不要不急の沖縄日記③(4月11〜20日)(野田まりえ)
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4月11日(土)
車のメンテナンスに行った。
私は、沖縄に来てすぐ、中古の軽自動車を買った。沖縄では、車が無いと生活ができない。車のメンテナンスのお知らせがショートメッセージで送られてきたのは、3月の始め頃だった気がする。沖縄にはコロナ感染者が3名しかおらず、どんな用事が不要不急なのかなんて、考えもしなかった。その頃に、なんとなく予約を入れたのが今日だったが、今となっては、車のメンテナンスなんて、コロナ騒動が収まってからのほうが良いような気もする。イギリスでは、歯医者も閉まっていると聞く。車のメンテナンスなんて、不要不急だろう。
しかし、改めて予約を取り直して行くのも面倒なので、やはり予約した時間にメンテナンスに行った。車を預け、夫と息子と一緒に、近所の公園でメンテナンスが終わるのを待った。
公園には小さな滑り台があった。
私たちが公園に到着した時に、2歳くらいの男の子が、滑り台で遊んでいた。マスクをした母親が付き添っていた。
私たちは、彼らに近づかないように、芝生で遊んだ。男の子が遊び終わって滑り台を離れてから、息子を滑り台に連れて行った。
2組の親子が、互いに距離を取りながら公園にいる。「こんにちは」とも言わないし、「あら、何歳ですか?同じくらいかな?」なんて世間話を始めたりもしない。
まだマスクもできない、手も上手に洗えない小さな家族を守るために、一生懸命であることを、言葉を交わさなくても、お互いに理解しあっている。
4月12日(日)
子どもが昼寝している間に、ネットを見ていると、星野源の「うちで踊ろう」という楽曲に、安倍首相がくつろいでいる様子を併せた動画を目にしてしまった。テレビを持っていないので、そもそも星野源の「うちで踊ろう」を知らなかったが、「いまはうちにいよう、それぞれの場所から繋がろう」というメッセージが込められた短い曲で、星野源がフリー素材として提供しているものらしかった。その動画を使って、他の芸能人も、SNSを使って「うちにいよう」というメッセージを伝えたりしているようだ。
安倍首相が、なぜ自分もやろうと思ったのかわからないが、おじさんが愁いを帯びた瞳でお茶を飲んだり、本を読むふりをしたり、テレビを見て寛いだりしている映像がただただ気持ち悪かった。
しかも、ツイッターのメッセージは、飲み会とかできなくて辛いと思うけど頑張ろう、みたいな内容で、そんなことよりも大きな困難に直面している人々に寄り添う気持ちがゼロだった。
ツイッターでは、「何様のつもり」がトレンド入りしていた。
各国のリーダーが、言葉を尽くして市民に寄り添おうとしているときに、こんなしょうもないメッセージしか発することのできない首相が恥ずかしかった。
4月13日(月)
シーミーのために、夫の実家に行った。
シーミーは、沖縄の墓関連行事で、墓を掃除して、墓の前でお重を食べ、ウチカビと呼ばれる紙を燃やす。墓の掃除は事前に済ませてあったので、この日は、近所の豆腐屋さんに用意してもらったお重を持って、墓に向かった。
墓は、夫の実家から車で5分の所にあったが、墓に着いたとたん大雨が降ってきたため、お参りを諦めて、夫の実家に戻った。
実家の仏壇に手を合わせ、ウチカビを燃やし、お重を食べた。ウチカビは、ご先祖様があの世で使えるお金だ。黄色い紙を燃やし、ご先祖様に送金する。ご先祖様は、それを受け取って税金を納め、残りはお小遣いにするのだそうだ。
夫の実家は長男家なので、本来ならば親戚一同が集まるのだが、今年は縮小し、夫の両親と私たちだけだった。欧米ではイースターを我慢し、沖縄ではシーミーを我慢するのだ。
