インタビュー第一弾、早尾貴紀氏『思想史の観点から見たイスラエル/パレスチナ』
新型コロナウイルスの影響で、弊団体もリモートでの作業が強いられています。しかし、このような状況だからこそ我々に出来ることはないかということで、日本やイスラエル・パレスチナで中東に関わる活動を行う方々にインタビューを行う企画を新たに設けました。
名付けて『What is Israel/Palestine for me-私にとってのイスラエル/パレスチナ』
今回は、ディアスポラ研究の第一人者である早尾貴紀氏にお話を伺います。イスラエル・パレスチナに関わるだけでなく、広く「国家とは何か」を追求している早尾氏。今回は、そんな早尾氏がなぜディアスポラ研究者の道のりを歩むことになったのか、その経緯も含めてお聞きしました。
インタビュー内容は、4月10日にSkypeでお話を伺ったものになります。
目次
- 国家とは何か。思想史的にみたイスラエル・パレスチナ
- 学部時代に感じた、「哲学的テーマ」への違和感
- 歴史修正主義が蔓延する激動の90年代を経て
- 思想家の生い立ちや背景に目を向けることへのこだわり
- 私たちと中東の関わり方とは
- 日本人の政治的無関心は、実は歴史的に組み込まれた共同体主義?
インタビューの様子。インタビューは終始和やかに行われた。
国家とは何か。思想史的にみたイスラエル・パレスチナ
ー現在の研究内容を教えていただけますか。
今現在の研究というと、大きく分けて二つあって、一つは直接的に、イスラエル・パレスチナに関係してくるものです。最近出した本で言いますと『パレスチナ/イスラエル論』が、それから少し前の本で言いますと『ユダヤとイスラエルのあいだ』がこれに相当します。
早尾氏著書『パレスチナ/イスラエル論』、『ユダヤとイスラエルのあいだ』
僕の研究はこのように予めフィールドを決めていますが、地域研究ではありません。地域研究といえば現場でフィールドワークをし、歴史家といえば一次資料を使って文献を発掘して書いていくでしょうし。あるいは政治学で言えば現代のパレスチナをめぐる中東和平の政治の動きを分析すると思います。
そのような様々なアプローチの仕方がある中で、僕自身は根本的にユダヤ民族とはどういう存在で、ユダヤ人国家の設立は彼らにとってどのような意義があるのか。ユダヤ教の思想やユダヤ人の迫害の歴史の中で、あるいはヨーロッパを中心とした近代国民国家形成の過程でユダヤ人国家としての “イスラエル”、ユダヤ人国家を持とうとする運動としての “シオニズム”がどのような意味を持つのかを思想史的に捉えていくことを行なっています。
同時に、ユダヤ人の側の視点だけでなく、イスラエルの建国の結果生まれたパレスチナ難民や軍事占領下に置かれた、国家を持たざる民族としてのパレスチナ人、つまり、主権国家や国民という枠からはみ出た存在としてのパレスチナ人についても近現代の中でどのような意味を持つのかということを社会思想史として思想的、歴史的、政治的に捉える、ということが僕の研究の一つです。
また直接的にはパレスチナ・イスラエルと関係しているわけではないのですが、もう一つの研究分野はこちらの二冊の本に関係してきます。(国ってなんだろう、希望のディアスポラを提示)
早尾氏著書『国ってなんだろう』、『希望のディアスポラ』
日本、東アジア、もちろん日本といっても日本が一つというわけではなく、琉球沖縄、北海道アイヌの地も含めて日本の近代国家形成は世界の中でどんな意味を持つのか。 “日本人”という共同体が実体としてあったわけではないんですよね。
