彼女は言った「たぶん、 そういうことじゃない」
この状況下、全力で医療に従事されている方々
不安に思いながらも社会を支えるため勤務を続けていらっしゃる方々
収束に向け それぞれの想いを持ってお家にいらっしゃる方々。
ありがとうございます。
心から感謝致します。
前回アップした塗り絵がプリントアウトできないので
パソコンでベタ塗りし、そこからアレンジしてみました。
初めての試みは、状況も含め あれこれ思い悩み
いつも以上に納得がいかない中途半端な仕上がりだけれど
トライしてみて良かったです。
◆アレンジ
修正したい部分が出て来ました。
以下の通りですが塗り方次第、と言うか気にしなければ何も問題ありません。
◆ベタ塗り ◆修正箇所
あ、リボンとかもグラデーションの png 重ねてますね... ←いま気付く
すみません。
さて、ここからは
『外出頻度を下げるため10日分超の食料を調達後の考察』
いや、なんか区報とかのPDFみたいだ…
【良かった点】
● 雨の止み間に行ったので、八百屋さんもスーパーも驚くほど空いていた
● 日頃の食生活・買い物術(なんか凄そう)が役立った
● 緊急の事がなければ 月3回程度の外出に抑えられる目途が立った
【改善点】
● 止み間を読み間違えると混雑に加担してしまう事にも
● 天気予報を少し勉強して(他にも役立つ) 地域別詳細予報も調べておきたい
● リュックも購入しておきたい
● カード類が使えないお店のまとめ買い用に 現金を多めに用意しておく
● 小銭のやり取りがよりスムーズにできるよう数を調整
● 財布の中身も現時点で不要のものがないか再確認する
● ハンパない野菜の消費量なので どう工夫してもギリギリ 要再考
カート・両手等目いっぱい荷物があると、エレベーターに乗らざるを得ない→他の人もやって来て一緒に乗るのを避けるため譲る→いつまでも乗れない事がある
エレベーターの電力消費もやっぱり気になるが これらはどうしようもないのか…
盲点だったのは15日。年金支給日なので高齢の方が多く外出。
(どの金融機関もATMで係員の方が誘導していたけれど、理由はニュースで知った。)
良さげだったのに、書き出してみると改善点が多い。
フローチャートを作ってみようかな。
そう思って取りかかったら、心臓の動きがちょっと怪し気。
でもよく考えたら、カフェインの影響かも。飲み物変更でしばらく様子見。
できる範囲で身体も鍛えなきゃ、という事でお勧めなのは
仰向けに寝て両足で五十音を書く事。
目を休めながら腹筋も鍛えられるし、2行だけ3行だけと細かく刻める
2.3日できなかったとしても何事もなかったようにまた始める。
“未来は今の自分の通知表”と、誰かが言ってたな。
納豆のパックを持ちながらスクワットをする。
人としてお勧めじゃないけど、食事を摂りながらストレッチもする。
TKGなどはを食べながらはNG。
歯磨き中は踏み台昇降運動。
骨密度維持にこれは大事だけど、怪我には気を付けて。
椅子が目に入ったら周りにぶつけないようゆっくり何回か上げ下ろし。
家の中でわざと遠回り等々、細かい事を積み重ねる。
とにかくできる事を淡々と。
衛生面では、覚えていないくらい前から以下の通りで。
牛乳や豆腐のパックなど洗えるものは必ず洗い
洗いにくいもの、洗えないものは保存容器に移す。
それ以外で、外で触ったもの(バッグとか諸々)を家の中で触ったら必ず手を洗う。
買ってきたものを分けて置く事を想定し家具を揃え、使い分けもしてきた。
言ってもそこまで神経質に洗っていなかったつもりだが、頻度が高ければ当然手は荒れる。
ドライタイプのフローリングシートが笑っちゃうほど手から離れ辛いのは
