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四季の旅写真Gallery Annex

鉄道風景2005総括(上達)

2020.04.29 12:46

東北の豊かな四季と日本らしい景観、なかでも、絶景と四季の変化が見事な只見線や盛岡支社の花輪線、山田線、岩泉線は、私の写真の道場でした。鉄道写真は、季節感とその土地らしさ、そして車両の好み(愛着度)のバランスが重要であることを、知らず知らずのうちに学びました。2005年はそんなOJTのような年でした。(2020/4/29編集)

週末金曜日、ムーンライト白馬で、夜明け前にスキー場の灯りが美しい白馬駅に到着。期待通りの深い雪にテンションがあがります。時折日が差す展開でしたが、ちょうど良い条件の時に国鉄色キハ52がやってきました。(大糸線 中土)

厳冬の山田線区界駅。上り盛岡行き快速リアスを見送る駅長さんの姿が凛々しい。(山田線 区界)

土砂崩れで復旧できず、2012年に廃線となった岩泉線。山田線茂市から岩泉まで山間部を縫うように走る超ローカル線で、ダイヤは朝夕各2本のみでした。しかし、比類の絶景路線であり、私たちにとっては垂涎の鉄路でした。(岩泉線 浅内)

朝日が山肌を下り、山里の集落に当たり始めたタイミングで、カーブを曲がり岩泉行き列車が顔を出しました。隘路を走り、雪の山道を登った甲斐がある感動風景でした。(岩泉線 岩手和井内)

ふるさとの路面電車の廃止が決定し、運行終了まで1ヶ月を切った3月。撮影に訪れる鉄道ファンが増えてきました。ふるさとを離れてもう30年以上(撮影当時)。路面電車を捨てるふるさとの町に寂しい思い、でもそれは自分勝手な思いでした。(名鉄美濃町線 上芥見)

春を呼ぶ、秩父開幕。下りの撮影を終えて白久駅。立派な三脚を持って本気モードの鉄道少年、上りはどこで撮るのかな。(秩父鉄道 白久)

東海道本線から、櫛の歯が抜けるように、次々とブルトレが姿を消していく頃でした。この年はまだ、銀河、出雲、そしてこの冨士/はやぶさが来るので朝の根府川はエキサイティングでした。一通り撮り終えて、海沿いの食堂で刺身食べるのが楽しみでした。(東海道本線 根府川)

岐阜の市電、最後の訪問。馴染みの徹明町交差点の朝、奇跡のように赤電が三両並んだ。一番手前の車両(美濃町線)は、その後土佐高知で現役続行。2015年高知訪問時に、赤が色あせていましたが、元気に走る姿を見て感激でした。(岐阜市電 徹明町)

小湊の桜、各所で撮りましたが、上総大久保俯瞰、春の絶景です。(小湊鉄道 上総大久保)

早朝到着した陸中川井駅。通り雨のあと、朝日が当たる頃、国鉄色普通列車が駅を発車。まさに千両役者の花道です。(山田線 陸中川井)

只見線会津中川駅で、桜散る午後。好きな駅です。しばらく訪ねていない間に、40は運用終了しましたが、この駅舎は健在のようです。近くの道の駅にある、辛みダイコンのお蕎麦が美味しかったことをセットで思い出しました。(只見線 会津中川)


新緑が眩しい大糸線沿線。背後に雨飾山が見えます。車両は豆粒のように小さいのに、国鉄色気動車は存在感があります。(大糸線 北小谷)

北の大地、厳寒の羽幌で活躍していたキハ222、渋いスカ色となって当地の顔でした。2015年引退。(茨城交通湊線 金上)

沿線の恵比島が、NHK朝ドラすずらんのロケ地だったことから、たびたび運用のあったSLすずらん。終点増毛駅では海産物の振舞いで大賑わいでした。その後、2両あった蒸気の1両は東武に買われ、留萌本線も留萌・増毛間は廃線。残る区間も存続が厳しい状況にあります。(留萌本線 増毛)

国鉄時代の象徴、湘南電車(113系)が、引退の時期を迎えていたのがこの頃です。ずっと空気のような存在だったので、しっかり撮っておらず良い写真が少ないのが残念です。2006年3月に東海道口から姿を消しました。居なくなって初めて感じる偉大な存在感。時すでに遅しでした。(東海道本線 根府川)