それはやはりヨーロッパ近代の国民国家形成と深い関わりがある。欧米世界の東アジア地域全体に対する進出、我々からするとWestern Impactとして欧米世界と出会う。その出会い方っていうのは牧歌的な、生易しいものではなくて、すごく強烈で、異質な力を持った国家としての欧米世界と出会い、強い近代化という圧力を受けるわけですね。
そして東アジア諸国が対応を迫られた。東アジア地域の近代化はヨーロッパとの対峙だったわけです。そのプロセスの中で戦争もありましたし、植民地獲得競争のような膨張主義もありましたし、実際、植民地支配もありました。様々な暴力的な力が働きながら、東アジアの近代化というプロセスがある。ヨーロッパからの圧力も受けながら、東アジアの中でも軋轢や、支配/被支配の関係、そして支配に対する抵抗を積み重ね、東アジアの近代が模索された。その中でたくさんの移民や難民が生まれ、国境が敷かれたことによって民族が分断される。そういったことが、東アジアでもたくさん起きてきたわけです。
その中で今あげたこの二冊は東アジアのことと、欧米、中東世界を広く含めた密接な動きを描いています。そういう意味で僕の研究のもう一つは近現代世界での同時代史と位置付けることができますね。つまり、近現代史の国家体制と、国民とは何か、同時に国家の枠から排除された人たちあるいは主体的に越境する人たちのことを研究する、というのを国家研究あるいはディアスポラ研究として行なっています。
学部時代に感じた、「哲学的テーマ」への違和感
ー今のフィールドに興味を持ったきっかけは何ですか。
僕は文学部の哲学科哲学専攻でした。その時はナイーブにも、哲学的なある種の真理への憧れがありました。世の中に見えているものは全部仮のものなんですよ。どんなものも変化を免れなくて、永遠のものなんてないわけですね。それは国家であれ民族アイデンティティであれそうですね。しかしそういうものを超えてある種の真理のようなものがあるのではないかと。古代から現代に至る哲学者はきっと考えているんだろう、人間とは何かとか、ですね。
実存主義哲学というのもありますけれども、国境に分断されているような、この世界だって絶対不変なものではないわけですね。それから “日本人”であるというこの感覚でさえ、歴史的な形成物であって、変化していく。それから哲学者たちは自分とは何かということさえも、思考の対象にしてしまいますね。そういうような、全てを根本から疑うみたいな哲学に憧れていたわけですよ、ナイーブにも。
ところが、そういった哲学者たちの多くはユダヤ系だったりして、民族の問題に対峙していた。『我と汝』を書いたブーバーでさえ、ヨーロッパの中ではユダヤ人として、ユダヤ教徒として、キリスト教世界の中のマイノリティとしてこの哲学を構築している。
ハンナ・アーレントもそうです。ヨーロッパの中の多くのユダヤ系の哲学者たちが、ユダヤ系であるというバックグラウンドを持ちながらも自身の哲学の理論を構築していった。こういった哲学の理論、哲学的な書物は、実はその背景にはこのヨーロッパ世界の中のキリスト教マジョリティを、暗黙のうちに最も正当な国民と見なすような近代国民国家体制があって、その中の居心地の悪いマイノリティとして、 “国家”とはなんなんだ、 “民族”、 “国民”とはなんなんだということを考えざるを得なくて考えている、ということがあるわけですね。
ところが哲学科哲学専攻にいるとそういうことをあまり主題にするわけではなく、やっぱり抽象的な議論に持っていこうとする。それは違うのではないか、と思いまして。それで哲学科、哲学専攻を外れていったということがあるわけです。これが、現在の研究に至った理由の一つです。
アーレント(左)とブーバー(右) 写真提供:Wikipedia
歴史修正主義が蔓延する激動の90年代を経て