多分にそのせい。
でも荒れれば痛くなり、よく洗えなくなるから
手際良く、でも時短は衛生面と考え合わせて。
そうすれば手荒れは最小限で資源の無駄も減り、渇水などにも備えられる。
こういった事は訝しく思われるので、話した事はなく、外では普通とされる行動をし
何より不摂生せず、バランスの良い食生活と前向きになれる考え方をしてきたのは
免疫低下に対する自己防衛の必要性があったから。
体質をはじめとして人それぞれいろんな違いがあり
私も時折使ってしまうが「そんな事」「当たり前」「普通」とされる実態はないと思う。
動くと汗ばむようなこの季節でも、私は朝夕 指なし手袋をしてこれを打っている。
少し前までは入浴前にふと目に入ったかかとが
死んでいるのに気付かなかったかと、苦笑いするような色をしていた。
いや、本当の色はわからないが。
ごく基本的な “不摂生せずバランスの良い食生活”は
劇的な花粉症の改善と、描くために(少なくとも自分には)せめてと
ニュートラルな心身の状態を保つ事に繋がっている。
今こうして後出しジャンケン的な発言をしているのは、
上述したように思われる世の流れがあったからで
皆が等しく感染する危険にさらされて初めて
異口同音に揶揄していたような行動を、メディアが真面目に喧伝していて
今となっては懐かしいような時代が確実に過ぎ去った事を痛感している。
そして「普通」とされるものはない、と思うところに
少しの平穏が訪れる気がするのだ。
綴りたい事が山積し、世の流れから甚だしくずれていくので
ここからはその事に触れたい。
描いている時や家事の最中は、大体に於いて耳で情報を取り込んでいる。
かなり前はラジオ(J-WAVE一択だが)を聴いていた時期もあったけれど
それは音楽を聴く時間の中に存在していた。
今のような状況にはTVがやはり便利で、結果 “聞く”時間が圧倒的に増えている。
少なくともここから先何回かは、“TVリスナー”というような、またわけのわからない立場で
話の中心としていく事になりそうだ。
番組収録が難しい今
問題への切り込み方や代替のアーカイブでも、各局の底力と姿勢が如実になっていて
見るべき、そして考えるべき内容のものも少なくない。
そこで やはりというか、そうでなかったら許されないであろうNHKが
これでもかとカードを切っている。
細かくチャプターを付けてまとめ、今回やっとアップに至ったのが
ETV特集 「7人の小さき探究者~変わりゆく世界の真ん中で~」
舞台となる気仙沼市の小泉小学校は、3.11をきっかけに
全国に先駆けて、p4c(ピーフォーシー)
“philosophy for children(こども哲学)”を行ってきた。
この授業は、対話によって主体的に子供が考える力を育む事を目的としており
行う際には3つのルールがある。
1. 傷つける事は言わない
2. ボールを持った人だけが話せる
※次に話して欲しい人にコミュニティボール(今話している人を明確化)をパスする
3. 話せない時はパスできる
教師は『傷つける事は言わない』のを、「一番大事」と話していた。
全世界の人間がこのルールを心に留め置き
真摯に物事を考え、進む事が許されたなら。
番組では、今春同校を卒業目前に
新型肺炎対策のため、突然休校を告げられた6年生7人が口々に訴える。
「大人だけじゃなくて、子どもも意見を言いたいです」
「大人の意見だけで決めてしまっていいんだろうか」
「なぜ、こどもの意見は聞いてもらえないのだろうか」
大人である自分も何かに向かって発したい言葉ばかりであり
大人である自分はそれらに対し何もできていないと思う事ばかりであり