ときおり(何年かに一度)、ふと訪ねたくなる流鉄。不思議なマイウェイな鉄道です。この駅もJR新松戸駅から至近にも関わらず駅名は幸谷です。(流鉄 幸谷)

大人の遠足と称して、同好の皆様数名で真夏のわ鐵訪問。トロッコに乗り終点足尾までの車中が自然の風で心地よく、草木トンネルの数分間が涼しさMAXだった記憶があります。涼むなら何よりもわ鐵のトロッコです。私のわ鐵通いのきっかけになった訪問でした。(わたらせ渓谷鐡道 足尾)

お誘いをいただき、紀勢本線の貨物(2013年終了)の撮影に遠征しました。北海道より時間がかかり、暑さは半端ではない尾鷲地方。しかし、DD51重連の貨物の迫力と編成美に魅せられ、2週連続通うことになりました。(紀勢本線 伊勢柏崎)

この頃の私のパソコンの漢字変換は、「きせい」と打つと、規制でも帰省でもなく、「紀勢」になりました。(紀勢本線 相賀)

夏鉄、大糸線。絶景俯瞰とともに、交換駅根知で国鉄色2両を構図に収める(根知交換)のも楽しい思い出です。(大糸線 根知)

晩夏の上総訪問は、この年から始めたもの。早稲で収穫が早い上総米は8月中におおむね収穫が終わります。ここ上総大久保の白鳥小学校の先にある田圃はその後休耕田になりました。貴重な棚田風景を記録できました。(小湊鉄道 上総大久保)

中根で秋空散歩(茨城交通湊線 中根)

ロマンスカーの手本になったパノラマカー。晩年は普通列車に格下げされましたが、優雅な走りは健在でした。GSEを初めてみたときもこの車両を思い出しました。(名鉄各務原線 切通)

懐かしい平成。(中央線 飯田橋)

晩秋の小湊沿線。長くこの鉄路を撮っているんだなと写真を整理しながら、しみじみ思います。幾たびの試練を乗り越えて、奇を衒うことなく変わらないところが貴重であり素晴らしいところだと思います。(小湊鉄道 上総大久保)

この駅の辺りの景観は少しだけ変わりましたね。一昨年(2018)は塩害、去年(2019)は台風で、2年続けて銀杏の紅葉が見られませんでした。コロナも収束するであろう今年の秋は、ぜひ自粛生活から脱却していたいものです。(小湊鉄道 上総久保)

千登勢小橋から。今も同じ景観が望めます。去年の紅葉の時期も同じ構図で撮りました。(都電荒川線 学習院下)

明治通りと荒川線が平行する辺りは銀杏並木がありますが、ここら辺りは私にとって東京のふるさとみたいな場所です。決まって晩秋か初冬に訪ねます。この頃は都電と道路の柵がなく、すっきり撮れたことに気づきました。(都電荒川線 学習院下)

桜の季節はよく撮る東中野の桜並木。紅葉もきれいです。そして、201系のオレンジバーミリオンは晩秋にお似合いの色だったと今回気づきました。(中央線 東中野)

冬のカシテツ、桃浦は夕日狙い。しかし、この日は残念ながら薄雲り。湖畔に降りてみました。筑波おろしが冷たい。堤防を散歩する人から「ご苦労さん」と声を掛けられました。(鹿島鉄道 桃浦)

師走。弘前での仕事が早く終わったので、五所川原駅を訪ねました。雪が多い。日が沈むと急に冷え込んできました。ちょっと立ち寄っただけですが、この写真を見ると寒かった記憶が蘇ります。(五能線 五所川原)

暮れも押し迫った頃、再び桃浦。2005年の大トリに相応しい夕日、「小さな旅」のテーマ音楽が流れてきそうな北浦の夕景でした。 定年後はここに小さな家を建て、毎日夕陽を眺めて過ごすのも悪くはないと真剣に考えた時期もありました。(鹿島鉄道 桃浦)

人生80年として、親が子と一緒に生きている期間は50年、一緒に暮らす期間は20年弱。私がそうでした。2005年は51歳、母が亡くなった年(父はその3年前に逝去)でした。親孝行が十分できなかったことに、未だに悔いが残っています。Fin.