ところでもう一つ、時代背景的なものがありまして。1993年(大学)入学なんです僕は。それで93年は言うまでもなくオスロ合意の年です。それは僕にとってものすごいインパクトがありました。当時はオスロ合意で中東和平だ、という瞬間的な浮かれ騒ぎがあるわけです。「これでパレスチナには平和が訪れる」といった言説が社会を覆いました。そして実際にその年のノーベル平和賞をオスロ合意の当事者たちが貰いました。しかしその時からパレスチナ・イスラエルに深く関わってきた人たちの間では、その当初から、「こんなの和平の名に値するものなのか」と既に言われていました。それがまず一つあります。
1993年に行われたオスロ合意 提供:Afpbb
そして、95年に学部三年を迎えますが、95年は戦後五十年の節目です。その時にものすごく “戦争の記憶”が議論されます。人文社会科学分野全般で大きな議論になりました。それは、歴史修正主義の問題も生み出しました。日本はいつまでも第二次世界大戦の戦争責任、植民地支配の責任を問われ続けてきているわけです。
そのことに対する反発というものが、日本社会の中から強く出てきた。もはや戦後じゃないし、もういい加減にそういう言葉を聞きたくないと。さらに「日本の植民地支配というのは、中国や朝鮮半島に近代化をもたらす良いことだったんだ。」、「日本の戦争というのはヨーロッパに対する抵抗であって、アジア侵略ではなかったんだ。」、ということを言い出す歴史修正主義者が95年を境に増えたんですね。それが “新しい教科書をつくる会”とか小林よしのり『戦争論』とかという形で、すごく流行りだすわけです。つまり植民地支配とか、帝国主義という問題を、日本の加害という視点ではなく、「日本はヨーロッパの東アジア進出に抵抗しながら、東アジアを解放しようとしたんだ」と正当化しようとしていたわけです。そのあたりのことがとても影響として大きいんですね。
僕の場合は、やっぱり学部時代に世界が大きく動き始めたように生々しく感じました。93年にオスロ合意と言いながら、95年にラビンが暗殺されちゃうわけですよ。冷戦でアメリカの資本主義が勝利し、これからはグローバリゼーションの時代だ、と言われたのも90年代な訳ですよ。しかしそう言われながら、実際には紛争があちこちに勃発していく。例えばユーゴスラヴィアやルワンダの内戦だとか。同時に戦争の記憶を忘れようとすればするほど記憶は亡霊のように回帰してくる。まだ当事者も生きています。
そこでアーレントなんかの読み直しがくるわけですね。アーレント研究のブームはその文脈でも来たんですね。「忘却の穴」という風にも言われましたが、アーレントはホロコーストの記憶が抹消されることに対して抵抗したわけですね。『エルサレムのアイヒマン』なんかもそうですけれども。そのアーレントを読み直そうという動きが日本の場合95年頃の “戦争の記憶”に関する論争の中からくるわけです。例えば高橋哲哉さんとかですね。それが90年代にあったというのがきっかけですね。
もっと歴史とか、政治とか、紛争とか、そういう生々しいものに学問がコミットできなければいけないのではないか、ていうのをやはり考えるようになったのは90年代の時代性であり、きっかけですね。
思想家の生い立ちや背景に目を向けることへのこだわり
ー私も哲学思想に関心があったのですが、だんだんと思想はその哲学者個人の意見であって、それを採用する世論が量的にどれくらいあるか把握して全体像をみるべきなのではないかと思うようになってきました。早尾さんとしては “理論”部分に研究主軸を置きながらも、イスラエル、パレスチナというフィールドを決めて研究していると思うのですが。手法や研究結果を出すときになぜそこ(思想分野)に決めているのですか?
