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のらくらり。

10回中、6回

2020.04.26 12:38

ルイスが気付かないだけで、ウィリアムはたくさんルイスに想いを伝えているという話。

数式に想いを託す天才数学教授、とても回りくどくて良い。


ウィリアムは愛したがりだ。

元々彼が持つ愛情は他の人間よりもよほど大きく、だからこそ他の誰かに夢を見ては勝手な愛おしさを覚えている。

愛する誰かのために尽くすことは確かにウィリアムの心を豊かにしてくれて、ゆえにどんな人間だろうと平等に愛しく思うのだ。

そうでなければ、悪人さえいなくなればこの大英帝国が美しい世界になるという夢を抱くはずもない。

ウィリアムにとって全ての人間とは無条件に愛すべき存在で、結局は悪人でさえウィリアムにしてみれば愛しくて仕方がないのだ。

愛しくて仕方がないからこそ、悪を持ちながらに生き永らえることが許せない。

そんな身勝手な愛情こそがウィリアムの本質で、博愛主義と言い換えれば理解しやすいのだろう。

身内である同志を除いたとして、他の人間は一人残らず平等にウィリアムから愛されている。

大多数へ向けて尚ウィリアムの愛は尽きることを知らないのだから、これはもう異質と言って良かった。

けれどそんな特別の中でもたった一人、弟のルイスだけは別格だ。

ルイスに向けるウィリアムの愛情は一際大きく豊かに色付いていて、とても深く慈愛に満ちている。

ウィリアムが博愛主義でなければきっと、その愛情ひとつでルイスの小さな心は押し潰されていたかもしれない。

それくらいには彼は愛したがりで、ルイスのことが特別愛おしくて、けれども類稀なる頭脳を有していたがゆえに己の異質さにも気が付いていた。

重たく歪で大きな愛がルイスを押し潰してしまわないよう、ウィリアムが描く表現方法は常にたくさんの工夫が凝らされているのだ。

ウィリアムが10回の愛を伝えたとして、そのうち4回しかルイスは愛だと気付かない。


「ルイス、おはよう」

「おはようございます、ウィリアム兄さん。今朝は早起きなんですね」

「ふふ、僕もたまにはね」


珍しく夜更かしを避けさえすれば、ウィリアムとて予定通りの時間に起きることなど造作もない。

朝の光が入り込む部屋を出て目的の場所へ行けば最愛の弟が佇んでいる。

今日の予定を確認するため手帳を覗き込んでいるルイスへと声をかければ、驚いたように返してくれた。


「今日は一限から講義がありますね。すぐに朝食を用意するのでお待ち下さい」

「急がなくても大丈夫だよ。まだ時間はある」


スケジュールを再確認するようにルイスがウィリアムへと話しかけ、ともに食事を摂るために食堂へと向かう。

モリアーティ家の炊事を担当するルイスはそこから更に足を進めて厨房へと行くけれど、ウィリアムもその後に続いて普段はあまり足を踏み入れないその場所へと入っていった。

そうして袖を捲って愛用しているベージュのエプロンを身につけたルイスを目に収め、よく出来た弟だな、と思いながらテキパキ動く彼をただ見つめている。

ついでにルイスが脱いだジャケットから先ほど彼が覗き込んでいた手帳を拝借した。


「ルイス、少し借りるよ」

「どうぞ」


ウィリアムとアルバートのスケジュールを管理するルイスの手帳には事細かに予定が書き込まれていて、その文字は彼の性格を表すように几帳面でとても美しい。

この字は確かアルバートに教わった賜物だったなと、ウィリアムはそう考えながら付属の万年筆を手に持って無地の表紙にすらすらと文字を書いていく。

躊躇いのないその文字はルイスが書くものとよく似ていて、見る人が見なければルイスが書いたものだと思われるだろう。

具体的に名指しをするのならばアルバート以外の人間は全員が全員、ルイスが書いたものだと思うに違いない。

ウィリアムの予測は外れることがないし、今回もそうであると確信があった。

そうして機嫌良く鼻先でリズムを取りながら、ブルーブラックで縁取られている完成された数式の美しさに没頭する。

インクが早く乾くようにパタパタと仰いでいれば、ちょうど手が空いたのかルイスがウィリアムを振り返っていた。


「手帳ですか?」

「うん。少し借りたよ」

「構いませんが…何かありましたか?」


ウィリアムが何をするのか知らないままルイスが了解することは珍しくない。

全て事後報告でも良いくらいなのだが、礼儀として一声かけてくれる兄の品の良さには好感すら持てるとルイスは考えていた。

だがルイスの手帳など見たところで、己のスケジュールはおろかアルバートのスケジュールも全て記憶しているはずの彼が見て楽しいものはないだろう。

ウィリアムが知らないルイスの秘め事も隠し事もありえないのだから。

