一指 李承憲の地球市民スピリット・悟り
https://www.ilchinet.jp/archives/category/%e6%82%9f%e3%82%8a 【悟り】より
投稿日:2017年4月18日
「成功」でなく「完成」を求める世界へ
環境汚染や地域紛争など、地球上の問題の根底には、人間の「競争心」があります。地球と共存するよりも、他者との競争に勝つことを重視するあまり、さまざまな弊害が生まれています。
人を競争へとかりたてるのは「成功」への渇望です。成功を追い求めると、どうしても競争状態になります。自分が負けると取り分が少なくなるので、より多くを手に入れるためにトラブルが絶えません。
私は「成功」に集中する心を「完成」に移すことができれば、地球は大きく変わると考えています。完成は、成功よりも遥かに大きく高い価値です。成功を追い求めると、自然も、一人ひとりの心身も、人間同士の調和やバランスも、すべて崩れてしまいます。完成という価値を導入すれば、すべての問題が簡単に解決します。
成功を追い求める人生では、世間が望む基準通りの肩書やスキルを備えることが優先されますが、完成を求める人生では自分が追求する哲学と価値が基準になります。成功の追求は利己心や競争心を煽り立てますが、完成のための取り組みは共存と和合をもたらします。
人が成功ばかり追い求めるのは、幼虫が桑の葉をずっと食べ続けて蝶になれずにお腹が破裂して死ぬのと同じです。蝶になるためには、幼虫の頃から蝶になれると確信して桑の葉を食べ、ある時、桑の葉を食べるのを止めて繭を作り、蝶になるという過程を経なければなりません。
人間も「もっと、もっと」と言いながら息を吸い込むばかりだと、結局は皆が破滅します。これからは吸い込んだ息をしばし止めて、ゆっくり吐き出す練習をしていきましょう。
投稿日:2016年11月30日
日常生活の中の悟り
脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は「悟りは選択である」と言います。この言葉には、悟りが厳しい修行の末に獲得するような特別なものではなく、ふだんの日常生活の中で訓練を重ねて到達できる現実的なゴールだという意味が込められています。
霊的な修練を積むために、あるいは瞑想をするために深い山のなかに入る必要ありません。確かに、ヨガ修行者や僧侶、または少数の平凡な人々のなかには禁欲的生活と苦行を積んで、最後に悟りに至ることもありますが、多くの現代人はこうした生活ができるわけではありません。
李承憲氏によると、大事なことは日常の中でも実践できる魂の鍛錬を通して、人生の究極的な問いに対する答えを探すことです。脳教育は、すべての人が悟りに至れるようにするための方法です。人類が最高の知識を得て、至高の文明を築いたとしても、大脳皮質の領域だけでは完成できません。理性と論理だけでは限界があるのです。脳幹の力を強化させることが唯一のカギであり、解決方法なのです。
李承憲氏は「人間の魂に完全なる変化をもたらす道は、悟りが大衆化し、常識になる道しかない」と言います。わずか数人が悟りに至ったとしても、社会全体が悟らなければこの世の中は変わりません。真の愛を回復した個人が集まり、悟りの文化が世界を変えるくらいの力を形成した時にこそ、人類はまばゆいほどの意識の進化を遂げるのです。
投稿日:2016年1月9日
「世の中に悟ることは何もない」と分かること
悟りとは何か?――
脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は、悟りとは「『真我』を探すこと」だと言います。
真我とは「本当の私」です。李承憲氏によると、真我は、あらゆる人々の内面にあり、本質的に美しいものです。繭を抜け出して美しい蝶が生まれ出るようなものだといいます。
真我に出会うことは、絶対的な幸せの条件です。真我に出会うことによって得られる幸せは、「ちっぽけな自分の欲望や欲求にしばられることのない、私たちの深いところから湧き出る幸せ」(李承憲氏)です。
私たちの幸せは、森羅万象を網羅して人間が「一つ」だということを本当に知ったときに訪れます。この幸せは「絶対的」なものであり、財産の多さや、人より有名であるというような「相対的」なものではありません。
悟りを得て真我と出会うには、「選択」が必要です。自分自身をとりまくあらゆる生命体に、喜びと益をもたらす生き方を「選択」すること。それが、悟りです。
李承憲氏は自らの経験から、こうした悟りの本質に気づいたといいます。「一時誰にも劣らないほどの辛い修練をして、つまり苦行を通して悟りに至ろうとしたことがある。しかし、それは私が悟ることの本質を知らなかったときのことだ」(李承憲著『悟りの哲学』)と言います。
李承憲氏が得た真の悟りとは、「『世の中に悟ることは何もない』と分かったこと」であり、「私はすでにいつも悟りのなかにいた」と気づいたことです。
ありのままの自分を受け入れること。それが「至上の悟り」なのです。
投稿日:2015年12月26日
すべては「小さな選択」から始まる
脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は「悟ってから何がどのように変わりましたか?」とよく聞かれるそうです。これに対して、李承憲氏は、悟りによって何かが急に大きく変わるのではないといいます。「悟りは選択です。どのように生きるのかを選択できる力が自分の中にあるという事実を認めることです」というのが、李承憲氏の答えです。
李承憲氏が悟って一番にしたのは、普段より早起きしたことです。朝早く公園に行き、出会った人々に体操を教えました。最初の生徒は脳梗塞の後遺症で身動きが不自由な人でしたが、その出会いが大きくなって、脳教育が世界に広まりました。
普段より少し早起きして何か世間に役立つようなことをするのは、とても小さな選択だし誰でもできることです。しかし、その小さな選択が李承憲氏の人生を変え、100万人以上の人々が脳教育を経験することになったのです。
多くの人びとが社会を憂い、地球を心配します。それよりはるかに多くの人々が自分の人生と社会への不満をこぼします。環境汚染のような地球規模の問題から経済的な不安や失業、教育破綻などの社会的な問題に至るまで多くのテーマが語られます。
しかし、たいていは「何かが間違っているけれど、社会全体の問題だから私が個人的にできることはない」という結論で終わります。
そしてとても自然に日常的・習慣的な自らの人生に戻ります。個人が担うには大きすぎる問題だということを口実に自分ができる「小さな選択」さえも無視してしまうのです。
でも、実際は、その小さな選択が集まって社会をヒーリングし、地球をヒーリングする「奇跡のようなこと」を作り出せます。すべては「私」の小さな選択から始まるのです。