何一つ大人になれていない自分を思い知る。
番組では、同じ本を読んだこども達が思った事をそれぞれ一文にし
顔を伏せた多数決で一つを選び、対話のテーマとしていた。
中で、多くの言葉が採り上げられた “まるさん”。
“世界が「平和」になる為にみんなができる事” と問われた場面では
「人のいいところを積極的に見つけていく事が大事」とし、いずれ
「その国のいい所を見つけて、きっと仲良くできるんじゃないかと思ったから」と繋ぐ。
“人々が望む平和とは”のテーマでは
「今の世界は平和だと思いますか」、と他の生徒に投げ掛ける。
授業に立ち会った宮城教育大学の庄子特任教授は
“まるさん“ のやり取りに感銘を受ける。
「(このように)議論を掘り下げていく力を付けてあげる事が、この先生きる力になる」
「ずっと考え続けていく人を育てるのが、私達の仕事」
そして様々な問題に正解はないから、世の中は騒ぎ続けているから
考え続けて行かなくてはならないと。
射るような眼差しで、鋭い言葉を発し続ける “まるさん“が
常に問い直し、掘り下げるのは
「見つからない答えのヒントを探し続けているから」
日常では言葉を飲み込んでいるけれど
いろんな面を見つけられるp4cでの対話は楽しいと話す。
7人の中の一人、“たっくん“は、災害公営住宅で暮らしている。
休校前、防潮堤などを整備する事への考えを話していた彼は、帰宅後
ゲームを片手に 《人生で一番楽しいこと》 をググり、そこから
「ひとはなぜ生きるのか」を調べる。
誰もが一度ならず考えるだろうこの事。
調べる事が楽しいのかと、彼のお母さんが問う。
うなずく “たっくん“は、続けて いじめの事を掘り下げていたらしい。
お母さんが話しかける。
「いじめると良くないもんね」
「だけどね人間ってね、いじめたくなるような時もあんのよ」
「とか思って。だけど押さえないといけないと」
「人間だもの」
そう続けて
他人の事を考えられればいいかなと思っている、と
人柄が良さそうなそのお母さんは話していた。
責めるつもりは毛頭ないが、“いじめたくなるような時もある”という言葉はショックだった。
そして人はその気持ちを持っているものだと子に伝えている。
お母さんは単に、「いやだと思う事がある」と言いたかったのかもしれない。
いじめたい気持ちはないけれど
モニター越しの麻生さんや納得できない事には、私もああだこうだ言っている。
偽善という言葉を発するのは この事からか、と思い
炎上に代表されるような行動も少し紐解かれる気がした。
お母さんの言葉を聞き、一方でp4cも受けている “たっくん“ も 既に持っている気持ちなら
押さえるのではなく、変えていける事を
そしてそこにいじめ社会の突破口があるような期待をしてしまうのだ。
しかし休校から1週間が過ぎ、「すごいヒマ」と語る“たっくん“は
調べる事が面倒になってYouTubeなどで音楽を聴く事が多くなり
「考える気がない」と、ただただ学校で話せる時を待つようになった。
マスク転売に意見する “きよはちゃん“ も、休校後は「ゲームをするくらい」と話し
“まるさん“ さえ、楽しく思えないながら やはりゲームをし
「なにも感じなくなっている」と言いつつ、直後に「つらい」と漏らす。
「大人ではない今の自分は、何者にもなれないのか」と自問する “まるさん“ に
― いまは何者であるのか ―と、重ねて問うと スタッフ皆にそのまま返された。
立場・地位・肩書きなどが正解となるのが、今の社会常識。
「でも多分、 そういうことじゃない」 そう彼女は言った。
こどもなんてそんな大して考えてないんじゃないかって、大人が思ってるのを感じない?
