法隆寺を支えた宮大工の郷と国宝藤ノ木古墳6
国史跡藤ノ木古墳と寶積寺址―
奇跡的豪華国宝遺物出土
字藤ノ木・ミササキの藤ノ木古墳は、異様な径48m・高さ9mの巨大円墳だ。前方後円墳では有りえない。ミササキが物語るように陵寺(陵堂・墓辺寺)の「寶積寺」が幕末まで存在し、陵と伝承し大切に守られてきた(「寶積寺境内図」寶永6年・「宗源寺過去帳」安政1年)。周辺にあった五輪塔・箱佛残欠はこの寺を物語る遺物である(五輪塔は素人目にも墓石という認識から古墳整備に際して墓地の無縁墓石群の中に廃棄されてしまった。整備の際にも桟瓦が多く出土したと言う)。
調査に着手するまで5世紀の中期古墳と見られていた藤ノ木古墳を何といっても有名にし、日本中〝藤ノ木フィーバーの現象〟を招いたのは大形石室の発見と類を見ないユーラシア系の装飾豊な意匠を持つ透彫紋様豪華馬具一式が出土した昭和60年の1次調査(調査主体斑鳩町教育委員会)と昭和63年の未開封の石棺の2・3次調査であった。
調査は、奈良県立橿原考古学研究所主導で斑鳩町が協力して行われ、連日調査の様子がテレビニュースで流された。
主体部は、南東方向に開口している全長14mの両袖式横穴式石室で玄室幅2.7m・高さ4.4mを測る。石室に直交、奥壁に沿って内外面全面朱を塗布した四角の4つの縄懸け突起を持つ家形石棺が置かれていた。
石室からは、武具・鉄鏃等武器類と金銅装鞍金具等馬具は実用も含め3セット出土している。一部の広口長頚壷・高坏の土師器を除いて大半が無蓋・有蓋高坏・台付壷・器台の須恵器類で占められる。石棺内の副葬品も豪華で、各種金属の玉類・16,000点を越えるガラス玉の装身具、冠・履・大帯などの金属製品、玉纏大刀・刀子・剣類、獣帯鏡・神獣鏡・佛獣鏡4面銅鏡が出土し、6世紀末に近い後半の築造と考えられる。遺物一括は国宝指定を受け県保管(復原家形石棺や主要な遺物は精巧な模造品だが、文化財活用センター(斑鳩町文化財センター)で実見できる)。
また多くの繊維製品に囲まれて男性成人2体の遺骨が確認され、1体は25~17歳・共にB型・限りなく近しい間柄と報告された事から被葬者は青年貴公子の〝穴穂部皇子(欽明帝長男)と宅部皇子(宣化帝皇子)〟が有力視されている。
墳丘の復原整備が国庫補助金を得て町が10年超しで行い、閉塞石を外し、扉を設置した石室内は非公開ながら春・秋の数日の覗き見公開がある。遺跡展示館(サイトミュウジアム)を兼ねる文化財センターでは、リアルな調査時の映像も見ることが出来る(水曜日休館)。
古墳北上の桜池のポケットパークからの古墳全景と斑鳩風景の眺めが素晴らしい。文献:『斑鳩藤ノ木古墳第一次調査報告書』1990・『斑鳩藤ノ木古墳第二・三次調査報告書』1995
【freelance鵤書林195 いっこうA6記】