投稿日:2015年11月6日
道人への道とは
脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は、いろいろな人たちに「どうすれば悟れますか?」聞かれるといいます。これについて、李承憲氏はこう答えます。「悟りには方法がありません。悟る道というものはないからです」
李承憲氏によると、そもそも私たち自身と悟りの間には、距離がありません。悟りのもたらす「明るい知恵」は、「私たち自身の本来の姿」だからです。つまり、わざわざ探す必要はないのです。
悟りは、近すぎて見えないのです。水の中で泳いでいる魚が、水が水であると分からないのと同じで、私たちにとって悟りは、誰にとってもすでに与えられているものだから、見えにくくなっているのです。
李承憲氏は、そんな悟りの核心を心得て、悟りを実践している人のことを「道人」と呼びます。道人は、正直な人です。自分の中にある完全な知を自分の実体と認めて受け入れる人だからです。
何が正しいのか、どんな風に生きるべきかは、誰もが分かっているのですが、多くの人は責任を負うのがイヤで、その完全な知を自分の実体と認めることを先延ばしにしています。でも、道人はそれを受け入れています。
自分の知を認めず、知を認めてもあがいて何が正しいのかを見ようとはせず、何が正しいのか分かっても正しいことよりラクなことを選ぶ――。それは、現代人が陥りがちなワナです。
まずは「受け入れる」ことが大事です。自分の完全な知を認め、その知をもとに何が正しいのか判断し、自分が正しいと判断したことを選択する。そして、その選択に責任を持つ。それが、道人への道です。
投稿日:2015年8月31日
悟りから生まれる「地球人」としての自覚
悟りとは何でしょうか?脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は、悟りとは「私たちの中にもとより存在しているものを発見することだ」と言います。
私たちはみんな、氏名や職業、性別、国籍、民族など様々な属性を備えています。しかし、これらは、「体に覆いかぶさっている情報に過ぎない」(李承憲氏)のであり、「私」そのものではありません。私とは魂であり、その真の姿を自分だと認めることが、李承憲氏の言う「悟り」です。
李承憲氏によれば、体・名前・人格という情報が自分ではないと分かるようになると、もうそのような情報に支配されることはなくなります。自らが主体となって情報を選択し、責任を果たそうという意識が生まれます。「自分に選択権が与えられているという事実が分かるので、自分の人生、自分の属する社会、後に地球で暮らすことになる子孫に対してまでも責任を負おうとする心を持つようになる」(李承憲氏)のです。
悟りを得た人は、固定観念から解き放たれ、自由になった目で世界を眺め、「今の世に何が必要かを判断・選択し、その必要に応じて世のためになることをするようになる」といいます。李承憲氏はそのような人のことを「天地人」と呼びます。天地人とは、自分の中で律呂を回復し、天と地と人の調和を回復した人であり、同時に「地球人」でもあります。
全人類が地球人としてのアイデンティティを持つようになれば、理念の違いは思考の多様性として受け入れることができ、宗教の違いは個人的な志向の違いに過ぎなくなります。また、民族間の文化の違いは葛藤の要因ではなく、むしろ文化的な多様さと豊かさ、包容力の源となるのです。
投稿日:2014年11月22日
悟りを導く脳の再編と統合
脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は、世界各地の人たちから悟りについて尋ねられます。「悟りとは何?」「悟るにはどうすればいいのか?」といった質問に対して、李承憲氏は逆にこう尋ねるといいます。「何のために悟ろうとされているのですか?」
李承憲氏によると、「何のためか?」という質問に答えられてこそ、悟りについて語り合う意味があります。何かを買うにもそれが自分に必要なのかをまず判断しなければならないのと同じです。「物欲や支配欲、名誉欲などのエゴを満たしたいのであれば、悟りは何の役にも立たない」と李承憲氏は言います。
悟りの目的は、ずばり、世界をより健康・幸せ・平和にすることです。健康・幸せ・平和を叶えようという願いは、すべての人の脳に基本的に入力されています。だから、誰でも悟ることができます。
李承憲氏も、悟るために死の危険を冒して修行をした時期がありました。そんな修行中のある日、とても強い覚醒状態で多次元の世界を経験したといいます。距離、速度、大きさの概念のあてはまらない新たな次元が限りなく寄せる波のように押し寄せてきて、脳が統合され、脳に感覚的、物理的な変化が起こったのです。悟りの体験です。
悟りを導く脳の「再編」の動きは、一つの問いかけから始まると李承憲氏は言います。その問いかけは、「私は誰なのか?」です。この問いかけこそが、脳を動かします。大事なことは、問いかけるのを止めないことです。そうすれば脳は否応なく方法を探し続け、最終的に統合する方法を自ら選択するようになります。
投稿日:2014年8月9日
「調和と愛」こそが、真の欲求だ
一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は、人間を突き動かす行動原理として、3つの欲求をあげています。それは、「安定・安心を求める欲求」「人に認めてもらいたいという欲求」「他の人を思ったように動かしたいという欲求」です。多くの人の行動の大半は、この3つの欲求を満たすために行われていることが多いといいます。
しかし、実はこの3つの欲求よりも人間的な欲求があると、李承憲氏は言います。それは、「調和と愛に根をおろし、あらゆるものと一つにつながりたい」という欲求です。李承憲氏著『悟りの哲学』によると、その欲求は、私たちを一番人間らしく、また「神聖な存在」に導いてくれるものです。そもそも、私たちがこの世に生命を受けた理由は、この欲求を実現するためだと李承憲氏は言います。
「あらゆるものと一つになりたい」という欲求は、魂の深いところから湧き出ており、本能よりももっと深いところに隠されています。あらゆるものから解放され、ただ愛されているという感覚が、どれほど素晴らしいか考えたことがありますか。もしあるのなら、それは私たちの魂が、私たちには何が大事なのかを気づかせるために送ってくる合図です。私たちの人生には、熾烈な競争をして生き残るために争うことより、もっと素晴らしく美しいことがあるのです。
李承憲氏は、調和と愛の尊さに気づき、目覚めることは、すなわち「悟り」だといいます。そして、悟ることだけがこの魂の欲求を満足させる道なのです。