僕は哲学から入ったとか、思想に関心があるという志向性もあると思うんですが。もっと説明をすると、ある一人の思想も、それは色濃く時代と状況によって制約されているといいますか。悪い意味ではないですよ、その人は一人で社会から切り離された中で思想を形成しているわけではないんですね。自分ではそう思っていたとしても、その人が所属している時代と地域性に必ず制約を受けます。人間の意識をどれだけ純化させていたとしても、です。
人間の思考は自由ではなくて、言語を思考の手段として自由自在に使いこなしているのではなく、言語によって規定されている。もちろん純粋言語は存在しなくて、我々は日本語で物事を考え、日本語に思想形成を色濃く影響されます。やっぱり日本社会のこの時代に影響を受けているわけです。
ですから僕がアーレントやブーバーといった哲学者について考える時、ものすごく彼らの生きた時代、バックグラウンド、地域性、民族性、家庭の成育歴に影響を受けている、と自覚的になった。だからこそ、この哲学者はやはりユダヤ系の家系の生まれとして、近代国民国家形成の時代にドイツで、フランスで、アメリカで生まれ育ったからこそ、その思想が形成されていったと思っています。
一人の独立した思想、主義というのを見ているつもりはないんですよ。その人のバックグランドや思想の形成過程を通せば、その背景が反映されていると思っています。
例えばジャック・デリダをとってみても、90年代は “脱構築の人”だともてはやされましたが。
仲正 昌樹著『〈ジャック・デリダ〉入門講義 』よりジャック=デリダ
デリダってアルジェリア出身の、アルジェリアの中でもユダヤ系のマイノリティで。そして植民地支配の時代にフランスの植民地下のアルジェリアで、フランス国籍を持ちながらアルジェリア人、そしてユダヤ人としての生い立ちを持っているわけですね。しかし独立戦争があり、それがきっかけでフランス本国へ彼は移住します。そこで一時的にフランス国籍を喪失し、それを取り直すんです。そういったプロセスというのははっきりと彼の中に反映されていると思います。ですがやっぱりいろんな現代思想が好きでやっていますという人はそういう背景まで見ないですね。そこで僕はデリダ研究というものが、 “哲学”、 “現代思想”、 “脱構築思想”という中で語られることに非常に違和感があります。
ー今までのイメージだと早尾さんの研究は “シオニズム”という主義に対する分析であると思っていたのですが、 “シオニズム”を唱えた思想家各々の背景を含めた分析ということになるのでしょうか。
僕はそうですね、どちらかというと人に焦点を当てて分析するところがありますね。シオニズムといっても結局はテオドール・ヘルツルだとか、具体的な名前が挙がるわけですが、その人がどういうバックグラウンドを持っていて、どういう地域でどういう思想形成をしたのかということに関心を持ちますね。だから、マスで統計的にデータを取ったりという手法は僕は取りませんけれども。しかしそのマスと個人の思想家っていうのは相互に強い影響関係があると思っています。
ー今お話を伺って、それぞれの哲学者の思想形成の過程にはバックグラウンドや時代背景、地域性などが影響しているとの事だったと思います。その際、早尾さんの関心の中には哲学というものさしを使って、ユダヤ人の世界観を垣間見るというのが関心の一つにあるのでは、と思ったのですが、その点に関してはどうお考えですか?
ユダヤ人/ユダヤ教徒とはどういう存在なのか、ということを考える特にヨーロッパキリスト教世界で迫害を受けたユダヤ人、その迫害を受けたユダヤ人が外に居場所を求めたのがユダヤ・ナショナリズムであり、実際に国家建設を目指してシオニズム運動へと発展していった。この運動そのものではなく、ユダヤ人を特殊な存在として迫害するような、ヨーロッパの中の反ユダヤ主義の研究もします。
なぜなら、ヨーロッパにおける国民国家形成の過程と、反ユダヤ主義は表裏一体だからです。そしてこの反ユダヤ主義がシオニズム運動に繋がっていき、このシオニズム運動がイスラエル建国に繋がっていった。こう考えるとヨーロッパにおける国民国家の形成とイスラエルの建国は密接に繋がっています。
このことについてユダヤ系の哲学者はどのように考えていたのかを研究したのが『ユダヤとイスラエルのあいだ』という本になります。政治家や政治運動を担った人たちではなく、哲学者たちの思考を読み解く。純粋な「ユダヤ人国家」を建設するというプロジェクトがはじめから存在していたわけではありません。迫害を受けた哲学者たちはそれでもなお、ヨーロッパのキリスト教社会でいかにマイノリティーとして共存していくか、という点について模索もした。
