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文霊 〜フミダマ〜

Short Story【やまね雨】⑥

2020.05.01 02:00

◆◆ 本章 ⑤  ◆◆


戦争ってゆうのは狂気だよ。人間の心を根っからぶっ壊してしまう。


そりゃそうだろ。味方も敵も、殺らなきゃ殺られるの極限の状態で戦ってるんだ。そんな状態で自分達が優勢になって、敵の砦のある市街地まで占領したらどうなると思う?


あんたらも、学校の歴史の授業では何年何月に関ヶ原の戦があったとか、桶狭間の戦があったとかしか習ってないだろ?


そうか、映画やドラマで観た事あるか。でもありゃぁ、戦ってる場面が殆どだろう?

私達ゃあね、市街地を攻められた後のその惨劇だけを、子供の頃から聞かされ続けてきたんだ。


何故かって、そりゃまさに現在進行形だからさ。

過去と同じ運命を辿りたくない。だから国は戦うんだという正当化の為さ。

だから自分達の本当にやりたい事も贅沢も我慢しなさい、というね…躾と意識をさせる為にね。


私もさ、今こうして七十五年前の事を話してる。


この七十五年は日本は戦争に巻き込まれる事もなく、平和で、豊かになって、文明も発展したね。そんな話を子供達に聞かせる必要はなくなった。でもその時代を生きた本人には鮮明に思い出せるものさ。


ところが奇しくもね…終戦の一九四五年も七十五年程前には戊辰戦争や西南戦争があった。日本人同士でさえ殺し合っていたんだよ。


樺太には北海道から渡った人も多かったんだよ。

新撰組の土方歳三は京都から甲府、江戸、会津若松、仙台、そして函館五稜郭。

やはり今の私と同じようにね、函館の当時の記憶が残る老人もいるわよね。

ましてや戊辰戦争以降の七十年は、あんたらの生きる七十年とは違い、日清・日露戦争、大戦も二度目でずっと戦争は続いてたのさ。

同じ民族同士の内戦と言えどもね、みんな同じさ。戊辰戦争の時の会津若松の市街戦も酷かったんだ。

戦争は狂気だよ。


ん?何の話だっけ?

ついまた老人の悪いクセで長くなってしまったね。

そうそう。極限の精神状態で戦ってきた兵士が敵国の市街地まで占領すればどんな行いをするかって話だったね。

殺らなきゃ殺られる。そんな戦場を進んで敵地を占領すれば、ずっと抑制されてきた「生きている歓喜」を現すんだよ。

どんな方法でって?それが狂気だよ。傍若無人さ。

破壊と殺戮、略奪と陵辱。

それを子供達にまで、具体的に想像できる位に刷り込ませてたんだ。


え?何だい?永介、お前「陵辱」を知らないのかい?言葉を知らないねぇ…ジャーナリストの端くれだろ?

ばぁちゃんはこれでも女だよ。女の口から言わせるんじゃないよ。強姦の事さ。

でもね、それが行き過ぎると何を意味するかわかるかい?美樹もわからないだろうね。

愛の結晶の子孫繁栄じゃない。その土地から、はけ口と暴力の末による民族の消滅だよ。


国を守る事、家族を守る事…それは同義語だったんだ。あの時代までは…。


勘違いされちゃやだよ。今を批判してるんじゃあないよ。あの時代が良くて、今がダメなんじゃない。

忘れた訳じゃないだろ。私は平和主義者さ。

子供達がそんな事を刷り込まれずに、それぞれのやりたい道に向かってゆける社会…それが当たり前な世の中、素敵じゃぁないか。

それが当たり前じゃなかった時代の住人なんだよ。私ゃね。


〜◆〜


お前まで何だい?美樹。あぁ、そうか。話の続きだね。

私の昔話は八月二十日まで…とうとう追いついてしまったんだね。私ゃ無意識にその話をしたくなくて、つい脱線してしまうかもしれないね。


その日は早朝から島の住民…と言っても、さっきも言った通り 老人を除いた十六歳以上の男性は島に残り、女子供、老人達ばかりさ。もう樺太庁の大津長官の送還命令が出たからね。