投稿日:2014年8月3日
「人間愛・地球愛」こそが、ビジョンの基盤
脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏の脳教育では、「ビジョン」の大切さが強調されています。ビジョンとは「私たちの意識を覚醒させる灯」です。「ビジョンを設け、そのビジョンを実践することによって私たちの内部に気づきの光、生命の光が輝きだします」(李承憲氏の著書『セドナの夢』)
李承憲氏によると、ビジョンの中でも最高のものが、「人間愛・地球愛」です。それは悟った人が持ちうる唯一のビジョンです。どんな職業に就き、どんな立場から、どんな言葉で自分のビジョンを表現しようとも、「人間愛・地球愛」こそが、すべてに勝るのです。
人間愛・地球愛をビジョンとして掲げることは、困難をともなうこともあります。だから、人は気づきを避けようとします。怠惰や利己心で自分の気づきに蓋をしようとするのです。もともと悟りは自分の中にありますが、それを用いるか、そうでないかの違いでしかありません。
ビジョンを放棄すると、悲しみ、寂しさ、恐れ、怒り、憂欝さなどの感情が私たちの魂を侵すようになります。感情は、覚醒した人にも覚醒できていない人にも、同じように現れます。
重要なのは、感情をコントロールできるか、できないかです。車を運転する際、障害物は必ずありますが、その障害物をうまく避けて運転すれば、何の問題もありません。障害物がないことを願うのは間違っています。
悟りを得た瞬間、高速道路のように気持ちのいい道が続いて自分の前を走る車が1台もないことを望みますか? それは幻想にすぎません。感情を上手にコントロールできれば、感情に振り回されない創造的な日々を送ることができます。進んで自分の中に気づきのあることを認め、その気づきを使うことが大事なのです。
投稿日:2014年7月26日
悟りとは、心の扉が開かれていること
一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は著書『セドナの夢』で、悟りとは簡単に言えば「開かれていること」だと説明しています。
「心の扉を開いてほかの人びとと相通じれば、それが悟りだ」と李承憲氏。心の扉は、だれでも、いつでも開けることができるようになっており、扉を開ければ、光が差しこんできて、内側と外側が相通じるようになります。
心の扉を閉じてしまうと、「自分」と「他人」が分かれてしまい、怨みを他人のせいにし、自分自身のことを正確に捉えられなくなると、李承憲氏は言います。しかし、扉が開かれていれば、問題の原因を、まずは自分の中から探しはじめます。
心の扉が開かれれば、対話と妥協によって問題を解決していけます。開かれれば、自分も相手も他人ではなく一つになるからです。一つになった状態では、相手に苦痛を与えると自分も苦痛を感じるので、人をむやみに傷つけたりすることができません。
悟った人とは特別な人ではありません。開かれている人なのです。
投稿日:2012年6月2日
脳トレーニングが目指す「完成」とは~李承憲氏
脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は、世界各地で脳トレーニングを指導するにあたって、「実践」の大切さを説いています。一つ一つの行動を選択し、自らの責任を最後まで果たすこと。それが、人間として完成された姿だといいます。
スピリチュアルな成長を追い求めてトレーニングに励む人たちの多くが、その目的は悟りにあると考えています。しかし、李承憲氏の著書『息する平和学』によると、悟りは出発点であって目的地ではありません。
李承憲氏によると、悟りとは、すでに自分自身が持っているものを持っていると認めることです。自分の真の姿をそのまま受け入れることです。だから、悟り自体は、到達すべきゴールではないのです。
大切なのは、悟りの後です。自分の真の姿を知っているだけではなく、真の自分を実践することが重要だと、李承憲氏は言います。「分かっている」のと、「行動する」のは別次元。自分の中に見つけた真実を受け入れ、その真実に忠実に生きることを選択する。そのうえで、その選択に対して最後まで責任を全うする。それが、私たちの完成であり、脳トレーニングが目指す姿です。
ところが、多くの人は、責任を負うことを重荷と感じてしまいます。真実に目をつぶり、気づかないふりをするのです。
自分の中に良心があることを正直に認めましょう。その良心に基づいて誠実に行動しましょう。李承憲氏は、そう呼びかけています。脳トレーニングでは、神秘的な知識や修行は必要ありません。必要なのは、正直さと責任感なのです。
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投稿日:2012年5月26日
李承憲氏「脳教育から始まる地球の変革」~月刊誌『ほんとうの時代 Life+』インタビュー(下)
月刊誌「ほんとうの時代 Life+(ライフプラス)」(PHP研究所)による脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏のインタビューの要旨。その後半をお届けします。
☆ ☆ ☆
脳教育は、子どもだけでなく、あらゆる世代に役立ちます。たとえば、人生に空しさを感じるという中高年の方には、呼吸法を薦めています。
脳は大量の酸素を消費する器官です。呼吸によって酸素を取り入れることが、脳を機能させるうえで欠かせません。しかし、現代社会のさまざまなストレスは、人々の呼吸を浅く、短いものにします。その結果、知らぬ間に脳が酸欠状態になりがちです。
ストレスで苦しくなったら、息を大きく吸い、ゆっくりと吐いてみて下さい。深い呼吸を数回繰り返せば、心がリラックスすることに気づくはずです。
呼吸法は、脳教育の第一歩です。呼吸を変えるだけで、脳に酸素が満たされ、脳が本来持っている力を引き出すことができます。
このように脳教育とは、とてもシンプルで楽しいものです。脳教育の呼吸法や瞑想を実践していけば、私たちは穏やかで澄んだ心を持つことができます。
心が穏やかになり、感情や煩悩、雑念が消えた状態を宗教家は「悟り」と呼びます。しかし、私は、脳教育によって脳に活力を取り戻せば、宗教に頼らなくても、悟りを開くことができると考えています。
今日、世界は多くの課題に直面しています。地球環境問題はもちろん、一握りの金融エリートに支配された経済システムも、改革が必要です。
脳教育の普及は、こうした課題の解決に向けて大きな意味を持つと私は信じています。新しい時代は、リーダーによってではなく、私たち一人ひとりの意識の変革によって実現されるはずです。それが「呼吸」という最初の一歩から始まるのです。
