天下七本槍〝片桐東市正且元〟居城と古の龍田14
熊谷千層と念仏橋の歌碑-
竜田川公園の雅橋
竜田川左岸念仏橋袂にある全く忘れられた句碑は「龍田山見て年月を田草取」と刻まれ、〝熊谷千層(くまがいせんそう)〟の歌で昭和14年に建てられている。また〝竜田山あたゝかなに紅葉ちらしけり〟があり、ここで云う龍田山は斑鳩立田山を詠っている。〝千層〟たる人物は、明治29年龍田町・熊谷隆家の九人兄弟の三男として生まれた斑鳩の彫刻家で郷土の俳人。龍田川保勝會として戦前に活躍した人物である。本名を〝吉谷左武郎〟といった。明治末から昭和期にかけての一種の〝斑鳩サロン〟が龍田で展開されるが、今も続く「斑鳩吟社」の同人の一人。道詮像彫刻や保勝會刊パンフレット・観光案内書・絵葉書などの刊行物に名が確認される。昭和24年逝去。享年53歳。
熊谷家九人兄弟は皆相当の俳人で、明治末期から松瀬青々・野田別天楼に師事した。長男機(俳号「玄楓楼」)・次男坂口正鑑(俳号「草堤」・明治27年生まれ・美術商、斑鳩吟社俳誌『斑鳩』刊・地方俳人の指導にあたる。野田別天楼序・富本憲吉装幀『真弓』、昭和40年逝去。享年70歳)・三男左武郎(俳号「千層」)・四男内証・五男直巨(丹波市町書店主)・六男亀寿・七男鐡夫・あと二人は女子。
大正5年9月に〝斑鳩吟社(松瀬青々主宰・會誌「寶船」)〟が聖霊院前鏡池の茶店があった場所に建立した、正岡子規の〝柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺〟(明治28年10月29日法隆寺と龍田川畔来訪)の句碑以来、〝子規會〟は、今も続き、104回となる(2018年現在/代表は西谷剛周氏)。
現在の竜田川公園(西ノ大川)に架かる橋は、北から念仏を唱えて渡ったと云う「念仏橋」(龍田枝村峨瀬の板橋・俗称業平道の〝業平橋〟)・「河藪橋」、天下の「龍田大橋」に遊歩道の朱も鮮やか「紅葉橋」「堂山橋」(堂山に昭和41年から40年程厚生年金奈良いかるが荘の保養施設があった関係で架橋)、服部道バイパスの「岩瀬橋」(昭和2年服部道完成)、御祓川下の「塩田橋」、俗称プール橋こと「油屋橋」(元の菜種油搾屋垣内前流橋。〝南ノ橋或は町田橋〟と新住民が付けている)である(途中昭和55年設置風船ダム:上・下井堰が二箇所あり)。
【freelance鵤書林189 いっこうB14記】