フェミニズムの地平Ⅰ
性暴力被害 世論が報道を「変わらせた」 <寄稿>ライター・小川たまかさん
2020年1月15日東京新聞転載
花やプラカードを手に性暴力反対を訴えるフラワーデモの参加者たち=昨年11月、名古屋市内で
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性犯罪の無罪判決が相次いだことを受け、花を手に人々が集まるフラワーデモが昨年四月に始まり、全国に広がっています。そこでは被害当事者が経験を語ることがあります。誰かがお願いしたわけではなく、自然と声が上がりました。
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主催者の一人、北原みのりさんがこんなふうに言っていました。
「受け止めてくれる場所があるならしゃべりたいと思っていた当事者は、実は多かったのではないか」
性被害の経験は「勇気を出さないと話せない」と言われているけれど、話しづらくしてきたのは社会の側。当事者が話そうと思える場所が、これまではあまりにも限られていたのかもしれません。
小川たまかさん(安井信介さん撮影)
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◆「考えすぎ」と言われ 違和感封じ込め
自分の覚えた違和感を口に出すにはエネルギーが要ります。「これってセクハラなんじゃないか」「痴漢されて嫌だった」…。そんな疑問や違和感を誰かに話したとき、「考えすぎだよ」「そのぐらいみんな我慢している」と言われてしまったら、次に言おうとするときはもっとエネルギーが必要になります。
私が性暴力について取材を始めたのは二〇一五年ごろ。当時ワイドショーでは男性芸人が「女性専用車両にはブスばかり乗ってるんでしょ?」と言っていたし、女性タレントも「ハロウィーンの渋谷に痴漢されるような格好で行く女性も悪い」と発言していました。
目立つ場所で目立つ人がこのように言うことで、自分の中の違和感を封じ込めた人もいると思う。
二〇年の今も、性差別や性被害について心ないことを言う人はいます。ただ、当時と今では少し変化があると感じています。
◆少しずつ大きくなる声
五年前、「痴漢」で検索するとポルノや痴漢冤罪に関する書籍しかなかったけれど、今は被害(加害)と向き合う書籍が複数見つかります。ある映像メディアの関係者は「数年前には通らなかった痴漢被害の企画が通った」と教えてくれました。性被害に関する記事をネットで出したところ、反響が大きく、「上司の意識が変わった」という話も聞きます。
これまで、学校や職場での性差別なんてレア、性暴力被害に遭うなんてレア中のレア、だからニュースの重要度は低い―という意識が、マスコミの中にもあった。それが少しは変わってきたのではないかと思います。変わったのだとすれば、それは世論が「変わらせた」のだと私は思います。
医大の女子受験生減点問題、#MeToo、元財務次官のセクハラ事件、週刊誌の「ヤレる女子大学生ランキング」、性犯罪の相次ぐ無罪判決、職場でのパンプス靴の強制をなくそうと訴える#KuToo、就活セクハラ、伊藤詩織さんの民事裁判での勝訴…。
一七年は百十年ぶりに刑法の性犯罪規定が大幅に改正された年ですが、このころからいくつもの性差別・性暴力問題が大きく報じられてきました。そのたびに声を上げた人がいたからです。声を上げれば必ずバッシングされるけれど、一方で必ず声を受け止めて応えてくれる人もいる。その存在に支えられて、声を少しずつ大きくする。その繰り返しなのだと思います。
◆安心はできない
世論を受けて報道が変わる。今はこの流れがあると感じていますが、安心はできません。ほんの少し前、二〇〇〇年代にはジェンダー平等へのバックラッシュ(反動)があったからです。「言ってる内容はわかるけど言い方がちょっとね…」なんていう、感情的な「トーンポリシング」には、その都度抗っていきたい。
昨年末の伊藤詩織さんの民事裁判の勝訴は本当にホッとしました。裁判は控訴審で続くとはいえ、「良かった」と感想を漏らす人の多さに驚きました。何も言えないけれど見守っていた、そんな人も多かったのではないでしょうか。
<おがわ・たまか> ライター。著書に『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。』