぞれに
ユニークで
尊く
唯一無二な存在なんだなってことを
感じているのであります。
そして
梱包をすすめなくては!
引越しの準備をするのだ!
読んでくれて
ありがとうございます