お腹いっぱいになったところで、息子を寝かしつけ、義母のミシンを借りて布マスクを作った。突如として人気店となった手芸店には行かず、家にある布で作った。たまたま持っていた布がキルト生地だったため、分厚いマスクが出来上がった。可愛かったが、マスクが眼鏡のフレームに当たるのが、少し気になる。
4月14日(火)
夫は、職場近くのコンビニかスーパーでお昼を買っているのだが、買い物の回数を少なくして欲しくて、お弁当を作ってあげることにした。ついで、自分の分も作った。
夫は、お弁当は持って行ったが、せっかく作ったマスクを玄関に忘れたまま仕事に行った。
4月15日(水)
朝、夫が急に「今日はハンバーグが食べたい」と言い出したので、仕事帰りに買い出しをお願いした。せっかく買い物に行くのなら、なるべくたくさん食品を買ってきて欲しいと思い、長い買い物リストをラインで送った。
ハンバーグは美味しかった。
最近、一日の楽しみが食べることくらいしかない。
4月16日(木)
東京に住んでいる友人と、オンラインお茶会を開催する約束をしていたので、子どもの寝かしつけを夫に頼んだ。夜の8時半から10時半までにしよう、と事前に約束していたのに、話し出すと楽しくなって、つい0時を超えてしまった。
彼女とは、小学生の頃からの友人で、地元にいた頃よりも、地元を離れてからのほうが仲が良い。
外資系企業に勤める彼女は、2月半ばからリモートワークに切り替え、買い物以外では外に出ていないそうだ。パソコン画面から見える白い壁には、マリメッコの布を百均フォトフレームで額装したものが飾られていた。好きなアーティストのポスター等は撤去されていて、
同僚や取引先とテレビ会議をしても問題の無い壁になっていた。
「ずっと家にいるから不健康な感じがする」とは言っていたが、もともと彼女はインドア派なので、KindleとNetflixを味方につけ、上手に自粛生活を乗り切っているようだった。しかし、図書館、美術館、博物館等、館を愛する人なので、それらが閉まっていることが辛いと嘆いていた。
東京にいた頃は、「次はいつ実家に帰るの?」と聞くのは挨拶のようなものだった。「正月は帰る?」「GWは帰る?」「お盆は帰る?」
今回は、「次いつ帰れるんだろうね」としか言えなかった。東京や沖縄から実家に帰るには、どうしても飛行機に乗らなければならず、三密は避けられない。東京や沖縄で自主的に隔離生活をしても、公共交通機関を使わずに、誰とも接触せずに帰れる場所ではない。私たちの育った町は、幸いなことに、まだコロナ感染者が1人もでていない。持ち帰るわけにはいかないのだ。
4月17日(金)
毎日、雨が降らなければ散歩をしている。
家を出てすぐに、大きな通りに出る。息子はそこで、車を見るのが好きだ。「ブーブー、ブーブー」と指さしながら、車を見ている。一番好きなのはバスで、バスが来ると、「バップー!!!」と叫ぶ。ここ数日で、何台のバスを見送っただろう。二人で指さしながら、「バップー!!!」と叫びながら、30台は見ただろうか。いつも、バスは空っぽだ。誰も乗っていないのだ。30台ほどバスを見て、乗客は2人しか見ていない。「いつか、一緒に乗ろうね」と息子と約束をする。
4月18日(土)
近所の散歩に飽き飽きしていたので、ちょっと遠くにある大きな県営公園に行った。私は運転が苦手で、はじめて行く場所は緊張するので、夫の運転で行った。暑くなる前にと思い、早めに家を出て、公園に着いたのが9時頃だった。公園には誰もいなかった。
駐車場を出て遊具に近づくと、ロープが張られ、遊具使用禁止と立て看板がしてあった。コロナウイルスは、プラスチックや金属の上では3日間生きているらしい。それを考えると、遊具使用禁止は妥当だと思われた。
私たちは、芝生で遊んだ。