※李承憲氏のインタビュー全文は、5月18日発行『PHPほんとうの時代 Life+(ライフプラス)』に掲載されています。
投稿日:2012年5月12日
脳教育で「無理押し」にサヨナラ~李承憲氏
私たちが遠い存在だと思っている悟り。その悟りをみんなが共有する時代になったら、世界はどう変わるでしょうか。世界的な脳教育者、一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は、著書『息する平和学』の中で、悟りが「常識」になったときの世界について、語っています。
李承憲氏は、今の世の中は「無理押し」が横行しているといいます。無理押しとは、物事を強引におし進めることですが、李承憲氏によると、「正しくないことを、正しいことであるかのように見せる」という無理押しが、現代社会ではまかり通っているのです。
脳教育が普及し、悟りが常識になった社会では、こうした無理押しは駆逐されるといいます。
李承憲氏によると、悟りとは「観念」でなく、「真理」を通じて世の中を見ることです。それでは、その「真理」とは何でしょうか。李承憲氏によると、真理とは偽りではないことであり、「1本の指をそのまま指1本として見る」というような正常な感覚です。
真理に基づく社会では、どのように生きるのが正しい生き方なのか、すべての人が分かるようになります。その結果、人間が本来持っている「調和の心」が回復され、社会が平和になるのです。そして、宗教的、政治的な観念に捕われ、事実をありのまま見ることができない人は、原始人のように扱われます。利己心や個人主義を離れることができない人も、相手にされなくなるといいます。
李承憲氏は真理に基づいた社会のことを「真の光明世界」と呼んでいます。光明世界の実現に向けて、観念を捨て、自分の中にある真理を見つける。それが、脳教育の大きな目的の一つなのです。
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投稿日:2012年4月12日
「脳教育」が悟りへと導く~李承憲氏
李承憲氏は、著書『息する平和学』で、脳教育の大きなテーマである「悟り」について、こう語っています。「悟りは名誉や勲章ではない。悟りそのものが目的でもない。悟りとは自分が今なぜここに存在しているのかを知ることであり、自分に与えられたレースを走るためにスタートラインに立つことだ」
李承憲氏は、悟りの究極の目的は、「自分の中の平和の実現」と「調和の原理の回復」にあると指摘しています。
自分とは誰なのか?
自分の人生の目的は何なのか?
これらの答えは悟りの中に存在しています。悟りを得ることによって、新しいアイデンティティと人生の目的を持ち、何をすべきなのかを明確に知ることができます。
では、どうすれば悟りを得られるのでしょうか?
わたしたちは本来、悟りを得るための条件を備えています。その条件とは、間違いがあればそれに気付き、バランスが崩れた時にはそれとわかる「良心(明るい心)」です。良心は、社会的な規範や倫理から離れて存在しています。
まず、自分の中の良心に気付くこと。そのうえで、自分の脳と対話することによって、悟りを獲得する道が開きます。
魂の感覚器官は胸にあり、魂は脳にあります。脳を通じて贈られる魂のメッセージを、「真実なのか?」と、胸の感覚で自分に問いかけてみましょう。自分の良心に基づいて選択する勇気を持つことが大切です。
李承憲氏が提唱する脳教育は、脳活性によって脳を感じ、愛し、対話します。より簡単に魂のメッセージを聞き、悟りを得るためのアプローチ法なのです。
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投稿日:2012年3月25日
李承憲氏が本で語る「悟りとは」
悟りとは何か――。
なぜ人は悟りを得ようとするのか――。
一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)氏は、呼吸と平和についての本『息する平和学』の中で、「悟り」についてのわたしたちの疑問にこたえています。
李承憲氏によると、悟りは、自然災害や戦争、飢饉に苦しめられた時代ほど、人々の関心を集めてきました。逆に、平和な時代には、悟りは抽象化された観念となって人々の心の中に眠りがちでした。
悟りとはすなわち「調和の原理」です。人間が、地球に生まれた生命のひとつとして、自然の法則に従い、調和の原理の中に在ることを自覚する。そして、自らの人生を「選択」する存在へと目覚めさせていく。それが悟りです。
李承憲氏は本の中でこう語っています。「悟りは選択だ。悟りはもともと自分の中にあるものを発見することで、自分の真の姿を自分だと認めることだ。自分の実体は、体とその上に被せられた情報ではなく、自分の魂であり、始まりも終りもない永遠な生命であることに気づくことだ」(著書『息する平和学』)
自分の中にあるはずの「悟り」が簡単に見つけられない原因は、観念にあります。様々な情報に振り回されている時の自分は、「マトリックス」、すなわち、「偽りの自我、幻想」であり、悟りからは遠い状態です。観念の殻をやぶり、魂を目覚めさせることによって、自らの意志で「選択する存在」になることができます。
観念から自由になり、選択できる存在となった時、人は自分の責任を自覚します。自らの人生、属している社会、未来の地球に生きる子孫たちへの責任を負おうとする心。そのような心の持ち主は、世の中にとって何が必要なのかを選択し、果敢に行動することができます。その時こそ、わたしたちは自分の人生の主(あるじ)になれるのです。
投稿日:2012年2月12日
本当の自由を手に入れる
一指 李承憲著『セドナの夢』より
どうすれば自由な魂になれるでしょうか。祈ってなれるものなら、どんなに簡単でしょう。人類はこれまで数千年も祈ってきました。魂の自由のために祈ってきたし、平和のために祈ってきました。私たちはもはや祈るだけではダメであることを充分に知っています。
自由な魂となるには、まず魂の実体を知る必要があります。
例えるなら、魂は、色もなく重さもない器のようなものです。魂の重さはゼロ(0)です。魂という器にはさまざまな記憶、感情、欲望、数多くの情報が盛りこまれています。
人はしばしば、愛を感じるのは魂であり、憎しみを感じるのは魂ではないと考えます。しかし愛と憎しみは両方とも感情であって、魂そのものではありません。憎しみも執着であり、愛も執着です。自由な魂は執着しません。
ゼロだけが純粋です。そしてゼロだけが自由です。魂は空(くう)であり、無です。私たちがこの手に何かを握りしめているかぎり、ほかの何かを掴むことはできません。
