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文霊 〜フミダマ〜

Short Story【やまね雨】⑦

2020.05.01 10:00

◆◆ 本章 ⑥  ◆◆


八月二十二日、まだ早朝。

雨上がりの空はまだ今にも降り出しそうで不安定だった。それよりも参ったのは海の時化だ。その揺れに耐えられずに酔って甲板に吐く人も多くいた。


私達家族もそうだった。私やひろちゃんもこんな長い船旅は初めてだし、母やみえちゃんも戦時中はずっと樺太から出ていない。久しぶりだったんだろね。私も出航前に炊き出しの人に頂いたご飯は全部吐いてしまったんじゃないかな。


よくさ、「気持ち悪くなったら、トイレで吐きなさい」と言うだろう?そんな余裕なんてあるもんか。船には三千五百人も乗っているんだ。行列でトイレ空きを待っている間に吐いてしまう。その行列に向かう途中で吐いてしまう。

甲板にいた人達は揺れだけでなく、雨に濡れた事や湿気にもすっかり弱ってたんだろね。


隣のよしこちゃん親子もすっかり参ってた。お母さんはよしこちゃんを抱きしめながら座りこんで、頑張ってねぇ、もうすぐだからねぇ、と声をかけ続けてたよ。


北海道北端の稚内であればもうとっくに着いてたであろう時間だったけどね、小樽に変更となったもんだからさ、移動は長引いた訳だろう。

おまけにこの海域は浮遊機雷もどこにあるかわからない。それは敵がまいた物かもしれないし、この新興丸も巻いてたってんだからね。慎重な航海を余儀なくされてたらしい。後から知った話だけどね。


そんなよしこちゃんのお母さんの「もうすぐだからねぇ」を聞いた心ない誰かが「んな事言ってもねぇ…今は留萌沖。まだまだだよ」と呟いてた。

みんなイライラしてたのさ。


そのうち何だかね、乗組員の兵隊さん達の動きが騒がしくなってきたんだ。

元々ね、右舷、左舷と浮遊機雷を注意深く警戒する見張り員はいたけど、その警戒ぶりのね、空気の張り詰め方が変わってきていた。


みえちゃんがコソリと聞いた話だとね、敵艦に警戒せよって話らしい。先を進む小笠原丸にも何かあったんじゃないかとね…甲板の上の人達もにわかにざわつき出した。


私もね、一気に緊張したよ。ひろちゃんがいつものように手を繋いでくれた。その手は一層力がこもってる様に感じた…ひろちゃんも緊張してたんだね。

そして私はその手の強さを一生忘れない…

そのうち、前方に船らしき影が見えてきたんだ。


永介。すまない。お茶のお代わりをくれないかい?

少し休憩させとくれ。


〜◆〜


前方の船らしき影…

敵?味方?

そして見張り員が何か叫ぶ声が響いたんだよ。

「らいせきー!!」


私達にその言葉の意味はわからなかった。


『ドガァァァァァーン!!』


とてつもない爆音と時化の揺れとは違う…そう、あれは震えだ。船の上なのに陸の上で感じる地震のような震えが足元を襲った。


「お母さん!何!?今のは!?」


みえちゃんも ひろちゃんも、母に詰め寄った。私はただ、訳もわからずにいたよ。だが母も何事かわからない。甲板の上はたちまちパニックさ。

誰かが叫んだ。


「魚雷攻撃だぁ!船倉にでっけぇ穴が開いたぁ!」


その叫びにもうね…戦慄だよ。全身を駆け巡ったよ。何が起きたのか訳もわからずにいたけど、直感は「この船は沈む!」と、危険信号を発してた。

「逃げなきゃ!」とも思った。思って「どこへ?ここは甲板の上だ」と思い直させられた。つまり思考も私達の身体も、もう行き場が無くなってたんだ。


後から調べたよ。見張り員が叫んだ「らいせき」とは魚雷の「雷」に史跡などの「跡」の文字で「雷跡」

魚雷が発射され、向かってくるのを確認した、という意味の言葉だったんだ。


二人とも  いいかい?ここからはもう、私の実体験も、後で調べた内容も、混合して説明する事を容赦願うね。今みたいな「いちいちの説明」は省かせてもらう。

大事な事はそんな事じゃないからね。何があったかだけをその胸にとどめて欲しい。


甲板の上に呆然と立ち尽くしていると、グラッと船体が右に傾いてゆくのがわかったよ。

やがて阿鼻叫喚の呻き声が風に乗って聴こえてくる。どこから?

ゆっくりと首を海に向けると、大きな風穴の開いた船体から、船倉にいた多くの人が海に吸い込まれてゆく所だった。

キャーキャー、ワーワー、助けてくれー…何も出来ない自分が本当にもどかしかったよ。


ところが次の危機は雨や吐いた汚物で濡れた甲板の上よ。船首が前方に傾き、ここでもまた多くの前方にいた人達が多く滑り落ち、海へ飲み込まれてゆく。


キャーキャー、ワーワー。右も前も。


皆、何かに摑まり、海への落下を阻止せんと必死の形相だった。私達家族は傾く甲板の上で、私が怖がっていた砲門の影に身を保っていた。


今度は自分達の船からラッパの音が鳴り響くのが聞こえてきた。乗組員達に戦闘配置につけという合図だった。

私は両耳を塞ぎ目を閉じた。その片手をひろちゃんがまた取った。

「ともちゃん、手を離さないで!」


海の向こうから「トコーン」という音が鳴ったかと思うとヒュルヒュルヒュルという空を裂く音が近づいてくる。

次の瞬間。


『ザッパーーーーーーーーン!』


見下ろす近くの海に水柱が立った。怖くて怖くてたまらなかった。


遠くに潜水艦が浮上していたのが見えた。

ドコーーン!ヒュルヒュルヒュルヒュル…

ドコーーン!ヒュルヒュルヒュルヒュル…

ドカーーーン!ドカーーーン!

