なぜ腰が痛いのか聞いてみた
晴れているオークランドです。
暖かいですね。
庭からの空の写真。
端に写っているのは合歓の木です。
どんどん大きくなってきて、私はバッサリ切りたいのですが夫が渋る。
大きくなりすぎると後々大変なのをわかっているのにな。
さて、最近、また腰が痛くなってきました。
ぎっくり腰のとても軽いものとでも言いましょうか。
立ち上がるときにぐきっときます。
それはまだいいんですよ。
以前、立っているだけで何の予兆もなくぐきっときたことがあったんです。
これには慣れている私も焦りました。
全く動かない状態でもぎっくり腰になる可能性があるということ。
幸いなことにぎっくり腰を本格的にやって、寝たきりになったことは一度もありません。
なぜ、こんなにも腰をいつもぐきぐきするのか、前にも聞いたことがあるような気はしますが、いい機会なのでランギヌイ神様にお聞きしました。
会話形式で、私の部分は私の、ラはランギヌイ神様の発言です。
私「また、ぎっくり腰気味になってきました。」
ラ「もっときれいでいなさい。
自分に集中して。」
私「もっときれいでいろとはどういう意味でしょうか。
体に溜まったいろいろなものを先程出しているとき、重いなとは感じました。」
ラ「余計なものが溜まっている感じ。
その余計なものとは、不安だったり恐怖だったり、あとは、他の人の念と言うか、邪魔と言うかそのようなものですね。」
私「わかりました。
でも、自分が綺麗でいたら、そんなものは<へ>でもないわけですよね。
綺麗とは何があっても動じないというか、地に足がついている状態というか、そういうものを私は想像します。」
ラ「いろいろな感情がある、そこが人間のいいところでもあるわけで。
仮に完璧な人がいたとするでしょう。
面白くないわけですよ。
完璧とは何ぞやと言うのは置いておいてくださいね。
人間のいいところ、泣いたり笑ったり、喜怒哀楽ですよ。
ただ、それが行き過ぎると厄介だってこと。
行き過ぎるとは、他人を妬んだり恨んだりすること。
羨むことも入るかな。
情緒不安定でいつも泣いているとかね。」
私「では、私の腰が痛いのは、そういう余計なものが蓄積されてのことですね。
わかってはいるんですけどね。
自分に厳しすぎるというのはないですか。」
ラ「人間、大体の人が自分に対して厳しいんですよ。
こう、もっと、リラックスすればいいのにね。
何で、厳しく、難しくしていくのか。
自分をもっと労わってください。
あなただけではなく、これはみなさんに言えることです。
後、他人の表面だけ見ないでください。
まあ、ある意味、第一印象は当たっているのですが、その第一印象の通りの人だと思わせるまでにいろいろなことがあったわけですよ。
相性の問題もあるので一概には言えませんし、みんながみんな善人だと言えるのかどうかということもあるので、これ以上は言いませんが。」
私「では、自分をもっときれいにするために、私は何ができますか。」
ラ「落ち着く時間を持つこと。」
私「今のこの状況で、それは少々難しいですがやってみます。
他には何かありますか。」
ラ「自分を見つめてください。
自分と向き合ってください。
あなたと夫との前世をもっと見てください。
今の状況の突破口になり得ますよ。」
私「自分と向き合おうと目を閉じ、半瞑想状態になるとほぼ100%の確率で幼い私が泣いている姿が見えます。
これはずっと見続けていくと何か見えますか。
もしかして、自分で嫌な感情や思いが出てくるのが嫌で反射的に見るのを止めているのでしょうか。」
ラ「もっとずっと見つめてください。
何も他のことが見えてこなくてもいいのです。
ただもう少し長い間見つめてください。
見えなくても、何か感じることがあるでしょう。
そこから他の何かに導かれて行くかもしれないですしね。
もっと新しい発見があるかもしれないですよ。」
私「では、自分に集中して、とはどういうことですか。」
ラ「あなたもお分かりの通り、今、あなたは気もそぞろな状態です。
もっと自分を大切にしてください。
家族が大切なのはわかります。
でもね、笑っている、自分が大好きなあなたがいてこその家族なんですよ。」
私「わかってはいるんですけどね。
自分に集中することに対して私ができることは、やはり、落ち着くことでしょうか。」
ラ「そうですね。
あとは、ひとりでいる時間を設けること。
これはとても大事ですよ。
自分と向き合う、見つめるときにもひとりで静かにやってほしいので。」
私「わかりました。
いつもありがとうございます。」
ラ「はい。
最後に、もっと外に出て、空を見つめてください。
お願いします。」