カネ、名誉、成功・・・・・。世の中を生きていくのに必要です。しかし、必要な分だけ取って使ったら、あとは縛られたり執着したりしないことです。
天秤は、生死を含めてあらゆる状況と現象を淡々とはかるのみで、気分を害す理由も、よくする理由もありません。
「これは5kgか」―――それでおしまいなのです。
自由な魂には好き嫌いがありません。
自由な魂だけがパッと開けた視界を持って真実を見ることができます。あらゆる物事から自由になることです。そのための力を、私たちの脳は持っています。脳の主になれば、自分の脳をコントロールでき、脳内にあるいろいろな情報を活用できるのです。
投稿日:2011年11月24日
崇める神から活用する神へ
~一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『The Twelve Enlightenments for Healing Society』より引用、Healing Society、2002年発行~
神は情報であり、私たちが持つ集団意識の表現である。神の名で実現されることはほかでもない我々自身の欲求だ。神が自分の姿どおりに私たちを創造したのではなく、私たちが私たちの姿どおり神を創造している。神は私たちが崇める対象ではなく、創造の道具として思いきり活用する対象だ。私たちは神という情報の主である。
投稿日:2011年11月24日
2番目の悟り「神性の自覚」
~一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『The Twelve Enlightenments for Healing Society』より引用、Healing Society、2002年発行~
自分の体を静かに眺めてみよう。あなたは呼吸をする。あなたが自分だと知っているあなたが眠っている時も、別の考えをする時も、あなたは呼吸をする。誰が呼吸させているのか?あなたが自分だと知っているその情報があなたを呼吸させることではない。あなたが呼吸をしているのでなく呼吸がただできることだ。
あなたは自分自らの意志で自分の生命を止めることはできるが、自分を生きさせることはできない。生命を維持させることは、あなたが自分だと知っている情報の管理できる領域外のことである。なので「私の生命」という言葉は元をたどれば、錯覚と無知から生まれる。私が私の生命を持っているのではなく、生命が私を通じて自らを表現しているのである。あなたの体は生命が咲かせた一輪の花であり、生命が作り上げた一つの現象である。
「私の体は私ではなく、私のものである」での「私」とは、独りで自ら存在する永遠の生命を示す。道、自然、真我、あなたがそれを何と呼ぼうと関係ない。それはあなたが理解できようができなかろうが関係なくそれ自体として存在する。私の体は私ではなく私のものであることを知ることは、あなたを産ませ、呼吸させ、生かすその主体を知ることだ。私はこのような気づきを「神性の自覚」と名づけたいと思う。これが2番目の悟りである。
投稿日:2011年11月24日
変わらない真理を探そうとする心
~一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『The Twelve Enlightenments for Healing Society』より引用、Healing Society、2002年発行~
私は誰なのか?なぜ生まれたのか?なぜ生きるのか?どこから来てどこに行くのか?このような質問が慎重に深くなるほど、私たちは頑張って築きあげてきた人生の意味がひとつずつ取り壊されていくのを感じる。自分の人生に根本がない気がして、限りない空虚感が押し寄せる。人生について根本的な質問をやめてしまうことは大概この空虚感が耐え難いからだ。
しかし私たちが本当に生命の根源に目覚めたければ、空虚感を避けずに正面で向かい合う勇気が必要だ。この空虚感を直視し、人生とは虚しく苦痛であるということを徹底的に知ることが悟りの始めである。そして虚しさの自覚から生ずる根源的な問いをどんな幸せな瞬間や不幸な瞬間にも逃さないことが求道の核心である。
基本的に人生は苦痛であり、時々訪れる幸せな時間も瞬間に過ぎないということを徹底的に知る時、変わらない真理を探そうとする心、真の自分を探そうとする切実な心が生じる。これが真の自由に至る第一歩である。
投稿日:2011年11月24日
学ばなければならないという考えからの自由
~一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『The Twelve Enlightenments for Healing Society』より引用、Healing Society、2002年発行~
問題は知識ではなく、選択である。学びは選択するために必要なものでなく、選択したことを成し遂げるために必要なものだ。良く分からないからという言い訳で、習ったことがないという言い訳で、本当に大切なことを後回しにしてはいないのだろうか。学ばなければならないという考え方から自由になれば、自分が本当に望んでいることを選択することができ、創造的な人生を送ることができる。
投稿日:2011年11月16日
悟りの革命
一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『悟りの哲学―「脳呼吸」で人生は変わる』ビジネス社、2006年発行、7ページより引用
『脳呼吸』を開発したのも、悟りに対する神秘主義的な幻想を取りこわして、科学的かつ体系的な方法で悟りを共有するためであった。脳呼吸を通して誰でも悟ることができ、その悟りを日常生活にまで広げて行うことができるのだ。
あらゆる人々が最もやさしい方法で自分のなかの神性を発見できるようにするのが、私の究極的な望みである。人間は誰でも悟る権利を持っている。
あなたも悟ることができるし、みんなも悟ることが可能なのである。私はこの事実を世の中のすべての人に知らせたい。なぜならば、選ばれた何人かが悟るだけでは、地球と人類の未来にもう希望がないからである。
今、集団的で大衆的な「悟りの革命」が起きなければならない。悟りだけが私たちの希望である。それが人類の当面した問題を解決し、一段高いスピリチュアルな次元に進化する唯一の道である。
投稿日:2011年11月16日
「真我」に出会う
一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『悟りの哲学―「脳呼吸」で人生は変わる』ビジネス社、2006年発行、14ページより引用
では、悟りとは何だろうか。
悟りとは、「本当の私」を探すこと。繭を抜け出して美しい蝶が生まれ出るように、あらゆる人々の内面には美しく神聖な「真我」がある。