何千人という人数が三隻の避難船に分乗して北海道へむけて出港する手筈だったんだ。


暗い内から、港は大勢の人混みで溢れていたよ。そして続々と集まり続けた。大勢の人間が、疎開列車やトラックを使ってね。


我が家も例外じゃぁなかった。先に出発する私達女四人、父とお兄ちゃんが見送りに来てくれた。

ソ連軍の侵攻は、もう樺太庁の役場のある豊原市まで迫ってきていると言う。今日にもまたソ連軍は進撃して来るだろう。そんな日だった。


父は力強く言った。


「春代 (母)。この子達をしっかり頼むぞ。

美恵子。妹達の面倒を見て、お母さんの力になってくれ。

浩子。勉強頑張れよ。いつもみんなの中心にいたんだ。お前なら立派な大人になれんぞ。

朋子。お母さんやお姉ちゃん達の言う事をよく聞いて、お前も人に優しい素敵な女性になりなさい。お前は誰よりも優しい子だ。

いいか。少しの間のお別れだ。お父さんと利夫も必ず生きてお前達の元へ向かうかんな」


みえちゃんも  ひろちゃんも 本当は泣きたかったに違いない。いや、泣いていたかもしれない。でも父の声に、気丈に「はい」と返事していた。


私は…嫌だ嫌だ、お父さんとお兄ちゃんとも離れたくない、とダダをこねていたよ。もう二度と会えなくなる、そんな気がしてならなかった。

いつもなら「メソメソするな!」と叱責するひろちゃんも、その時ばかりは何も言わなかった。やはり泣いていたんだろう。私の瞳は止まらない涙と、夜明け前の薄暗がりの中で、周りの景色が歪んで見えていた。

代わりに私を優しく慰めてくれたのはお兄ちゃんだった。


「朋子。約束すっから。お兄ちゃんもお父さんも必ず元気に生きて帰る。だから…泣いてちゃダメだろ?」


そう言いながら、優しく頭を撫でてくれていた。

周りの家族も皆、残される男達との別れを惜しむ、似たような光景だった。

ひろちゃんが言った。


「お兄ちゃん。待ってっからね。ともちゃんの事は私に任せて。みえちゃんの事もお母さんの事も、みんな任せて!」


「さすがだな!浩子!頼むぞ!」


本当に離れたくなかった。それからまた時間は経過し、父はまた言った。


「春代、お前達。すまね。俺も鉄道の方へ戻らなければなんね。最後まで見送れずすまね…だが信じて待ってでくれ。これは今生の別れじゃねぇかんな」


「はい。あなた。先に行って待ってます」


こんな時まで仕事だなんて、男は大変だとつくづく思った。

私達は父とお兄ちゃんと別れ、足取り重く桟橋を歩いた。私達は何度も振り向いて二人に手を振った。

これは永遠の別れじゃない、そう思うようにしてた。

ソ連軍もまた鼻の先まで来ているという状況。本当に…本当に二人が無事で帰還する事を祈りながら。


「小笠原丸」という船が既に出港していた。その船には、お医者さんになりたいと言ってた ちぃちゃん家族が乗船しているはずだった。

学校の教師になりたい みよちゃん家族は「泰東丸」、私達は「第二号新興丸」という船だ。

本当は仲良しだった友達にも、もう一度会いたかったよ。でもこの大勢の人混みから探すのは困難だと諦めた。

父に兄に、樺太で共に過ごした多くの友人達。いつか必ずまた会える。そう信じて。


小笠原丸には約千五百人、次に出港予定の第二号新興丸は約三千五百人、泰東丸には約八百人の島民が乗船した。私達家族が乗船する第二号新興丸が一番多く乗船する。元々は商業用の船だったらしいけどね、武装改造して、そりゃもう軍艦さながらだったよ。


あぁ、もう面倒だから船の名前は新興丸でいいね。

船に家族で乗り込む時、私は半分怖さも覚えたね。

十二センチ単装砲、二十五mm機銃連装などなどの兵装が見えた。もちろんそれは後から調べた事だけどね。子供だった私には「人を殺す兵器」ただ、そう目に映っていたから怖かった。

それでも船首にある「新興丸」の文字に、どうか私たちを無事に稚内へ運んで下さい…と祈ったものさ。


あ、先にね、途中で行き先が変更になった事を教えておこう。

最初は行き先は稚内だった。途中で無線通信が入ったみたいでね。先に発って稚内に到着した小笠原丸が千五百人の搭乗者のうち、八百人を下船させたら、もうそれで稚内の受け入れ体制は限界だったみたいなんだよ。鉄道ももう対処し切れなくなったらしいよ。

