不幸せな投資家
☆
むかしむかし、六本木のそれはそれは高い塔の上に、
ある1人の投資家が住んでいました。
その投資家は、若くしてすべてを持っていました。
一生遊んで暮らせるだけのお金、好きに使える時間、どこにでも行ける自由、
塔の上の素晴らしいお家、美しい女性たち。
欲しいものは、何でも買えます。
したいことは、何でもできます。
でも、幸せではありませんでした。
「すべてを持っているはずなのに、たいして幸せじゃない」
投資家は、目の前にいた女の子にそう呟きました。
女の子は、こんなに何でも持っているのに幸せじゃないなんて、
一体どういうことだろう、と思いました。
そうそう、言い忘れましたが、
この物語の主人公はこの投資家ではなく、女の子です。
この女の子は、いろんな世界を旅する旅人で、この投資家とも旅の途中で出会ったのでした。
ここで話を女の子に移すことにしましょう。
女の子が投資家に出会ったとき、彼女はあることに気が付きました。
それは、この投資家は、話すときに全く目を合わせようとしないということです。
見た目はとても屈強な体つきをしているし、強気なことを言うのに、
視線はいつでもそっぽを向いていて、決して女の子と目を合わせようとしません。
人と目も合わせられなくなるなんて、この人には何があったんだろう、女の子はそう思いました。
聞くところによると、投資家が今のような投資家になる前までは、
ある外国から来た大きな会社で働いていたそうです。
その会社が何をする会社なのか、彼がどんな仕事をしていたのか、
女の子には説明されても、よく分からなかったのですが、
とにかく、その会社は、お金を扱う会社らしく、
彼はそのお金を動かしたり、増やしたりする仕事をしているらしいのでした。
とても大きな額のお金を動かしたり、任されたりするため、
責任や重圧が尋常ではなく、神経をやられて、やめる人も多いと投資家は言います。
「頭がいいだけじゃなくて、頭がいかれてないと、できない仕事だよ」
投資家はそう呟きました。
頭が良くて更にいかれてないと、できない仕事だなんて、
なんだか深い言葉だな、そう女の子は思いました。
投資家はその会社で、一生懸命働きました。
けれど彼は、働けども働けども幸せになりませんでした。
そこの会社の一部の人たちは、30代のうちに一生分を稼いで引退し、
その後は、のんびり投資業などをしたりして、好きに暮らすとのことで、
彼もそれはそれは一生懸命働き、そのような道を辿ることになりました。
30代のうちに引退して、あとは好きに暮らす。
それだけ聞くと、羨ましく思う人もいるのかもしれませんが、
投資家の話ぶりや雰囲気、それからまだ30代だというのに、
50代のようにも見える外見を見ると、その間に何十年分もの命を削られたように感じられ、
女の子には30代で引退するというのは、ある意味とても妥当なことに思えるのでした。
「一生懸命働いて、一生遊べるくらいのお金を稼いだ。
だけど僕は今、幸せじゃない」
そう語る投資家の口調は、淡々としていて何気ないものでしたが、
その軽い口調の裏に、大きな悲しみが漂っているのが、女の子には感じられました。
投資家は、物質的にはとても豊かだけれど、
愛においては、とても貧しい人でした。
そして愛の飢餓というのは、何よりもつらいものなのです。
女の子はいつも使っている、お気に入りのかごバックから時計を取り出すと、時間を確認しました。
投資家と話し始めてから、もう1時間近くも経っています。
「もうこんな時間、わたし、そろそろ行かなきゃ」
そう言うと、女の子は投資家に別れを告げることにしました。
ただ話をしていただけなのに、何故だかとても疲れてしまったのです。
投資家と別れるとすぐに、
暗くてどんよりとした気持ちが、女の子を襲ってきました。
六本木の塔の上のお家も、一生遊んで暮らすに十分すぎるほどのお金も、
成功や社会的なステイタスや、きれいな女性たちも、そして無限の自由と時間も。
ぜんぶぜんぶ持っているのに、幸せじゃないなんて、なんて悲しいんだろう。
彼だってきっと、こんな気持ちになるために、頑張ってきたわけじゃないはずなのに。
一生懸命、人の何倍も働いて、大きな責任や重圧にも耐えて、
寝る間も惜しんでやってきたのに、その結果がこれなんて。
そう考えると女の子は、なんだか、とても悲しくなってくるのでした。
投資家と女の子が会うことは、もう二度とないでしょう。
けれど彼女は、投資家の幸せを願わずにはいられませんでした。
何故なら、投資家と女の子は、性格も人生も全く違いましたが、
ほんの少しだけ、自分を見ているような気持ちがしたからです。
そして、自分がこれが正しいという風に生きて、
幸せとは全く違う方向に進んでしまうという経験は、誰にでも起こりうることですが、
そういう経験は、この女の子にもあったからです。
世の中には、「幸せ」や「利益」を銘打って、人を幸せにしないもの、
もしくは人を不幸せにするものが、たくさんあります。
けれど、物質的にどれだけ「利益」が出ようと、自分を幸せにしないのなら、
それは「利益」ではありません。
「ガラクタ」だと思っていたものが、実は「宝物」だったということが、
また反対に「宝物」だと思っていたものが、実は「ガラクタ」だったということが、
人生においては往々にしてあるように、
本物の「利益」とは、一般的に価値があるものとは限らないのです。
私たちは心の目を使って、それを見極めなければなりません。
女の子はそれまで、投資のことはまるで分かりませんでしたが、
その投資家と話して、投資について1つだけ学んだことがあります。
それは、
”この世で一番不幸な投資は、
自分を幸せにしないものに、自分の人生と時間を注ぎ続けること。”
だということ。
どんなに、投資をする価値のないものに見えたとしても、
私は私を幸せにする投資をしよう。
そう胸に刻むと、女の子は歩き始めました。
彼女の旅は続きます。