私たちは、おのおの異なった姿形をしており、人それぞれの美しさで咲き誇る花のような存在である。絶対的な幸せの秘訣は、自分の中にある「真の自我」つまり真我に出会うこと。真我に出会うことによって得られる幸せは、財産の多さや、人より有名であるというような、相対的なものではない。ちっぽけな自分の欲望や欲求にしばられることのない、私たちの深いところから湧き出る幸せである。この絶対的な幸せは、森羅万象を網羅して人間が「一つ」だということを本当に知ったときに訪れるのである。言葉ではあまりにも簡単に表現されてしまうこの「一つ」を一人ひとりに経験してほしい。それがこの世の中で私たちが得られる最高の認識なのだから。
投稿日:2011年11月16日
本当の私=「神性」
一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『悟りの哲学―「脳呼吸」で人生は変わる』ビジネス社、2006年発行、5ページより引用
「私の体は私ではなく私のものである」
「私の心は私ではなく私のものである」
この二つの文こそ、自分自身をどんな観点で見るべきか、明らかにする言葉である。私たちは体と心を持って生まれ出て、体と心が自分だと堅く信じて生きてきた。この体と心が魂の成長のためのしばしの借り物であるなら、本当の私は誰だというのだろうか。
本当の「私」とは、私たちの内側にある純粋な魂の炎、他ならぬ「神性」である。すべての人にとって、人生の本当の目的はこの神性を悟ることにある。私たちは悟るために、人間の体と心を借りてこの地球に生まれたのである。
投稿日:2011年11月10日
人生の神聖な目的
一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『悟りの哲学―「脳呼吸」で人生は変わる』ビジネス社、2006年発行、4ページより引用
「私はなぜここにいるのか?」
こうした問いかけに対して多くの人々が、究極的な自己探求や深奥な哲学的な質問として受け止め、難しく考えてしまう。しかし、実際のところ人間の本質を知れば、人生の目的がそれほど複雑でも大きくもないことが分かる。どのような観点から人間と世の中を見るかによって、ごく簡単で明快にこの問いに答えることができるのである。
人間はスピリチュアルな存在である。私たちの体と心は、私たち自身の魂の本質を悟るための道具であることを理解しなければならない。それが本当に理解できたとき、生命はその目的を自らはっきりと表す。
人生の神聖な目的は、私とあなたたち、さらには地上のあらゆる生命体が一つにつながっていることを知ること。そして、その認識を土台にして自分の魂を成長させていくことにある。私たちは、一人ひとり異なる顔や性格や条件を持ってこの世に生まれてきた。しかし、そのことを越え、個人としてだけではなく全人類の一員として完成した魂へと進化しなければならないのである。私たちがこの世を去るときに残る唯一の課題は、生きている間にどれだけ魂を成長させることができたか、なのである。
投稿日:2011年11月8日
人はなぜ生きるのか?
一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『悟りの哲学―「脳呼吸」で人生は変わる』ビジネス社、2006年発行、2ページより引用
私の若い時代は、あらゆる努力を気エネルギーに関する探究と鍛錬に傾けて過ごす日々だった。そしていつの間にか、私は気エネルギーを自由にコントロールする段階にまでなったのである。人々は私の並外れた能力をただ羨ましがり、珍しがった。
しかし、私はすぐに限界を感じた。こうした私の能力は、水泳や歌が上手であるのと同じように、ただ優れた技術と才能に過ぎないことが、あまりにもよく分かったからであった。
どんな哲学書や宗教書を読んでも、生命に関する疑問には答えていない。人知れぬ私の苦悩は、どんどん膨らむばかりだった。
「なぜ生きるのか?私が生きることの意味は何なのか」
人はなぜ生まれてきたのかも知らないまま、ただ命を与えられて生き、時が来ればどこへ行くのかも知らずに死んでしまうのか?それがこの人生のすべてなのか?人々が言うように、人生とはそういうものだと思って生きるしかないのか?この疑問を解く前は、どんな楽しさも私を満足させてくれることはなく、どんなことも全く無意味に感じられた。
目に見えない魂と対話を交わせても、究極的な生命の真理が分かるとは言えない。気を自由自在に放出し、また吸収する能力があるからといって、人生の意味と目的について答えられるわけではない。
その問いかけに答えるには、魂が解放されていることが重要である。誠実で、開いた心でいるべきであり、自分のなかの良心が脈打つ状態であるべきなのである。
投稿日:2011年10月26日
ほんとうの願いが、悟りへと導く
~一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著『脳がわかると幸せが見える』から要約~
よく「悟り」について、質問を受けます。
「悟りとは何ですか?」
「どうすれば悟ることができますか?」
「あなたはすでに悟りを開いたのですか?」
このような質問を受けとき、私は逆にその人に尋ねます。
「何のために悟りたいのですか?」と。
悟りに関して対話するには、その目的がはっきりしている必要があります。物欲や金銭欲、支配欲、名誉欲を満たすためなら、悟り開いても役に立たないからです。
悟りとは、すべての存在を自覚することであり、悟った人とは、世の中の健康や幸福、平和のためにすべての力を捧げる人です。悟ったからといって、私利私欲が満たされるわけではないのです。世の中の健康や幸福、平和を願う気持ちは、だれの脳にも備わっています。だから、本来であれば、悟りは、誰でも開くことができます。しかし、固定観念や否定的な情報が邪魔をして、こうした「真の願望」を引き出すことができないでいます。
脳に眠っている願望を引き出すにはどうすればいいのでしょうか?まずは脳に尋ねてみて下さい。「私は誰なのか?」と。これはなかなか答えが出ません。がんばっても答えが出ないので、大抵の人はあきらめてしまいます。でも粘り強く続けて下さい。あきらめずに尋ね続ければ、脳は無数の脳細胞を総動員して答えようとしてくれます。やがて、脳に感覚的、物理的な変化がおき、脳が統合へと向かいます。脳が統合したとき、ほんとうの願いが分かり、覚醒が生まれます。この覚醒こそが、あなたを悟りへと導くのです。
投稿日:2011年6月9日
心の中にある純粋な気持ちに従って行動しましょう
忙しい中でも、少しでも満ち足りた生活を目指そうとする人は多いですね。
そのために必要なことは、どんなことでしょうか?
