病気と私 25 新薬
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よろしくお願いします。
----- 1982年6月 -----
あるはずのものがなかった。
絶対になくてはならないものがなかった。
そして居るはずのない兄が病院に来た。
兄は、私に帰れと言った後、目的の場所に向かって途中まで車を走らせていたのだが、どうにも何か気になって、途中から引き返して自宅へ戻ったのだそうだ。
そして、家に帰りつくなり病院から連絡が入り、すぐに母をのせて来たということだった。
病院に到着した兄は、医師から耳を疑うようなことを言われた。
「実は、薬はまた発注していない。バイヤーに依頼もしていないため郡山にも在庫はない」
「4月に頼んで、もう6月だ、発注していないとはどういうことだ!」
しかし、怒っても騒いでも、ないものはなかったし、手に入れる方法もなかった。
兄はこう言った。
「救急車では絶対に間に合わない。俺が仙台の病院まで送っていく」
病院に行くまでの間、母が何度も、ゆっくり走れ、事故でもおこしたらみんな死んでしまうと、そう言っていたことを覚えている。
車のキンコンキコンと言う音が、ずっとなり続けていた。
その後の記憶は全くない。
以下は全て母から聞いたことになる。
夕方には西多賀病院に到着し、すぐに処置室に運ばれて8因子製剤を使った。
凝固検査をしながら様子を見たが、一時的に凝固時間は短縮したものの、実際の出血はまったく止まらず、すぐに検査の数値でも薬の効果がなくなったことが分かった。
兄と母は主治医に呼ばれて、説明を受けた。
「製剤を使いましたが全く効果がありません。このままでは、助けようがありません。現在大学病院に、8因子製剤に抗体がある患者にも使える開発されたばかりの新薬が”治験薬”として届いています。
しかし、大学でも一度も使用したことがないし、”治験薬”なので副作用が出ることを覚悟しなければなりません。使っても助からないかもしれません。使うことで、別な生死にかかわる状態になるかもしれません。承認してもらわないと使えない薬ですがどうしますか」
製剤にはリスクがあり、薬を使ったことで死亡するかもしれない。、
しかし、使わなければまず助からない。
母は兄に任せると言った。
兄は、期待もできない薬の使用承認用の書類に一抹の希望を持ってサインするしかなかった。
兄は「俺が家に帰りつくまで生きてないだろうな」
そう言って、製剤を使用する時を待たずして、福島に帰って行った。
血液内科の医師が大学病院から治験薬を直接運んできた。
何人もの医師が一緒に来ていて、私の顔の写真を何枚も撮っていたそうだ。
母は一人だけで病院に残り、命が尽きようとしている息子の顔の写真を、パシャパシャと平気で撮っている医師に何を感じただろうか。
幼少の頃、「しぶとい」と言った医師のことを思い出してはいなかっただろうか。
私はそんなことを思いながら、母の話を聞いていた。
※この時に使用した製剤は、ファイバという薬だった。
ファイバは、現在でも生産されているが、名前は同じでも当時の薬とは品質がだいぶ違うものになっている。血液製剤のため、現在ではほとんど使用されておらず、使用に際しては常にリスクと効果を慎重に検討した上での使用を求められている。
薬の使用に際して、「血液凝固第8因子インヒビターのない患者には使用できない」との注意があり、この時の私は、抗体のない状態で第8因子製剤を使用し、それでも凝固作用がなくなったことから、おそらくは抗体がすぐに上がっているだろうという難しい状態であったことが想像できる。
治験薬を投与後、採血と検査を繰り返し、凝固の状態を監視し続けた。
大学病院から来た医師たちも、血液検査のデータを確認しながら様子を見守り、難しい話を色々としていた。
そして、1時間ぐらいで出血は止まり始めた。
母は主治医から声をかけられた。
「薬が効いているようで、出血が止まり始めています。
なんとか、このまま順調にいけば大丈夫だと思います」
話を聞いた母は、兄にことのことを伝えたくてすぐに家に電話をかけた。
家に帰りついて寝ていたはずの兄がすぐに電話にでて、母が何も言わないうちに
「ダメだったか」と言った。
母が「持ちこたえそうだ」と言うと
「そうか、良かった」「良かった」と言っていた。
それからどれぐらい自分の意識がなかったのか全く分からない。
左目の上と、左の唇がざっくりと開いていたので、そこは縫合されていた。
顔が腫れあがりすぎていて、しばらくは自分の状態がまったく想像できなかった。
夜も昼も全く分からなくて、顔や体のあちこちが酷く痛かったため、眠れることだけが救いだった。
だいぶ良くなってきて、顔の包帯が取れたとき、自分の顔を鏡で見せられて驚いた。
顔面全体が紫色に腫れていて、縫合された左目の上は特に腫れが酷く、唇も縫合されていてむくれていて変な形になっていた。到底自分の顔とは思えなかった。
少しして、私は左目が見えていないことに気づいた。
うっすらとしか開かなかったので、見えない理由は腫れているせいもあると思っていたが、「見えてないみたいです」と話すと、主治医がペンライトを持ってきて、光を当てたりしていたが、心配そうに「うーん」というと、ともかく今は、目が開かない状態なので、きちんと止血をして回復を待って、その後で、眼科にみてもらうことにしようということになった。
母はすごく心配そうに話を聞いていた。
そして日に何度か私の顔の前で手を振って、まだ見えないか?まだ見えないか?と何度も言っていた。
私は、ともかく生きていられたことを喜ぶべきだと、そう思っていた。
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