これが不可能だとなったときに、では自分たちはパレスチナという土地を選ぶのか選ばないのか考えた。パレスチナという土地をユダヤ人が独占的、排他的に暮らせる場と捉えていた人たちばかりではなかったんですね。そもそもパレスチナという土地を選ばないという考えを持っていた人たちもいたわけです。パレスチナという土地を選ぶにせよ、ヨーロッパから移住したユダヤ人と先住民としてのアラブ/パレスチナ人との関係を考えなければならない。その時、どういった共存の形があるかを相当考えています。
その時期において思考もぶれて、変化しているわけですね。その思考の変化やぶれ、あるいは自分(哲学者)の中の矛盾、一見矛盾に見えるが、ある種の誠実さの現われだったりだとか、逆に不誠実さの現われかもしれない、そのような思考を後付けていく、分析していくというのが思想史だと考えています。
私たちと中東の関わり方とは
ーなぜ、「日本人」が「中東」に関心を持つのか、または持つべきなのでしょうか。
答え方が難しいですね。全員が関心を持つべきだとも、持たなくても良いとも言い切れないですし。『国ってなんだろう』という書籍を出したように、僕が日本国民としてこの国でマジョリティとしていられるということ、と、中東問題は19世紀後半から同時代性を持っているんです。
一次大戦の前の帝国主義の時代にも同時代性を持ち、日露戦争(in 朝鮮半島)と、米西戦争(in フィリピン)と、ボーア戦争(in 南アフリカ)と、ほぼ同時に起きているわけですね。ぶん取り合戦のフィールドが違うだけで、同時代的なわけです。そして地続きに世界大戦になっていく。
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例えば中東に行くと、特にアラブ人から、日本は中東で悪さをしていないので、アラブ人は親日的だと言われるんです。しかし、日本が中東で悪さをしていないことと、東アジアにおいて特権的に植民地的、帝国主義的な領土拡張をしたこととは、表裏一体なわけです。
つまり、日本とイギリスはそこで手を結んでいて、「日本はインドより西には手を出さない、その代わりにイギリスは東アジアには手を出すな」というような相互協定が日英協定にはあるわけですよ。だから、例えば委任統治問題も、パレスチナの委任統治をイギリスに認めることと、南洋群島の委任統治を日本に認めることは、同じ会議の場で、相互承認をし合って決まっていることなんです。南洋群島はドイツから、パレスチナはオスマン帝国からですね。そこで、ドイツ帝国とオスマン帝国は同盟関係でしたが両国ともに負けたわけですね。そして、彼らが持っていた領土や植民地を第一次大戦の勝国である日本とイギリスとフランスが分割する。その時にパレスチナを含む中東をイギリスとフランスが、南洋群島を日本がもらうよ、との事をお互いに承認しあったわけです。
そういう点で、日本の植民地支配と、ヨーロッパ諸国による中東の分割は、タイミングが同じなだけではなく密接に関わり合っている。それらを関連付けて考えた方が色んなことがクリアに分かりますし、ひとごとではないんですね。だから、アラブ人は親日的で良いという話ではなく、日本が東アジアで悪い事を沢山やったことと、イギリス、フランスが中東に対して手を突っ込んでズタズタにしたことは同じことであると僕は思っています。そういうことで、中東地域に関心を持つということの中には、少し強い言葉ではありますが責任の一端を持つことにもつながっていると思います。それは、近代史的な観点ですね。
もちろん現代史、特にオスロ合意以後に関してはアメリカ合衆国の中東政策に対して日本はアメリカの同盟国としてある種加担もしている訳ですね。そういう意味でも責任がある。また、僕はちょうど2003年のイラク戦争の時に、ヘブライ大学にいました。僕の場合はアラブ人とも付き合いが多く、しょっちゅう「なぜ日本はアメリカと一緒になってイラクに攻撃に行ったんだ、自衛隊まで送り出して」「せっかくアラブ諸国の間では日本の評判はいいのにアメリカと一緒に加担したら日本の評価がガタ落ちになるぞ」と言われ、自分の意見を求められたこともありました。そこで日本はアメリカの中東政策に関して共犯者に近いとアラブ世界で見なされつつある、と実感したわけです。折角日本は中東に対して第三者的で、政治的仲介や支援がやりやすいとまで言われていたのですが、そのメリットをどんどんなくしてしまっている。このあいだの安保法制でアメリカとの軍事同盟を強めてしまっていることについては、とても問題が大きいと思っていて、歴史的な責任だけでなく、現代の政治的な責任も負っているな、とも思っています。それが、現在の中東に関心を持つことに対する答えになりますかね。
日本人の政治的無関心は、実は歴史的に組み込まれた共同体主義?
