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四季の旅写真Gallery Annex

鉄道風景2006総括(南へ北へ)

2020.04.26 15:11

2006年、健康で体力があり、経済も順調。忙しい時ほど休みは日常から離れたいもので、結果、プライベートでも仕事でも年中全国を飛び回っていた「不要不急」の極致のような年。でも、そういう年はいろんなシーンが記憶に残っている。旅した数だけ人生が充実する。だから、不要不急は生きていくうえで必要なことなのだ。(2020/4/26編集)

1月、極寒の山田線。凍った閉伊川。かっ飛ばす盛岡色のキハ52(快速リアス)を捉えました。待ち時間がとにかく寒く、こんな冷気は初めて!そんな記憶が鮮明です。(山田線・腹帯)

珍しく雪晴れ。当時のメモに40分遅れとあります。これも寒い中待って撮った1枚だと思います。高原らしく、白樺と雪景色。白鬼キハ52に急行色58とアンバランスな編成ですけど、今となってはお宝編成です。(山田線 松草)

記録では1月に3度北東北に行っています。暇だったはずはなく、余程息抜きを求めていたのしょう。1泊2日の弾丸旅がほとんどでしたが、宿泊は、山田線なら茂市の「湯ったり館」、花輪線なら、湯瀬温泉駅や大滝温泉駅最寄りの旅館をよく利用していました。とくに冬場は撮影の後の温泉も楽しみでした。大滝温泉駅でのホッとする一コマが撮れました。(花輪線 大滝温泉)

冬の終わりの石北本線。貨物は3往復・DD51牽引でした。沿線の愛別に泊まって、夜明け前からバリ鉄しました。オホーツクも堂々の6両編成でした。(石北本線 金華)

北東北の帰りに立ち寄る「くりはら田園鉄道(2007廃線)」でしたが、このときは、ここだけを訪問。澤部駅に陣取ってじっくり撮りました。栗駒山バックの1枚を撮って澤部駅に戻って暖を取っているとき、ちょうど駅のテレビで王ジャパン(世界野球)が世界一になった瞬間を見ました。古い記憶です。(くりはら田園鉄道 澤部)

廃線か存続か、最後の春になるかもしれないと、桜の季節に鹿島鉄道へ。桃浦駅では満開の桜の下で、お気に入りの600形の交換が撮れて、良い記念になりました。残念ながら翌年3月で廃線となり、これがカシテツ最後の桜になりました。(鹿島鉄道 桃浦)

長野色115系と、201系中央線車両の交換、亡くなったおじいちゃん、おばあちゃんに会えた気分。新緑の裏高尾、貨物や特急車両を撮りに来た時の、「ついで」の1枚だと思います。14年の時を経て写真も熟成しました。削除しなくてよかったです。(中央本線 高尾)

キハ52に会える身近な場所、上野から特急で1時間の小旅行。プチ贅沢気分が味わえる茨城交通湊線(現ひたちなか海浜鉄道)は、季節の節目で訪ねていました。この車両キハ2004は、2004年にこの色(国鉄準急色)になったもの。今は平成筑豊鉄道に譲渡され動態保存されています。(茨城交通湊線 中根)

楽しみにしていた花輪線、山田線。真冬以来久々の出撃でした。荒屋新町の旅館に泊まり、二日目の朝イチで登った竜ヶ森俯瞰。息を荒げながらしばらく登って振り返るとこの絶景。カッコウの鳴き声以外何も聞こえない静寂の待ち時間は至福の時でした。(花輪線 安比高原)

当時は、国道沿い、通称「ファミマ前」からの春景色。岩手山と田植え直後の田んぼ。そしてキハ52の普通列車。春も夏も秋も冬も撮った私の定番風景です。(花輪線 北森)

寒暖差が大きい東北らしい新緑風景。紅葉もきっと素晴らしいに違いないと思いつつ、いまだに訪問が実現していません。(山田線 区界)

この頃は、まだ都内で見ることができた3000系。今も紫陽花は見事な井の頭線。桜も見事なのですが、訪問はほぼ6月に集中しがちです。(井の頭線 東松原)

産業道路が地下化され、すっかり様変わりした(駅名も変わりましたが、地下化後はまだ未訪です)京急大師線。まだ地上を走っていた頃の小島新田付近を行く1000系電車。今回、ハードディスク漁りをして見つけた貴重な1枚です。(京急大師線 小島新田)

去年(2019年)の台風19号の被害で長期運休中の箱根登山鉄道。再開予定が7月に早まりました。そのころには外出自粛も解けているでしょうから、真っ先に訪ねてこの108に会いたいと思います。(箱根登山鉄道 大平台)