遊具に向かって走っていく息子を追いかけ、捕まえる。抱っこして遊具から遠ざけ、また芝生で遊ぶ。息子は、また遊具に向かっていく。捕まえる。抱っこする。とうとう息子は、私の腕からすり抜けるように這いつくばり、もうめったにしないハイハイで遊具に近づこうとした。それを捕まえて、車に乗せ、家に帰った。息子がかわいそうだった。
遊び足りない息子を、ビーチに連れて行った。その日は海開きのイベントが開催される予定だったらしいが、イベントは中止になっていた。もし開催されていたら、DIAMANTESというグループの無料ライブがあるはずだった。代表曲は「勝利のうた」という曲で、スペイン語と日本語で歌われる、ラテンのリズムの明るい歌だ。夫は、勝利のうたを歌いながら、息子を海に入れて遊んだ。私は足だけつけたが、びしょ濡れになった息子を抱っこしたので、結局びしょ濡れになった。
4月19日(日)
車のメンテナンスに行った時に立ち寄った公園に行ってみた。県営じゃないためか、まだ遊具は使用可能だった。滑り台で遊んだ。どこかにコロナウイルスが付着しているかもしれないが、きっと大丈夫だろう、と思った。根拠はないけど、そこまで我慢させることのほうが、私には難しく思えた。
公園で遊んでいるのは、私たちだけだった。
4月20日(月)
息子の予防接種の予約が入っているのを、すっかり忘れていた。予約を入れたのは、2か月ほど前だ。こんなときに、病院なんて行きたくないと思ったが、夫と話し合い、行くことにした。
コロナが流行りだした頃、赤ちゃんや子どもが重症化した例は無いと言われていた。ママ友の一人が、「赤ちゃんは肺炎球菌のワクチン打ったばかりだから、きっと大丈夫だよー」と根拠があるのかないのかわからない発言をしていたが、「肺炎」と入っているし、肺炎球菌ワクチンはいかにも良さそうだな、とその時は思った。
その後、欧米で若い患者の重症化が報道されはじめると、「日本人はBCGワクチンを打っているから重症化しないのではないか」という説を耳にしたりした。これも、科学的根拠があるのかないのかわからないし、あったとしても私には理解できないのだが、BCGは結核予防のために打つワクチンだし、こちらもいかにも良さそうだ、とその時も思った。
もともと国際協力の仕事をしていたので、乳幼児死亡率の高い国のことや、ワクチン接種が進んでいない国のこと、そういった国に対してどのような援助がされているのかについて、学ぶ機会に恵まれていた。息子が初めてワクチン接種をしたとき、まだ何も話せない息子に、「あなたはとても恵まれている」と言ったのを覚えている。予防接種を受けることの重要性、予防接種を当たり前のように受けられる環境に生まれてきたことがいかに幸運であるか、そして、本来ならば「幸運な赤ちゃん」だけでなく、すべての赤ちゃんが予防接種を受けられる世界を作っていかねばならないのだ、と赤子相手に熱弁した。
そういった背景もあり、私はできる限り、予防接種はスケジュール通りにこなしたいと思っていた。予防接種を受けられるのは、本当に恵まれたことだし、受けることが健康に対する自信につながる。
小児科では、予防接種の時間帯は、外来の患者さんが来ない時間帯に設定していることが多く、息子の行きつけの小児科もそうだった。小児科へ行くと、月齢の低い赤ちゃんがたくさんいた。キッズコーナーのおもちゃや、絵本が撤去されていた。4月初めに来た時にはあったのに。そして、「予防接種をしてから20分の経過観察時間を、希望する人は車で過ごしても良いですよ」と張り紙がしてあった。
優しいおじさん先生が、「強くなるお薬だよー」と言って、注射を打ってくれた。そして頑張ったご褒美に、新幹線のシールをくれた。「これで、1歳で受ける予防接種はおしまいです。次の予防接種は、3歳になってからになります」と先生に言われた。嬉しかった。ちゃんと、いまの息子に必要な予防接種を終えられたことが、嬉しかった。