船に当たり出した。その音響の凄まじさたるや、腹の底まで揺るがし続けてた。


ベチャッ

近くに何かが吹き飛んできた。それが何なのか、ゆっくりと閉じていた目を開いて確かめた。

人間の腕だった。息を飲んだ。

ベチャッ ベチャッ

続け様に降ってくる肉片や体の一部。

たまらず私はギャーーーと声を上げた。ひろちゃーん!みえちゃーん!お母さーーん!と。


放たれた弾の一つは、船のデリック・クレーンに命中した。その爆音もまた大きくてね、私はバラバラの人の体から目を背けたかった事もあり、そちらを向き直ったの。

粉砕されたクレーンの鉄骨が甲板に降り注ぐ瞬間だった。その鉄骨は、海に投げ出されず甲板に踏みとどまった人達の上に落ちてゆく。

鉄骨にグシャリと圧し潰される者、串刺しになる者、半身を分断される者…あちこちで血しぶきが飛んでたよ。

どこを見ても地獄絵図だよ。


ヒュルヒュルヒュル…ドカーーーン!

ヒュルヒュルヒュル…ドカーーーン!


弾が降ってくる。

肉片が降ってくる。

鉄骨が降ってくる。

甲板の上は真っ赤な血の海と化していた。


「ひろちゃん!みえちゃーーーん!雨が!雨がやまね!やませて!このやまね雨をやませてーー!お母さーーん!」


「ともちゃん!手ェ離すなよ!」


みえちゃんもそばにいた。


「あんた達!こらえるんだよ!」


ようやくこちら側も反撃開始が始まった。

見ると弾薬庫から、兵隊さんも民間人も協力して弾薬をリレーで運んでいる。最初の魚雷攻撃で、弾薬庫の鍵を持つ兵隊さんが犠牲になったらしかった。

それで誰かが弾薬庫の扉をブチ破ったんだろうね。

反撃に時間を要したのは、そこからの運搬に手間取っていた事情もあったんだ。


新興丸も、十二センチ単装砲、二十五mm機銃連装、他にも積載されてるあらゆる武器が火を吹いた。

ドゴーーン!ドゴーーン!ドゴーーン!

ドカーーーン!ドカーーーン!ドカーーーン!

ザッパーーーーーーーーン!

ズッカーーーーーーーン!


爆音の雨は、新興丸からの発射音、敵の弾が命中し破壊する音との二重奏となり、ますます激しい土砂降りとなった。

そして新しい雨も加わる。


タタタタタタタタタタタタタタタタタタ!


敵艦からも、こちら側からも、機銃の一斉掃射の雨も始まった。


「伏せろーーーっ!」


甲板の上の人達に兵隊さんからも指示が飛んだ。

その指示が行き渡った様で、甲板にいる生き残りの民間人達も皆伏せた。

そう、船倉に退却した所でそちらも人で溢れているし、開いた穴から海水も多く流れ込んでいる。


「あなた達はここにいなさい!」


母は私達三姉妹にそのまま単装砲の台座の影だった。母もすぐそのそばで伏せていた。

少し離れた甲板の床には、よしこちゃんもお母さんにおぶられて親子で伏せている。


タタタタタタ!タタタタタタタタタ!


掃射も止まない。船に伝わる衝撃ももはや大砲なのか魚雷なのか判断はつかない。右に傾いたままの船体が震える度に、軽い私の体も放り出されそうになった。その都度、ひろちゃんの握る手に力が込められ、みえちゃんに抱き戻された。

私ももうその頃には泣いちゃいないよ。心はもう壊れてたんだ。


向こうの機銃の掃射が一瞬止んだ隙があった。


「今のうちに!船内へ移動出来る者は移動せよ!」


兵隊さんの声が響いた。

よしこちゃんのお母さんが立ち上がるのが見えた。私達も後を追った方がいいのか、母の判断を煽ろうと母の顔を覗いた。その直後だった。


タタタタタタタタ!


「ギャ!」


非情な叫び声が私達の耳にも届いた。


「よしこ!」


よしこちゃんのお母さんは、よしこちゃんを座り込んで床に下ろし、抱き直した。弾がよしこちゃんの背中に…


「よしこ!よしこ!よしこーーー!」


掃射がまた再開する中、お母さんの悲鳴が…


ごめん。

私まで泣いていたら、あなた達に全てを伝えると決心したのに…

役目を果たし切らないとね。


お母さんはずっとよしこちゃんに声をかけ続けてたよ。そして私達の場所からもよしこちゃんの顔がどんどんと蒼白になってゆくのがわかる。


「よしこ!ほら!もうすぐお父さんに会えるよ!もうすぐみんなでご飯よ!よしこ!ほら!頑張って!美味しいご飯が待ってるよ!貴方の好きなご飯の時間よ!よしこ!よしこ!よしこ!」


私もひろちゃんも、母もみえちゃんも、その一部始終をただ見つめる事しか出来なかった。


「よしこ!よしこ!よしこ!

ごめんなさい!お母さんのせいよ!よしこ!よしこ!ごめん!ごめんなさい!よしこ!よしこ!

私が!私がぁぁぁ!よしこ!あなたをおぶってさえいなければ!いなければぁぁぁ!あぁぁぁ!よしこ!よしこーーー!」


慟哭の雨も、止む事がなかった。


〜本章 ⑦へ続く〜