天下七本槍〝片桐東市正且元〟居城と古の龍田12
2020.04.25 09:28
龍田宿町場三つの坂―
猫坂と加護(駕籠)屋坂と丹後坂
町場の入り口龍田大橋から鉤形に奈良街道が折れる坂が「猫坂」、猫の背の様に人も背を丸めて登っていく坂である(龍田城の普請割りの一つ)。町場は、矢田丘陵よりの南北の尾根を切り開いて谷を造成しているので起伏があるが、起伏を下がる坂を「加護屋坂」と称し、駕籠屋が軒を連ねていたのだろう。さらに龍田神社を過ぎ町外れの坂を丹後村の坂で「丹後坂」と称したと言う。龍田町場は奈良街道を中心軸にして東西に長く発達しているが、元々東の神社側が中世以来の古町で、西が且元が町割りした新町である。今は東古町・西新町と呼ばれている。
町場は参勤交代の街道宿場では無いので陣屋や脇陣屋などと言うものは無かったが、幕府巡検使の通行がある。中でも宝暦10(1760)・天明7(1787)・文化8(1811)・天保9(1838)年などに幕府役人の諸国巡検使・龍田法隆寺村巡見の宿泊所となった記録が残る。宝暦の記録を見ると鍵屋四郎左衛門・かしわや吉左衛門・立野や三郎平宅を本陣とし、ワたや彦兵衛・たばこや吉右衛門・畑屋山三郎・畑屋利兵衛宅を下宿、生駒や彦治郎・茜や清兵衛・天満や佐助宅を藤堂藩預所方役人宿・大工嘉介宅を村役人宿としており、主だった豪商家を借り出している。
【freelance鵤書林187 いっこうB12記】