何か人のためにしてあげたいと思ったときに、その気持ちを抑えずにすぐに実行することです。
どんなささいなことでも構わないのです。
たとえば、何か人のためにしてあげたいことが見つかったら、
すぐに実行するだけでも、だいぶ違うのです。
『今は忙しいから……』『人のことにかまけている余裕はないから……』
などといって抑えつけてしまうよりは、
その気持ちに忠実に動くほうが、大きな満足感を得られます。
李承憲氏もこのように語っています。
「誰かを助けようという考えが、何の下心もなく願いもなく唐突に頭のなかをかすめていくとき、
それがまさにあなたの魂があなたに声をかけた瞬間である」
李承憲氏の言葉の通り、純粋に人を助けたいと思う気持ちは重要です。
その気持ちがどんなに素晴らしい感情なのかを悟り、その気持ちに従って行動することは
格別の満足感をもたらしてくれます。
この事実を悟り、実行できるようになれば、満足できる毎日を過ごせるでしょう。
一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『悟りの哲学』 ビジネス社、2006年発行、32ページより引用
投稿日:2011年5月31日
他人と調和し、つながりたいと思うことは自然な欲求です
定年退職した年配の男性が、第二の人生を生まれ変わったように過ごす例が増えています。
何十年も勤勉な企業戦士として、競争社会に身を置いてきた男性たちが、
競争とは無縁の余生を過ごそうとするケースが目立っています。
競争社会の中で人に認められることや、人を支配し管理することに追われてきた人ほど、
引退後は調和に満ちた人生を求めるようです。
実際に、調和に満ちた生活を送ることはできます。
他人と調和することの大切さを悟り、
それを実践したいと思うことは、自然な欲求です。
自然な欲求を満たせば、人は精神のバランスを得ることができます。
李承憲氏がその理由を説明しています。
「その渇望は、本能よりももっと深いところに隠されている。その欲求は、調和と愛に根をおろし、
あらゆるものと一つにつながりたいという望みである」
李承憲氏も説明していますが、
調和することの大切さを悟り、それを実践することは自然な欲求に基づいた行動なのです。
他人との調和を実践する人はこれからも増えていくでしょう。
一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『悟りの哲学』 ビジネス社、2006年発行、
88ページより引用
投稿日:2011年5月27日
真の愛を実践しましょう
ボランティアや寄付活動に参加する人が増えています。
もともとボランティアなどは欧米が起源の慣習です。
そのため、「日本には根付きにくい」といわれていました。
しかし、内外の有名人がボランティアや寄付に励む姿に刺激を受けて、
日本でもボランティアや寄付に参加する人が増えました。
周囲の多くの人々のために尽くしたり、持っているものを分け与えたりすることが
価値のあることだと悟り、進んで協力していきましょう。
ところで、李承憲氏が、このようなことを述べています。
「何の利己的な心もなく人に施し、あなたが持っているものを他の人も体験できるようにする。
このようにしていくことで、物質世界を肯定的で前向きに変化させられるのである」
李承憲氏は、利己心を捨てて人のためにすべてを分かち合える人が
世界をよい方向へ変えて行けると説明しています。
今の日本にはそのことを無意識に悟り、真の愛を実践している人が数多くいます。
一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『悟りの哲学』 ビジネス社、
2006年発行、53ページより引用
投稿日:2011年5月21日
大きな満足感や達成感に満ちた人生を手に入れるために
春は、入学や入社、転職や異動といった人生の変わり目が集中する季節でもあります。
それを好機として、これまでとは変わった自分になりたいと思う人も
たくさんいるようです。
それまでの人生で手に入らなかった満足感や達成感を、
年度の変わり目等を機に目指そうとすることも悪いものではありません。
ぜひ目的を叶えていただきたいものです。
ところで、そのためには何も特別なことが必要なのではありません。
誰でも自分を変えていける力を持って生まれてきます。
そのことを悟り、自分がどうなっていきたいのかを強く意識することで、
大きな満足感や達成感に満ちた人生を手に入れることが可能となるのです。
李承憲氏は端的に書いています。
「人間は誰でも魂を持っている。これを読んでいるあなたの胸のなかにも、
純粋で生命力に溢れる魂が宿っているのである」
李承憲氏は簡潔な文章で、どんな人の中にも可能性が備わっていて、
そのことを悟り、実践することを推奨しています。
自分の人生を満足できるものに変えていきましょう。
一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『悟りの哲学』 ビジネス社、2006年発行、31ページより引用
投稿日:2011年5月11日
私たちは調和に満ちた社会を求めています
現代社会は、競争社会でもあり、相互不信の社会と言われています。
そのことに疲れ、もっと安らいだ生活を求める人が増えています。
競争や争いを続けていては満たされないことを悟り、
私たちひとりひとりが周囲との調和を求めているなら、
これまでよりも調和に満ちた社会に変えていくこともできるはずです。
李承憲氏が、今私たちが何を悟り、何を求めているのかについて
次のように説明しています。
「この欲求は、物質的次元からではなく、私たちの魂の根源から湧き出てくるものである。
魂の深いところから湧き出るその欲望は、本能よりももっと深いところに隠されている。
その欲求は、調和と愛に根をおろし、あらゆるものと一つにつながりたいという望みである」
李承憲氏の言葉にあるように、私たちは本来、調和や愛を求めています。
協力して調和に満ちた社会をつくっていくことも可能なのです。
一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『悟りの哲学』 ビジネス社、
2006年発行、88ページより引用
投稿日:2011年4月30日
人を愛し、寛大になることを実践しましょう
「癒し」という言葉が流行語になってから、もう何年も経ちました。
競争社会に疲れ、休息を求める人が多いことの表れでもあります。
現実に、他人と競争するより調和することを求めたいという人や、
心の安定や平和を手に入れたいという人が増えています。
かつて他人と競争する人生を長く送ってきた人でも遅くはありません、
今からでもじゅうぶんに、人との調和や愛に満ちた生き方を
実現することができるのです。
李承憲氏が、なぜ人々が競争するのかをこう説明します。
「私たちは、人より勉強して人より偉くなるという人生、
他人を蹴落として昇っていくという人生、そうした方式に
従って生きている。そうすれば少なくとも自分の下にいる人たちよりは
不安も恐れも薄らぐかのように勘違いしながら生きてきた」
李承憲氏は、同時にこう説明します。
「本当の自分と和解して平和を得た人間だけが人を愛せるし、寛大になれる。
何かを心配していたり不安になっている限り、決して人には寛大になれない」
心の平和を得ることの大切さを悟り、人を愛し寛大になることを
実践しましょう。
一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『悟りの哲学』 ビジネス社、
2006年発行、46ページより引用
投稿日:2011年4月27日
自分を信じることで、なりたい自分に変われます
私たちは、自分自身を変えていく能力を最初から備えています。
自分自身が望むような人間になれるどうかは、自分自身の考え方によって変わります。
自分自身の心構えがこれからの人生を左右することを悟り、
望みどおりの人間になれるのだと信じることが、
自分の成長を実現するエネルギーとなるのです。
李承憲氏が、端的に説明しています。
「私たちは自分自身もまた善良な存在になれると信じることができるのだ。そして、
そういった信念をもった瞬間、まるで電流が流れるかのように、体のすみずみに純粋で
善良なエネルギーが流れ出すだろう。そのエネルギーは、止まることなく着々と強くなる」
李承憲氏が教えてくれているように、
自分が変わる可能性を強く信じることが大切です。
一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『悟りの哲学』 ビジネス社、
2006年発行、30~31ページより引用
投稿日:2011年4月23日
本当の私を知ることで、真の健康や幸せも発見できます
健康を維持して活発に人生を過ごすことや、アンチエイジングを実践することが
全国的に広まっています。ところで、そのような長期的な健康や幸せを
手に入れるためにまず必要なことはどんなことでしょうか?
