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「日曜小説」 マンホールの中で 3 第一章 2

2020.04.25 22:00

「日曜小説」 マンホールの中で 3

第一章 2

「ところで、その猫の置物のこともう少し詳しく聞かせてくれないかな」

 一回立とうとした善之助を次郎吉は止めた。善之助は一度立ち上がるために持った白い杖を、もう一度自分の手首に通して座った。普段はステッキを置く場所があったり、あるいはステッキをつけに立てかけたりする人が多いのであるが、善之助の場合はそのようにして杖がなくなったことがあるので、基本的には手首に通すようにしている。

そういえば、次郎吉と初めて会った時も、ステッキが手元から無くなった時だ。

あの事故、そう、この街で史上最大ともいわれるほどの大参事であった交通事故からの連鎖引火爆発事件。もともとは、工事現場に突っ込んだトラックが衝突横転し、運んでいたプロパンガスに引火。ちょうど夕方のラッシュ時で、反対車線にいた石油輸送トラックや化学薬品のトラックに引火爆発、その横のガソリンスタンドまで爆発するという連鎖爆発を引き起こした。地上は大参事であり多数の死傷者が出たのである。

しかし、あの時は善之助は運良く、ちょうどその工事現場で空いていたマンホールに嵌り、そのままマンホールの下に落ちてしまった。マンホールの穴の中で出会ったのが次郎吉である。泥棒のアジトまたは通路として使っていたマンホールを通っていた時に、上から善之助が降ってきた感じである。

そして救助がくるまでの間、二人で様々な話をしたのである。

そういえば、その時ステッキは皮のベルトで手首についていたのであるが、しかし、上から落ちたショックで折れてしまい、ステッキは折れてどこかに飛んで行ってしまったのである。それより後、新しいステッキは、折り畳み式にしてもらっているのと、ステッキとは別に音波で周辺がわかるような機械を持っているのである。

善之助は、もう一度座ると、邪魔にならないようにベルトを自分の手首にかけ、そして、ステッキを短く降り立ったんだ。

「猫の置物か。新聞か何かで調べるといっていたではないか」

「ああ、形はね」

「それだけではなく何なのだ」

「どんな人が作り、そして誰からもらったかだ」

「そんなものが関係あるのか」

「ああ、実はかなりあるんだ」

 次郎吉は、上着の内ポケットからメモ帳を取り出した。もちろん善之助には見えない。

「ほう」

「実は、置物とか絵画みたいな美術品は、その作家や系統から集まる場所があるんだ」

「系統とは」

「まあ、印象派とか、ポストモダンとか、そういった感じかな。ゴッホとかピカソとか、そういった有名な画家とかならば、それ単独でわかるが、そうではない人やあまり有名ではない人などは系統を分析して、そこの闇市場に出るんだ」

「闇市場なんてあるんだ」

 善之助はかなり驚いた。まさかそんなものがあるとは思わなかった。善之助は、そもそもは美術商が何か裏で取引をしていたのではないかという気がしていた。しかし、そうではなく闇専門の美術品市場があるというのはなかなか興味深い。

「まあ、爺さんは美術商が裏取引か何かでやっていると思ったのだろう」

「ああ、ドラマなんかでもそうなっている。だいたい、美術品などは鑑定がしっかりしてなければだめで、その鑑定は美術商とか博物館でなければできないではないか。その人々が、何か小遣いか何かが必要で鑑定したものを、その人々が取引すると思っていた」

「まさか。そんなことをしたら、そいつらの口から盗んだ商品の噂が出回ってしまう。基本的には、鑑定士は、しっかりと鑑定のできる闇専門の鑑定士がいるんだ。優秀な鑑定士であったが、何らかの犯罪で表に出ることができなくなったとか、あるいは、すでに定年してしまい博物館などを辞めてしまった鑑定士で、何らかの事情がある人ということになる。そのような闇鑑定士を中心に、その鑑定士の鑑定を信じるコロニーができていて、その人々が集まって取引をするんだ」

「ほう」

「その市場も、相対で取引する場合、これは今あるものを鑑定書と現物の写真で取引するという感じかな。もう一つは、オークション。これはドラマとかでもやるようなものだ。そして、最後は予約販売。これはあまり見たことないかもしれないが、クライアントがほしいものがあって、そのほしいものを金を積んで予約する。それを引き受けた泥棒が、盗み出して渡すという感じかな」

 予約販売。つまり泥棒または脅迫や詐欺など様々なものがあるが、その形を金持ちが予約し、その予約した内容を金を積んで渡すというものである。実際に原価は泥棒の経費ということになり、美術品そのものの値段などは全く関係がない。しかし、リスクなどもあるし、金を渡しても、その泥棒が盗めなかったり捕まってしまったりする場合がある。その場合は、掛け金がそのまま無くなってしまい丸損ということになるのである。

