誰のフィルターを通すか
ここ数年というもの、正しい発言を心がけようとしたことがありません。
「正解」など検索して調べる時代に あえて「正しさ」について発信する意味がないと捉えているからです。
万人に効く運動法、万人に当てはまる成功秘話を聞きたいのであればググるのが一番。
アノ情報屋には到底かないません。
しかし、あなたにしか当てはまらない何かを見つけることは機械化が進もうと困難であり、これについては再三再四 述べています。
最近のインフルエンサーたちは企業からのアフィリエイトによって報酬を得ますが、本当にキムタクがマックを食べるのか、一流芸能人が軽自動車に乗るのかなどを想像すると、やはり広告は広告でしかなく、最近では「信用」と「信頼」について改めて整理をする必要が出てきたようにも感じます。
「信用」とはお金で繋がった関係のことを指します。
銀行や信用金庫がお金を貸してくれるのは、実績含め返済能力があると判断をした結果です。
一方、友人がお金を貸してくれたり、クラウドファンディングでお金が集まるのは「信頼」があるからです。
つまり、芸能人たちは「信用」を得ながら「信頼」を失っているということになります。
逆に本当に良いものしか推薦しない人に信頼が集まります。
なので、私は信頼を気づくために「私ならどう考えるか」しか、ここ数年ブログには書いていません。
これは非常に怖いことです。
また、自論は実に子供染みていて、立場を考えれば直ちにやめた方が良いとも思えます。
しかし「このニュースをホリエモンなら、キンコン西野なら、落合陽一なら、どう見る?」という所に人々が注目していることも また事実であります。
ニュースが知りたいならテレビを見ればいいし、エクササイズを収集したいなら動画を見ればいい。
でも、あの人だったら このニュースをどう見る?
今の社会をどう捉える?
昨今の学習法としてどのような研修会を組み立てる?
と言った個々の見解を見たいのであって、(仮に)今さらアドラーのお話を復習するようなセミナーがあったとしても少し残念という気持ちになってしまいます。
人々は、事実と共に、皆さんというフィルターで ろ過された情報にも興味を持っていることを忘れてはいけません。
あいつ、それらしきコト言うけど、全てコピペ じゃん!
発言を拒み、自論を慎み、反対派に慄き、体温が感じられない人との会話なら、いっそのこと、初音ミクに奉仕してもらった方が気持ちいい。
人々は、「あなたの声」を聴きたがっている。