日本宣教15-右近活躍山崎の合戦
2020.04.26 11:44
1582年6月13日天下分け目の山崎の合戦、このとき高山右近は「最も戦場に近い将が先鋒となるはず」武門の恥と、強く主張し、秀吉はこれを聞き入れた。明智勢は山崎に接近して、右近は最初に迎え討ち、戦端が開かれた。対峙したのは最強の斎藤勢で、フロイスによれば大勝利を収めたとのことだ。
その後坂本城攻撃にも、亀山城攻略でも功績をあげた。山崎では味方の抜け駆け防止のために、街道と村に入る木戸を閉じて裏切りと疑われたそうだから、戦意の高さが伺われる。右近は信仰のために領地を手放す男なので、出世欲とは考えにくい。潔癖症といわれているので、やはり主君の裏切りが許せなかったのだろう。
6月17日、政治的天下分け目の清州会議が開かれる。右近は合戦の功績で、能勢3千石、江州佐久間1千石を加増された。右近は信長の葬儀でも信仰を貫き、焼香しなかったが咎められなかった。そして越前に流された父が許されて戻ってきた。
天下の形勢は秀吉に傾いたが、フロイスは秀吉を「抜け目ない男」として、客観的に描いている。欲の深さ、特に「極度に淫蕩」と書く。そして「過去の仮面を脱ぎすて」「信長を凌ぎ、彼より秀でた人物になろうと不断の努力をした」その後の経過を見ても評価は適切であるね。
下は月岡芳年作「山崎の合戦」