ー日本人は兵役もなく、教科書でも東アジアに対する日本の歴史などを深く扱うこともなく、政治的責任を感じる機会は薄いと思うのですが。どちらかというと個人主義というか、これからの生活をどうしていくかといったことに関心が赴いているように感じます。そういったことについてはどうお考えですか?
本当に難しいな、(笑)。若者はノンポリでとか、生活保守的でとかね。いや、若者だけではないですよ、僕の周りの40代だってほんとそうですよ、マジョリティは。生活保守で、半径10mくらいにしか興味がないだとか言われます。だから関心が持てないことに対して関心を持てというのは難しいというか、無理だろうとも言われます。そしてそれに対する特効薬なんか誰も持っていません。
ですが個人主義だと思っていることが、実はとても日米共同体の、共同体主義だ、ということですね。それは戦後の構造の中に深く組み込まれた中での政治的無関心なのです。つまり、東アジアと関係を作らないようにしてきた戦後70年くらいの積み重ねなんですよね。 僕は今ブックカフェにいるんですけど、そこでは読書会をよくやっています。
提供:早尾氏
今は竹内好氏(中国史を研究している思想家)の本を輪読していますが。 「日本は東アジアとどうして仲良くできなかったのであろう」という失敗の歴史を学んでいるわけです。日本は戦時中は中国に対する侵略戦争をやり、戦後はアメリカによる強い軍事占領下に置かれた。アメリカの顔色だけを伺い、戦後改革をやったり。途中で止めて、結局改革を進めるよりは、東アジア冷戦の最前線で中国と北朝鮮とソ連のいる中でアメリカの軍事的基地になれと、アメリカの役に立てと、強い影響を受けてきました。そのおかげで日本は戦争の歴史、東アジアとのギスギスした歴史を考えずアメリカと仲良くしていれば良いということ、つまり経済的繁栄だけを追い求めればいいということを考えてきたわけです。だから僕らが消費社会で個人の問題だけを考えていれば良いというのはアメリカ的だということでもあり、実はそれ自体が裏返しで言えば政治的に作られた “無関心”なんです。
だからその無関心に対して関心を持てというのは難しい話なので(笑)。ここで読書会をやっているといっても合わせて20人くらいが参加してくれる程度です。でもそれでも普通の一般市民ですね。会社員や主婦や教師やパートの方も参加してくださっていて。そういうものを地道に積み重ねるしかないかな、と思っています。
ーありがとうございました。
聞き手:伊藤、高柳
まとめ
国や国民、民族といった概念は可変的なもので、それぞれの時代、地域に応じて変化していくものです。その意味においてイスラエル・パレスチナは我々にとって当たり前だと思っていた常識や規範が変わりゆくものであることを教えてくれているような気がします。また我々にも政治的、歴史的な責任があることを改めて実感するきっかけも提供しています。
新たに、番外編として今回の記事に載せきれなかった質問とその返答を小記事にまとめて載せる予定です。そちらも合わせてご覧頂けますと幸いです。
今回インタビュアーは伊藤、高柳が務めさせていただきました。
そしてインタビューを快く引き受けてくださった早尾さんに改めて感謝申し上げます。
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また、ブックカフェでの読書会も随時参加者を募集しているとのことなので、ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか。
▶︎詳細はこちら
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別記事に募集要項を詳しく載せておりますのでそちらをお読みの上、奮ってご応募ください!!