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松浦信孝の読書帳

ごめん、嘘ついてたわ。

2020.04.27 08:00

最近、コロナより別のものが怖い。それは人間だ。


自粛しない人間は晒し上げても良い。苦しんでも構わない。全ては自己責任。


幼稚な社会の暴力性が、「大衆」を「衆愚」に変える。


「学校」という装置の教育が全国くまなく浸透した結果だろう。


昔、朝礼で「はい、皆さんが静かになるまで4分58秒かかりました。」と言う先生が、いた。


この風潮の終わった後で政治家はしれっと「はい、皆さんが自粛するまで2年と半年かかりました。」と言うかもしれない。


連帯責任、という機能は考えてみると学校の中にしか無かった。社会に出たら責任を取るのは個人だ。


怒りの対象を間違えるな、五輪を優先して初動を間違えたのは誰だ?


自粛に必要な最低限の保障も渋って人民の「良心」だけで切り抜けようとしたのは誰だ?


政府に文句を言え、という意味では無い。ウイルスを運ぶと恐れて、医療者やその家族、配達してくれる物流の人々に八つ当たりをするのも違う。


問題はそもそも誰に怒るかとかじゃない、この状況に、このスローガンに、そもそも、疑問を持つことだ。


二者択一の試験問題を解くのとは訳が違う。どっちが正しい、じゃない。どっちも間違っている可能性だってある。自分の頭を使って、自分は何を優先したいか考えなきゃ、人間じゃない。


医療者の視点に立つと、自粛せず外出している人間は憎くて仕方が無いだろう。自分が命を懸けて戦っているのに、仕事を増やして、仕事の邪魔をして、何様なんだ、と腸煮えくりかえっているかもしれない。


しかし、個人商店、企業主の視点に立つと別の正義が立ち上がる。命を危険に晒しても、商いで一定の収益を出さなければ、店は、会社は潰れる。自分の命、家族の命どころか、従業員、従業員家族の命も危険に晒す羽目になる。それはコロナ感染という目に見えにくいリスクよりも緊急必要で、目前に迫ったリスクだ。雇われの身には分からないかも知れないけれど。


娯楽に突き進む人々も、ニュースの視点からは滑稽で、邪魔をする存在に過ぎないかも知れないが、そういう人たちが支えている企業もある。この際内容の貴賤は別の問題になる。


自粛は我慢ではない、優先順位を考えた上での、一人の人間としての選択肢の1つだ。


それを選んだ大衆が、それ以外の選択肢が最初から無いことに、問題がある。


「考える必要も無いくらい当たり前」に見える選択肢の裏に潜む、「全体主義」という落とし穴に向かって国中が突き進んでいく。


「疑いようのないくらい当たり前な選択肢」ではあるけれど、行政がそれを言うのか?


「Stay Home」は妥当な判断かも知れない、けれどその先に失ってしまうもの達について、一度は考えたことがあるだろうか?


身の回りで、自粛が始まってから姿を消した個人商店が、いくつあるだろうか?


終息した後、町に出て初めて、失ったものに気付く人もいるかも知れない。真面目に自粛していればいるほど、そのショックは計り知れない。


「じゃあ自分は自粛やめる!」という短絡的な結論に導きたいのではない。テレビを消し、ツイッターを閉じ、未来への不安を一度捨て去って、クリアな頭で考えて欲しい。


今起きていることは何だろう、これは自分達に何を教えているのだろう、と。


この宿題の答え合わせは、コロナ後の世界でいつか、また。