この頃は今ほど高齢者が多くなかったので、大人の休日俱楽部は気楽に格安切符を出していて函館まで4日間12,000円でした。ブルトレは、はまなす、カシオペア、トワイライトエクスプレス、北斗星2本、時にはエルムなど次々とやってくる朝は大忙しでした。礼文のカーブも木々が低く、すっきりしていましたね。(室蘭本線 礼文)

梅雨明け猛暑の時期。大阪で所用を終えて、くろしおに乗って南紀御坊。目指すは紀州鉄道です。真島先生の写真で見た時から憧れだった、この車両(元大分交通のキハ600)とこの街並みに会いに行ってきました。(紀州鉄道 西御坊)

花輪線、山田線に通った2006年ですが、東北の場合新幹線利用なので、直前の天気と盛岡支社が発表する運用を見てから出撃を決めていました。大滝温泉に泊まり、翌日は、アキタコマチの里で爽やかな夏の朝から撮影開始、終了後の比内地鶏の親子丼が美味かったこと。(花輪線 末広)

東京都でありながら、只見線のような絶景が見られる青梅線。御岳山でのレンゲショウマ撮りとセットで、鉄と花との複合競技のようなおもしろい1日でした。(青梅線 白丸)

大阪で所用を終えたのが金曜日。帰りは北陸経由でゆっくり帰ることにしました。散居集落のある城端線沿線。まさに「日本の夏」です。臙脂の高岡色も懐かしい。(城端線 二塚)

夏の終わりの桃浦で、解説不要で「これを見て何かを感じてください的な写真」が撮れました。ここ十余年、自分が撮った写真の中で、一番好きな写真です。(鹿島鉄道 桃浦)

実りの秋、ふたたびアキタコマチの里へ。良い写真がたくさん撮れました。その中から、当時でも希少品種だった米代色のキハ58を選びました。固定運用で鹿角花輪発秋田直通(元急行よねしろ)でした。(花輪線 十二所)

晴天確率が高いとされている10月の連休。この年もそうでした。天高い秋空の下、コスモスとキハ600。今も親しくおつき合いをさせて頂いているDさんと初めてお会いしたのはこの時でした。(鹿島鉄道 小川高校下)

普段、ほとんど撮る機会のない、西日本の鉄道。三ノ宮でイベントがあった翌朝、須磨の海岸で、スーパー白兎、キハ181系はまかぜ、そして寝台特急といえばEF66、なは/あかつきを撮りました。珍しいものはなんでも楽しいものですね(山陽本線 須磨)

10月末、イベントで鹿児島。空港最寄駅は、肥薩線嘉例川駅でした。そんなわけで、肥薩線経由で鹿児島入り。キハ58がバリバリ現役でした。(肥薩線 中福良)

好きだったバス顔のナガラ1型、母なる川、長良川に沿って走る秋の日。両親が眠る菩提寺もこの沿線から近くにあります。(長良川鉄道 相生)

11月、所用でふたたび鹿児島。今度は朝練で最南端の鉄路にチャレンジ。願いが叶い、開聞岳の美しい山容が見えました。そしてこの山バックに、朝日を正面に受けるキハ40。もう二度と撮る機会はないでしょうね。(指宿枕崎線 西大山)

我ながら呆れるほど、週末ごとに飛び回っていました。今度は長野電鉄。上条のリンゴ畑では、心優しい農家の方の許可をいただいて、こんな美味しい写真が撮れました。2000系は最終塗装変更前の長電オリジナルカラーでした。(長野電鉄 上条)

紅葉ピークの時期の訪問を逸して、落葉の季節に訪ねた花輪線。季節感は期待薄で出かけましたが、運用に恵まれ、晩秋の光線に恵まれ、満足な撮影。この年3度目のアキタコマチの里、撮影後の比内地鶏親子丼ともども、忘れられない地となりました。(花輪線 末広)

大井川鉄道笹間渡のコテージで、同年代の同好の皆様との集い。夜長の初冬は、尽きない話を語るには十分。翌日は完全に寝不足でした。(大井川鉄道 田野口)

師走の週末、八戸からスーパー白鳥で海峡越えて、小雪舞う函館へ。2006年は、年初から年末まで、仕事も遊びも激な1年でした。

ほぼ仕事漬けだった30代、40代の記憶がほとんどないのに対し、近い過去というアドバンテージかもしれませんが、50代は生き生きしていたと写真を整理しながら思います。生きていくうえで不要不急は必要です。それが実現できる日々を、なんとしても取り戻さなければなりませんね。ご高覧ありがとうございました。