数年前、ボロボロだったわたしが一人 千葉の山奥に瞑想合宿に行った話
みなさん瞑想はしますか?
時間があるこの期間、大量の情報と非日常の生活への疲れのリフレッシュの一つに、瞑想にトライしてみてはいかがですか?
というわたしも、したりしなかったりなのですが、この期間に瞑想のことを見つめ直したので。
今日は数年前に行った”瞑想合宿”の体験談を書きたいと思います。
ジュリアロバーツ主演の映画『食べて、祈って、恋をして』の中に、主人公が経験する”聖なる沈黙”瞑想法というのが出てきます。
わたしが経験したのはまさしくアレです。ピンときた方もいっらしゃると思います。
”ヴィパッサナー瞑想”
”ヴィパッサナー”とはインド語で ”ものごとをありのままに見る” という意味だそうで、インドで最も古い瞑想法だそうです。
10日間、誰とも話さず、携帯もテレビもラジオもない山奥のテント(わたしはテントを選びました。普通の寮も(二段ベッド)もあるそうです)で寝泊まりしながら、ひたすら瞑想をする合宿です。
その時のわたしは、割と長く付き合ってた彼と別れ、精神的にも肉体的にも本当に本当に酷い有様でした。
仕事もほとんど手につかず(というか変なスイッチが入って表現者としては逆におもしろかったと今になって思うけど笑)、ご飯は食べられずガリガリになり、いろんな感度がするどくなっていて全てにおいて過剰。過敏。過度。な状態でした。
そんなボロボロになった女がまず求めたこと
①自然の中に身を置きたかった。特に静かなところに行きたかった。
②インプットとアウトプットの循環を止めたかった。
③人生でそうない経験・今までしたことのないことを体験をして大きく好奇心を刺激したかった。
③は特に”今思えば”という感じで、意識する前に本能的に求めていたような気がします。今でもたまに出る症状です。笑
まぁとにかく今ある周りの全てから距離を置きたくて気がついたらこの合宿の予約をしていました。
※ヴィパッサナー瞑想HP
(コロナで予定していた全コースキャンセルだそうです)が気になった方用に。
わたしが書くのはあくまでもわたし主観の体験記なので詳しくはこちら見てください。
まぁ、普通に考えてボロボロ女がよくわからない合宿に行くとなったら、周りは心配しますよね。
わたしの時も両親はもちろん、友達も本当に心配してくれて合宿に行く前日にご飯会をひらいてくれたりしました。
たぶん本気で心配で、みんな割と強めに止めにかかっていたと思うけど、(そんな友達がいることにいつも感謝してます。)
あの時のわたしはもう ”合宿に行く” ”決めたことはやる” と謎の頑固さと、これ以上悪いことは起きないという変な前向きさで、翌日颯爽と合宿場に向かいました。
わたしが行った合宿場は千葉県長生郡というところで、ちーばくんの左脇あたりに当たるところ。
5月末〜6月頭の初夏の時期だったので向かう電車の中は気持ちよく、窓からビル群の景色が田園のポストカードのような眺めに変わっていくのをただ見つめていました。
本来ならとても興味深いことのはずなのにその面白さもあんまり感じられないことに、また自分をつまらなくさせて、何か音楽でも聞こうかと探したけど聞きたいものがなくてやめた…そんな記憶があります。(めちゃめちゃ暗いですね笑)
ちっちゃなスーツケースにジャージ・下着類とタオル。長靴と懐中電灯と時計は必須でした。あと石鹸類だけ。
到着して、オリエンテーション。細かい生活のルール説明と安全性と緊急時のこと。登録などを済ませて、この瞑想法の由来と心得。※HPに載ってますので気になる方は。
そして、持っているスマフォや携帯、本やメモ帳、ペン、財布。インプット、アウトプットものは全て預けます!!!
ここから10日間、スマフォも見ずに誰とも会話しない生活。衣食住が揃っているとはいえ、周りには青々とした森とぐるっと覆いかぶさる美味しい空気しかなくて。。
10日間ですよ!!!
