75歳になりました 3&4/ 平野公子
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緑内障と膝痛はここ1年くらいの新入りで、数年前から乳がん、数十年前から喘息と重症系もしっかり闘病中です。もともとあまり癌に恐さも執着も闘う気もないので、闘病というより持病ぐらいの軽い気持ちです。
喘息は数度肺炎で入院したので、こちらのほうがかなりツライ。息ができないことくらい悲しいことはない。きっと化物ウイルスコロナにとって、寄生する宿として最適なんでしょうね。
しかし癌になったときには可笑しかった。医者の前で乳から吹き出す血をおさえながら、これは癌ですと私の方がきっぱり申しているのに、医者はイヤ細胞診をしないと、なんども長い針を血だらけの乳に挿入、しかも細胞とるのに数度失敗してる。いたたたたぁ、だから癌です、ここで手術できないなら、すぐに転院しますから。こんなにしっかり患者の方から治療指針をだしているのに、メンツなのか仕組み上のことなのか、もうグダグダしたのでした、もうしらん。
やっと県立病院へいったとたん、一目見た医師はこりゃすぐに手術日とりますね、となった。それからはあれよあれと言う間に熱にうなされてる間に、左胸は全摘、ぬいめギザギザになったのです。
私は術後も平気で銭湯にも温泉にもいくけど、いちども手術跡のままの人にあったことがない。なるほどね、乳がんは手術後の形状が女性にはツライことなのがよくわかりました。
入院中にひとつだけ疑問がぁ、何故?があった。毎食の白米の分量がスゴイ。病院の栄養士さんの言い分、以前ご飯は少なめがいいとされていたのだが、ここ数年前から米粒こそ力の元、大いにたべてもらう、ということになったらしい。それにしても大盛り、讃岐米おいしかったけど。
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さて、思いもよらなかった事態で世界が一変した。わたしとて75年生きて始めてのことだ。そう新型コロナウイルスです。喘息がひどくなるし、倦怠感は日々増して来るし、微熱もある気がする、こりゃ私はコロナ感染しているかもとゴロゴロ自主自宅自粛ではやふたつき。
しかし匂いもあるし、味覚も変らないし、おさけも美味しい。あれ、わたしこれが平常なのかも、と近頃われに返る。
たぶん、未曾有の状況の情報を追う毎日に、私の頭もこころもパンクしてしまい、強いストレスをうけてしまったのだと思う。それが証拠に、昼間は咳で苦しいのに、黄昏時になるとやけに元気にシャンとしてビールなど買いに行くのだ。夜中散歩するのも大丈夫、どこまでもついてくる月と話しながら歩くので楽しい。それで上機嫌でひとりごち。コロナなんぞ恐くはないわい。死にたいとも死にたくないとも思わない。どちらでもいい。もし死んでも多分同じような世界に移動するだけだし、同じように遊んでやる。
遊び半分で生きてる自分のことはいいのだが、本当に世界の医療現場ニュースには胸がキュット縮む。 どこの国でもこどもたちが辛いめにあわないように、金、金、金まみれのひどい政府の犠牲にならないように、 普通の人々が普通に暮らせるように、望みは、祈りはただそれだけ。
ですがね、徐々にコロナが沈静していくとしても、これからの世界はどちらにむいていくのか解らない。新型コロナウイルス発生場所をめぐる米中の関係も不安だ。確かにシロウトが考えても武漢の市場から発生というのは、あまりにもそのごの伝播力をみると、不自然。しかし解らない。目に見えないウイルスと伝えられてない巨大国の陰謀がかいまみえたのが今回の恐ろしさを倍増している。
平野公子
メディアプロデューサー
「マルテの学校」企画運営
https://twitter.com/sora_kita