小笠原丸に乗った ちぃちゃんを想ったよ。無事に渡ったかなぁって。

それで小笠原丸の残りの乗船者も新興丸も、私達の後に発つ泰東丸も小樽に向かう様、指示が出たみたいだ。

私にすれば生まれたのは北海道でも樺太育ち。北海道での記憶なんかないからね。祖父母が戦前に樺太まで会いに来てくれた事はあったけどね。

父と兄はいないけど…それが家族で初めての船旅だった。悲しいじゃないか。初めての船旅が避難の旅だなんて。


〜◆〜


出航前にはスクリューに網が絡まってるとかね、トラブルもあったみたいだけど、ようやくね、港で大勢の人だかりに見送られながら、船は出航したよ。


残る父とお兄ちゃんの無事を思いながら…だけど心の半分は、渡る北海道での新しい生活に平和の希望を感じもしながら。

お母さんやみえちゃんには、明日から何をすればいいかもわかんない、不安の方が大きかったかもしれん。

まるでさっきから「子供だった」事を言い訳にしてるよーに聞こえるかもしれないけど、やっぱり子供はいいね。無邪気に希望を感じてるんだから。


側に立ってたひろちゃんに言ったんだ。


「ひろちゃん、お父さんもお兄ちゃんも、大丈夫だべか」


「大丈夫だべ。次に会う時までともちゃんは泣き虫を治さねーとね」


また手を繋いでくれたよ。

母が声かけてきた。


「ほら、あんた達もお母さんからはぐれんでねーぞ」


私達は甲板にいたのよ。三千五百人乗った船は四つある船倉もギッシリで、甲板の上も人で溢れていた。

大勢の人で溢れる中を、私達も甲板の上で過ごす事になったの。

陸が離れてゆく。やがて船は、水平線だけに囲まれて、私は海の広さを思い知るんだ。


私達四人の隣りには、よしこちゃんという二〜三歳の幼児と、そのお母さんが二人で座り込んでいた。

お母さんの年齢はみえちゃんと同じくらいか、もう少し歳上に見えた。そんな訳もあってか、みえちゃんとそのお母さんはすぐ親しくなって話してたよ。


「ご主人はどんなお仕事されてたんですか?」

「漁業関係です」

そんな他愛もない話さ。だけどみえちゃんも言ってた。二人の会話が聞こえてきたんだ。

「このお子さん達が成長する未来には、みんな平和で明るく暮らせる世の中になれるといいですね」

などとね。

あぁ、やはりみえちゃんも、私の姉だな…嬉しかったよ。


そうか。ははは、みえちゃん、久しぶりに話題に登場したってかい。ひろちゃんの話ばかりだったからね。

でもあんた達もみえちゃんがどんな人だったかはわかるだろ。あんたらには、ひろちゃんがどんな人となりか知らせたいと思ってね、ひろちゃんの話を中心に聞かせてあげてるのさ。


私とひろちゃんは、よしこちゃんの遊び相手になってたよ。可愛いかったよ。


「とーもーちゃ!ひーろーちゃ!」

と、私達の名前を覚えて呼ぶんだ。


子供にすれば長い船旅は退屈そのものだろ。

ジャンケン遊びをしたり、人混みの合間をぬって狭い範囲で追いかけっこをしたり、私達二人が交代で抱っこして水平線の彼方を見せてたりしたよ。すごく私達に懐いてくれた。

樺太で今、何が起きてるか知る由もなく、ただ無邪気に遊んでいる。その姿を見ているだけで、私達家族のささくれ立ちそうな心も癒された。


母は言った。

「ひろちゃんも  ともちゃんも、もちろん  みえちゃん、あんたにも。あんな時期があったんだよ」


ひろちゃんは冗談交じりに言った。

「私、妹を泣き虫のともちゃんより、よしこちゃんと交換しよっかなぁ!」


私は「やだ!」と言ってたね。ただ、私にも妹が欲しいなと思った。

みえちゃんが言った。

「私もね、十二歳の頃にともちゃんが産まれて、ひろちゃんも二歳で、今のあなた達みたいに可愛いがってたもんだよ」


よく考えるとそうだ。みえちゃんに私やひろちゃんみたいな歳の差の妹が出来た時、こんな感じで遊んでくれてたんだろなと想像した。何せ本人の私にはそんな記憶はないからさ。

私達は、みえちゃんの十二歳の模擬体験をしてるのだ。


やがて日が暮れ、よしこちゃんは遊び疲れてうたた寝を始めた。

雲行きは怪しかった。そして雨が降り出してきたんだ。みんな雨を避けられる所へ移動しようとしたけど、そんな場所は限られて狭い。よしこちゃん親子は優先させた。あとはみんな、毛布を頭から被ったりして凌いだ。

そう、船内はもう人が一杯だったしね。三千五百人の乗り合う船。


もちろんね。雨もいつかは止む。

でもね…その雨が止んでから、私の【やまね雨】が始まるのさ。


〜本章 ⑥へ続く〜