 まあ、他の形式ではなかなか見ることのできない取引形態であるが、考え方を変えれば、特注の注文生産のような感じで考えればよい。

「次郎吉は、その予約販売というのはよくやるのか」

「最も効率が良い。相手が代替何処にあるかは教えてくれるし、また、何をどのように盗むかもだいたいわかる。そのうえ、クライアントがある程度の資料をくれているから、こちらがすべて考えなくてもよいということになるのだ。もちろん転売目的などでは、そのような予約販売をすることはほとんどない。しかし、どうしても何らかの理由で欲しいという人。例えば、コレクションで集めているとか、あるいは父や母の遺品を集めなおすとか、戦争の時に政府や敵軍に盗まれてしまったものを取り戻すなんて言うのは、非常にやりがいのある仕事だよ」

 善之助は感心した。遺品を取り戻すという仕事がある。確かに戦争などで、接収され、そのうえでその接収財産が、別な国家に移ってしまった場合などは、それを個人の力で取り戻すことはできない。ましてや、戦争などで、家が没落してしまっている場合はなおさらである。

 これは何も最近のことばかりではなく、たとえばイギリスの大英博物館などには、エジプトのツタンカーメンのマスクやミイラが多数保管されている。もちろんイギリスがそのような物品を返すはずがない。しかし、もし現在当時のエジプト王の子孫が残っていれば、自分の祖先の遺体を戻したいと思うに違いないのである。しかし、エジプトはローマ帝国に敗れて以降、第二次世界大戦後までしっかりとした主権として存在していない。その間に子孫もどうなっているかわからないし、そもそも今その王族が名乗り出たとしても、イギリスは学術的な価値や世界の資産という論理を持ち出してミイラを返すはずがないのである。

では、フランスの資産かがナチスドイツに財産を接収され、その財産が旧ソ連に持ち去られた場合はどうなるであろうか。これも、返還するとは限らない。敗戦国ドイツにそのままあれば、何か賠償請求などもあるかもしれないが、そのドイツに勝った戦勝国にしてみれば、自国の兵士の血と引き換えに得た資産である。それに代わる何らかの資産がない限り、当然に、元の所有者であるなどといっても返すはずがないのである。

 そのように考えた場合、当然に、旧戦勝国の方がエゴが強くまた現在の政治力や軍事力によって返還されるかどうかが決まる。それでも金銭で購入できる場合は何とか交渉ができるが、ツタンカーメンのマスクのようになってしまっては手の出しようがなくなってしまうのである。

 そのような悩みを、次郎吉は解決しているという。需要あれば供給あり。まさに人道的には必要であり、場合によっては本来の持ち主のところに戻す話である。それを一概に泥棒と言ってよいのであろうか。善之助は、今までしっかりと理解していなかった次郎吉の本当の姿を知ったような気がした。

「すごい仕事をしているではないか」

「爺さん、何をいまさら言っているのだ。そんなことより猫だよ」

 次郎吉は笑った。なるほど、そういうことならば、その闇市場に行って探した方が早いかもしれない。

「実は東山正信の木製の彫刻なんだよ」

「東山正信、聞いたことはないが」

「そうだろう。実は若手のホープといわれ、この街出身で初めて世界芸術展で18歳で優勝した天才といわれた彫刻家だ。18歳から25歳まで7年間様々な彫刻を残したのだが、あの時の洪水で犠牲になってしまったんだ。」

 善之助は、しみじみと語った。

 十二年前、この街の中心を流れる川が氾濫を起こした。しかし、それだけではなく、上流のダムが被害を少なくするためにダムが放水を始めたのである。折しも豪雨の中、ダムの放水の水が流れ、この街はちょうど天からの水とダムからの水が一緒になってあふれた形になった。そのために多くの人が犠牲になったのである。先日の爆発事故より前は、その洪水が最も大きな災害といわれていたのである。

「爺さんはあの時はまだ警察だったのか」

「いや、議員をやっていた。まだ目は見えていたよ」

「なるほどな。だからイメージはあるのか」

「そうだ。あの洪水の被害者の遺体を救出していた時に出てきたのが、東山正信の彫刻だった。遺族が泣きながら老人会と警察署に一匹ずつ猫の置物をくれたんだ」

「ほう、同じものが二つあるのか」

「いや、そうではない。もともとは三つ。もう一つは東山の遺族が持っているはずだ。」

 さすがに昔警察官、そして議員をやっていただけあって、その当時の話をするときはしっかりとした声で話す。なかなか威厳のある声である。

「三匹の猫ということか」

「ああ、まだ彫りかけであったはずだが、それを一匹ずつもらったんだよ」

「で、その時議員だった爺さんが何で猫のことを気にかけているんだ」

「贈呈式で、遺族と警察や老人会を引き合わせたのが私なんだよ」

「なるほどね」

 やっと合点がいった。そういうことならば、善之助はそれなりに猫の置物に思い入れがあるはずである。

「要するに若手の彫刻家だな」

「ああ、そうだ。東山の遺族に見せてやりたい」

「その割には、扱いがぞんざいであった気がするが」

 次郎吉はそういって笑った。

 その後洪水の話や、東山の家のあった場所、正信の工房のあった場所などを聞いて、二人の話は終わった。

「まさか爺さんから予約販売を受けるとは思わなかった」

「ああ、頼むよ」

 善之助は、河口堰のマンホールを出ていった。