そんな疑問を顔に出せば、答えを教えるようにウィリアムが手に持つそれを見せてくれた。

そこには乾いたばかりのインクで綴られた数字と記号が羅列している。


「数式ですか?」

「そう。僕が最近気に入っているものだよ」

「へぇ…そうですか」


さすが数学に造詣が深いウィリアムだ。

ルイスには数式などどれも等しく同じに見えるが、ウィリアムの目を通せばそれぞれ違って見えるのだろう。

気に入った数式など生まれてこの方持ったことのないルイスからすれば、ウィリアムの目から見る世界はさぞ新鮮で趣深く見える空間に違いない。

彼と同じ世界を見つめたいと願うのは当然だが、それが叶わないことをルイスは知っている。

だからせめて、彼の一番近くで、彼が認めたものに囲まれて、彼のためだけに生きていたいのだ。

ウィリアムがすきなものはルイスがすきなものである。

だからこの数式も、きっとルイスはすきになる。

それが持つ意味などどうでも良くて、ウィリアムがすきな数式だという事実だけでルイスがすきになるには充分だった。

愛用の手帳に愛しいウィリアムが気に入っているという数式が刻まれたことで、朝からルイスの気分はこの上なく良いものになる。


「ルイスも気に入ってくれると良いんだけど」

「ありがとうございます、ウィリアム兄さん。大切にしますね」

「うん。大切にしてね」

「はい」


綺麗な字体で書かれた数式を目に、ルイスは微笑みながら礼を言う。

しばらくして香ばしい匂いが漂ってきたかと思えば、焼けたパンを焦がさないためにルイスはまたもウィリアムから背を向けて食事の準備を再開した。

おそらくルイスはこの数式が持つ本当の意味を知ることはない。

自分が気に入っているというその事実だけで満たされたように笑うのだから、それ以上を知ろうとするほど欲深くはないだろう。

そう予測した上で、ウィリアムはこの数式をルイスの手帳に刻み込んだ。

ウィリアムがルイスに愛を紡ぐなど、それこそ日常すぎる日常なのだから敢えて特別を演出する意味もない。

愛したがりなウィリアムが様々な方法でルイスに愛を紡いでいたいという、ただただ己の欲求を満たすための自己満足に過ぎない行為である。


「さぁパンが焼けました。遅刻する前に食べ終えてしまいましょう」


ルイスが気付いていないだけで、ウィリアムは趣向を凝らしてたくさんの愛をルイスに囁いている。

気付いてくれれば幸い、気付かなくても充分すぎるほどに満たされる。

愛を伝える10回のうち、ルイスが気付く4回には入らない方法が今回の戯れだ。

ウィリアムが気に入っているという数式の解を知るためには、数学について深い知識を持っていなければ難しい。

ルイスが持っているそれではきっと気付くことができないだろう。

ウィリアムが予想する限り、信頼している同志の中でも気付く者は皆無、だがアルバートならおそらく、と言った程度だろうか。

二重にも三重にも意味を込めたこの数式、とても美しく情にあふれている。

解き明かすだけでは駄目なのだ。

完成されたこの式を解き明かし、そして表に書き表したその図こそがウィリアムの真意に他ならない。

心臓を象ったその図形こそウィリアムの愛そのものだ。

己の愛を刻み込むこと、そして数式と同じ形をしたルイスの心臓こそが愛おしいのだと暗喩すること。

それこそがウィリアムがルイスに数式を贈った本当の理由である。

数式が持つ意味にルイスが気付くことはない。

10回のうち6回はルイスが気付かなかったウィリアムからの愛があり、今も昔も、いつのまにかルイスはウィリアムの愛で満たされている。

愛に優劣などないけれど、ルイスがウィリアムを愛しく思う以上に、ウィリアムはルイスを愛しく思い伝えているのだ。

たとえ気付かれることはなくともウィリアムの愛はルイスのためにある。

愛したがりのウィリアムにとって、最も愛すべき対象が己の弟であることはとても都合が良いことだった。




(変わった模様が書かれているね)

(これですか?先日、ウィリアム兄さんが気に入っているという数式を書いてくださったんです)

(気に入っている数式?)

(はい。僕にはあまり数式を気に入るということが分かりませんが、兄様はお分かりになりますか?)

(いや…馴染みがないな、どれも等しく同じに見える)

(やはりそうですか。さすが兄さん、数学者としての貫禄を感じます)

(あぁそうだな。ルイス、もう少しその数式とやらを見せてもらっても良いかい?)


(解…いや、概形を求めれば良いのか。偶関数であることを念頭に置いてそれぞれの増減表を前提とした上でグラフ化、となると…)


(…数式を使って二重にも三重にも張り巡らせた上での惚気とは、天才数学教授の肩書は伊達ではないな、ウィリアム)