もちろん基本的には外出禁止。
会話なし!スマフォなし!音楽なし!仕事なし!やることなし!
ONLY瞑想
今思い返してもよくやったなぁと思います笑
だけど、こんなこと人生でそう経験できることじゃない!とても興奮しました。
わたしが参加したコースは多分男女それぞれ20人づつくらい?スペースは男女分かれていて、瞑想をするホールだけ一緒です。が、入り口も座る場所も別れてるし、基本アイコンタクトも控えるので、男性のことはこれっぽっちも記憶にありません。
カップルで来られてる方もいたようです。(帰る前に知った)
女性はやはり10日間一緒に生活していると、「あ、隣のテントの子だぁ〜」とか「いつも一番にホールにいる人〜」とか「妊婦さんだ!すごいなぁ」とかコミュニケーションなしでも認識、そしてなんとなく通じるというか相手にもこのくらいは受け入れられてるなぁみたいなことがわかってきたりしました。
聖なる沈黙の瞑想法は基本的に ”呼吸を見つめる” ことです。
この瞑想法は何かの宗教や修行や儀式とは全く関係のない。
むしろそれらから切り離されたとてもフィジカルに特化した瞑想法です。(なので興味があったし、続けられた。)
とにかく”呼吸を見つめる”
指導者のもと10日間できちんと段階を踏んで瞑想を学べるようにプログラムされたコースです。
”呼吸とは人間の体の中で唯一、コントロール出来るし・アンコントロールでも働いてくれる仕組み。
コントロールとは、例えば今タイピングしてる指。物を取る時の腕。当たり前に動作に使っている体です。
そして、アンコントロールは意識せずにも働いてくれる心臓や内臓です。
”呼吸”はどちらの要素も備えています。
だから体への唯一の”架け橋””
↑↓あくまでわたし的な説明
優しく目を閉じて、鼻の穴から自分の呼吸がどのように行われてるのか、呼吸の深さや温度や早さや強さや、いろんなことを見つめ/観察します。
ただ観察します。
ただ観察する。
呼吸をただ観察する。
無理せずですが、約1時間のセッションの間、1度自分をセットしたら出来るだけ長い時間続けられるようにします。
やり方はこのあと色々と発展するのですが。(マスターでもないし説明できないのでとりあえずこれだけ。でも十分だと思います。)
この ただ観察する ってすごく難しいことで。
わたしは、何かと自分という人間の 意見・考え・個性・創造性など への執着が半端なくて、それも純粋な探究心なら楽しいのですが、純度が落ちて苦しい時もたくさんあります。
そんな時に、この呼吸を見つめる瞑想法をすると、すぐに自分をジャッジしたがる思考の癖にぶち当たります。
でも、そんな障害が来てもそれに気づいたことを1度受け入れ、また呼吸の観察に戻って行きます。
その人の癖、その時によって、色々と出てくるものは違うと思いますが、
とにかく1度受け入れて、
手放して、
過去でも未来でもなく
今を
観察します。
焦らずに。
10日の間にいろんなことを感じました。
五感がそれぞれ優しく向上していくのがわかったし、人間というか動物としての自分とも向き合えたように思いました。
合宿が終わって、初めてスマフォの画面を触った時はすごく奇妙な感覚になりました。
駅に着いたら、いろんなものが混ざった匂いに鼻がびっくりしたし、電光の明るさにちょっとだけ目が怖気付いたりしました。
でも、前を向く姿勢が、後ろから心地よい風で支えられてるような、軽く、そしてたくましく自分を運んで行けるような足取りになりました。
その後
あの合宿の経験がいつもわたしを勇気付けるし、また行きたいなと常に心で思い出していて、そのスペースが自分にある限り大丈夫だなぁと感じています。
いつかこのコロナの期間も、こう思える経験になったら良いなと思います。
わたしのクラスはこの瞑想合宿での経験も取り入れてます。よければ。
コロナになって、一度立ち止まる機会を得たので、よかったら”瞑想”やってみてください。