まず自分の人生を自分の意思でコントロールしていくことです。
それを常に心がけることで、健康や幸せも手に入るようになります。
自分の人生を明確な目的をもって
生きていない、漠然と人生を過ごしている人が少なくないかもしれません。
しかしこれからは、本当の私である真我を確立した人が増えていくことでしょう。
李承憲氏が、そのことをわかりやすく教えてくれます。
「本当の健康と幸せの根源を求めることができるのは、ただあなたの真我だけである。自分の中に真我を発見した人だけが、完全で永遠の幸せを発見できる」
李承憲氏の言葉にあるように、真我を見つけて
本当の健康や幸せを手に入れましょう。
一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『悟りの哲学』 ビジネス社、2006年発行、29ページより引用
投稿日:2011年4月22日
私たちは誰でも悟ることができます
意識していない人が多いかもしれませんが、
私たちは大きな可能性に恵まれています。
私たちのひとりひとりに、私たち人類の運命を
変えていくことができる可能性が与えられているということです。
体のなかに流れている気エネルギーを通じて、
私たちは「一つ」であることを感じることができます。
もう、一握りの限られた人びとだけが悟りを得るような時代ではありません。
私たちは常に悟りの中にいます。
ただ実践せずにいるだけです。
私たちの中にある善良な心を表現するだけで、悟りは自然に身についてきます。
李承憲氏が、悟りが一部の人間だけのものではないことを説明しています。
「選ばれたエリートのための悟りという時代は終わった。
すべての人類の幸福と未来のために世の中を変化させる力が、
どんな人間にもすでに与えられているという事実を悟るべきである」
李承憲氏の言葉はとても奥が深いです。
私たちは、自分たちに与えられている可能性を活かして、
私たちの胸の中にある真の愛を回復させましょう。
一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『悟りの哲学』
ビジネス社、2006年発行、69ページより引用
投稿日:2011年3月31日
悟りの達人になりましょう
悟りとは、なんでしょう?
「悟りとは、特別な人だけが到達できる特殊な意識の状態ではない。悟りとはもはや、この時代の常識にならなければならない。平凡な人々の悟り、これだけが地球と人類に希望を与える唯一の方向性である」
(一指 李承憲(イルチ・イ スンホン)著 『悟りの哲学』 ビジネス社、2006年発行、175ページより引用)
悟りとは、決して難しいことではありません。
悟りとは、誰でもできることです。
悟りとは、特別な限られた人だけしかできないことではありません。
悟りとは、世界に希望を与えるために平和に満ちた社会をつくろうと自覚することです。
今までの世界は、お互いに対立しあってきましたが、
世界の国々が協力していく上でも、悟りを実践していくことが
求められています。
世界の多くの人々が悟りの達人になれば、
平和に満ちた世界を一緒に築いていくことができるのです。
李承憲氏が悟りの実践を語るのはこのためです。
投稿日:2011年3月19日
脳トレーニング-悟りのプロセス
悟りには二つのプロセスがある。
その一つは、悟ろうという自分の「選択」である。悟りとは苦行を通してのみ得られるものではない。私自身も一時誰にも劣らないほどの辛い修練をして、つまり苦行を通して悟りに至ろうとしたことがある。しかし、それは私が悟ることの本質を知らなかったときのことだ。私は自分の歩んだ道をモデルとして掲げたくはない。
私が得た真の悟りとは、「世の中に悟ることは何もない」と分かったことである。私はすでにいつも悟りのなかにいた。私にはすべてが与えられていたし、ありのままの自分を受け入れるのが至上の悟りであった。結局のところ、悟りとはまったく常識的なことであったのだ。
悟りとは、自分自身をとりまくあらゆる生命体に、喜びと益をもたす生き方を選ぶこと。それは、とても単純な選択である。では、どうしたら他の人々や生命体のためになれるのだろうか。
そう、私たちはすでにその返答を知っている。「隣人のためにする」ことの意味を私たちは知っているのだ。他人に心を配り愛することが何であるかも知っているのである。ただ実践せずにいるだけだ。人は善良なエネルギーを持っている。誰もこの事実を否定できない。「真の自我」を受け入れ、真の愛を通して、あなたのその善良な心を表現するだけで、悟りは自然と身についてくる。
二つ目は、あなたが悟りへの道を選んだのなら、その選択を守り続けていこうとする意志と訓練である。この決心がつけば、どんな非難も障害もあなたを止めることはできない。自らの指針を立て、周りの人々が何を言おうがそれを守っていけば、天はあなたを見守ってくれるのである。天とは何だろうか。それは間違いようもない、私たちの心。心は、悟りを選択したと言う事実を大切にすることだろう。この決心を守り抜くためには、自分の欲望を自ら整理し、自分の選択そのままに真理のために生きていく鍛錬が必要である。
鍛錬を通してスピリチュアル・フィットネス(spiritual fitness)を維持することで、私たちの魂はより強くなり成熟するのである。これが悟りである。悟りとは、選択であり、鍛錬である。悟りとは行動である。そして悟りとは、現実のことである。
一指李承憲(イルチ イ・スンホン)著 『悟りの哲学』 ビジネス社出版、2006年発行、16ページより引用