と最後に問われた “まるさん“
「どこかで こども達も考えてるっていう事を見せつけたい」
答えたあと、わずかに唇の端を動かした 。
育まれてきたものを手放しはしないだろう彼女の強さは
俯瞰し、共感もし、そこから主体的に考える力を持ったところにあり
いつまでも今の虚しさの中には留まらないはずだ。
傷を負った経験からも、自分事に落とし込める能力が
ー付いてしまった ―のかもしれないが、それは私の浅い憶測でしかなく
もしそういった事ならば、そのような経験はできれば ない方がいい。
小さいときに多くの本を読むと共感能力が高まるといった話を聞いた事もあるが
彼女については何もわからない。
彼等は幼稚園の時から一緒に成長してきたが
p4cで対話を重ねた事でお互いの気持ちがようやく掴め、尊重するようになり
より意見を聞き合うようになったと、先生は語る。
● 夢が叶ったら 次にあるのは何だろう
● 人を信じるとは どういうことか
● 失敗したら あやまればいいのか
これまで彼らが対話してきたこの問いに、大人である私達はどう答えるのか。
そもそも答えられるのか。
ある日の 『役割を果たすために 必要なものとは何だろう』 との問いかけには
「勇気・責任感・使命感」
続く、『6年生の立場で』 との問いには
「年齢ではないのでは」 と、“まるさん“ は答えていた。
番組中 時折差し込まれる風見鶏は、ありがちだが制作者のメッセージだろう。
同調圧力が強いこの国の空気を、どのように生かし どのように変えて行けるのか。
問いはこちらにも向けられた。
“まるさん“ は上述したように
「人のいいところを積極的に見つけていく事が大事」と言っている。
私もリアルな世界では“いいところを見つけ”たらその殆どを言葉にしていて
それは、ごくごく僅かでも世の良い流れにつながって欲しいからなのだが
「その国のいいところを見つける」といった大きな対象に関しては
絶対的に知る努力が足りていないし、感情が動いてもアクションには至らない。
―言語習得はわからないなりにでも、続けていけばバラバラなものがいつか繋がり始める―
そう聞いた事がある。
私は言語習得にいそしむ事はなかったけれど、なぜか心に刻み込まれたその言葉が
どれくらいの月日が経ったのかはわからないくらい後に、他でも同様だと気が付いた。
たった今も、違う目的で打ったショートカットキーが思わぬ汎用性を持っていた事を知り
確かにそうも使えるなと、思い至る。
だからそれは事あるごとに他人にも熱を持って話す。
少しでも、わからなくても
続けた方がいいと。
この流れとは関係ないが
そういえばデータ保存に絡んでこんな事もしょっちゅう言っていた。
「来て欲しい事はなかなか来ないか、いつまで経っても来ないけれど
来てほしくない事は結構すぐやって来る」
来てほしくないものは今、払いきれるのかわからない重さでのしかかっている。
社会問題についてこの数年は、以前より現実に向き合い
僅かずつでも知る努力は重ねてきた。
何かは繋がるだろうし、繋げなければならないと思う。
それは自分を救ってくれた人の進む道が途切れてしまわないよう
そして少しでも明るい先へ続いて欲しいからだ。
先の問いである「何者か」を、少しだけ答えられそうな今があるのも
結局遠回りでもなかったように思えるのも
年若いその人が導いてくれたからだ。
そして、やはり棘だらけのようなこの先を
それでも歩んで行かなければならず、混迷の中で向き合おうとしている
“まるさん”のような人達への想いであるかもしれない。
ここで締めようと思った矢先、
温泉施設に駐車していた県外ナンバーの車が傷つけられたニュースが流れてきた。
傷つけるに至った心情も、アナウンサーが読み上げる「心ない」という表現も
見方を変えれば違うものが思い浮かび、そうであったらその行為も表現も
違う何かとなったかもしれない。
ニュースで取り上げた事が
解決に至らないまま次々と風化していくような中で
目を、耳を疑う新たな事件も、間断なく沸き起る。
迷路は複雑になるばかりだが
思考を止めたら何が待つのか。
人という集まりが、ここに在り続けたいなら
豊かさというものをどう変えていけばいいのか。
“まるさん“ の小学校では執り行われた卒業式。
「今回の事で東日本大震災を思い出しました」
そこから、校長先生の贈る言葉は続いた。
次がある事は約束されていないのだな。
明日が必ず来るとは限らないのだな。
甘えていてはいけないのだな。
当たり前の事に感謝する。
一日一日大切に過ごして下さい。
私も
甘えずに
感謝して
" その人 " である羽生さんの未来が
途絶えないよう頑張ろう。