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笑える単独事故の話

2020.05.05 09:00

5月になりました…。

急激に暑い日々ですね。

夏好きな私には最高です。


ん?おいおい、2020年未だに大した想い出が無いぞ…?それもこれもコロナさんの影響だよね…。

コロナさんが落ち着いたらアホみたいに遊びまくってやる…!😔😔


お、そうだ。来月6月は私の誕生日なので祝って……ね…。


今日の題材はタイトル通り、笑える単独事故の話を。


以前、和太鼓の話をした時にチラッと話したンですが、私は今から9年前の2011.07.23に単独事故で複雑骨折をしました😵💥


この日は、近所(家から歩いて5分しない場所)で和太鼓のコンサートを行った日でした。


まぁ、もちろん家族も見に来てたので、演奏中邪魔だった携帯電話を母親に預けてました。演奏が終わって携帯電話を取りに行こうと思った時には家族は既に帰ってしまっていました…。


私は携帯電話依存性だったので、慌てて一時帰宅することに。


夏は真っ只中。数日前に夏休みになったばっかり。気分は絶好調!

ビーチサンダルでダッシュで家へ向かいました。


我が家に帰る時いつも決まったショートカットルートを通るのですが、悲劇の現場はそこで起こったのです。


ショートカットルートには、少々高めな段差があり、いつもそこを飛び越えて家へ向かうのですがその日は、車がこちらに向かって走ってくるではないか!と焦った私は小走りで飛び越え、つまづき転びました。


車の運転手さんが、『大丈夫〜?』と聞いてきた時には『大丈夫ですw』と笑いながら受け答えが出来ましたが、今までに味わったことの無い痛みがあり、転んで間もなく走って家に帰り、汚い足のままリビングのソファーに腰掛けました。


『痛い痛い痛い痛いマジ転んだくそ恥ずかしかった痛すぎwwwwww』と痛みのせいで笑えてきてそれに釣られて両親も『そんなに痛いの?wwちょっと見せてみなさいよwww』と謎に笑いが止まらない団欒。

『いや、立てないレベルで痛てぇwww無理www』と私が笑ってると父親がやって来て、私の腕を覗き込みました。


その時私は自分の腕を抱えてる状態で首にぶら下げていたタオルが転んだ時に腕にまとわりついた様で、問題の腕がどうなってるか分かりませんでした。


そしてとうとう父親が確認した時、腕はありえない曲がり方をしており、父親顔面蒼白w

『きゅ、救急車呼んだ方がいいかも。』

自分の腕を確認した時、急に痛みが強くなり泣き喚く私。慌てる両親。


たかが骨折だった為救急車が到着したのは1時間しないくらい後でした。

救急隊員さんが私を立ち上がらせようにも立てず、腕を確認しようとも動かせず……そしてやっとの思いで救急隊員さんが確認した時、腕から血が滴っていることに気付き、救急隊員さんが『これは骨が飛び出た可能性があります。感染症の恐れがあるので急ぎます!』と急に慌てだし、私は無理矢理救急車に乗り込みました。

人生初でした……。


付き添ってくれたのは父親で、ずーっと泣いている私に何故か鬼笑ってて、本当になんなんだこの人は!と思ってました。笑


病院に到着し、急いでレントゲンを撮り、医者から告げられたのは、『左腕の複雑骨折です。2本折れてます。オマケに骨が飛び出たようなので、感染症の恐れがあるのでしばらく入院して頂きます。場合によっては手術もあります。』と言われ、私は冷たい台に寝かされ、腕を元通りに戻されましたが、どう考えても痛いので、局部麻酔から軽い全身麻酔に切り替えられ、その時の記憶は兎に角自分の泣き喚く声、ボヤけて見える天井しかありません。


気付いた時には病室で寝かされてました。

夕飯も何もしてなかったので母親に何が食べたいか聞かれ何を思ったのか私は『かにぱん……』と答え、かにぱんを片手で一生懸命食べました。


トイレに行くのも困難で母親に連れてかれ、サポートしてもらってました。その時母親にボソッと呟かれたのは『今日死んだじいちゃんの誕生日じゃない。なんかある気がしたの。』と涙ぐんでました。母の勘は鋭い。


そうして始まった入院生活!

もちろん生まれて初めて!

小児科だったので周りは自分より子供ばかりで病室は6人部屋で私ともう1人のみ。途中何人か来てはすぐ退院だったので最後まで一緒だったのは私ともう1人の女の子でした。

(その子は盲腸の手術で入院していて、私が退院する2日前くらいに退院したので最後の1.2日は6人部屋を私一人が貸し切ってました。)


私はただの骨折だったので食事は通常食。

朝から分厚い食パン3枚から始まりお昼も夜も沢山食べました。


お風呂には入れずトイレは1人で困難。

ついでに点滴を打ってたので(もちろん人生初。針を刺す時死ぬほど痛かった。あの針太すぎんか…)点滴と共に過ごすのは不便極まりなかったです。


あとは、夏休み突入直後だったので山ほどある宿題を粉す日々。暇だったので宿題がいい暇つぶしでした。


そんな感じで気が付けば1週間が経過し、退院したいと騒いでた私は解放されました。


久々に出る外は暑くて最高でした。


しかしまた悲劇は起きる……。


退院2日後の夜、首に猛烈な痛みが走る。

味わったことの無い痛み。

家族を呼ぶことも出来ず、隣の部屋の母親に電話をし、何とか寝付き朝になり父親に診てもらったところ、コレはおたふく風邪かもしれない、という事でまた病院へ。


もちろんおたふく風邪でした。

折角の夏休みが骨折、入院、おたふく風邪で開幕し、気が付けば8月も後半に差し掛かってました…。不幸な夏休み。


そうして夏休みが明け学校が始まり、ギプスが取れたのは10月頃。

しかし、手術でボルトを入れなかったのもあり左手をちゃんと使えるようになったのは事故から半年後くらいでした。


もう二度と骨折はしたくないし、転けただけであんなことになるなんて。

注意散漫してるんでしょうね。


なんて言う私の骨折話でした。

ちょっと笑えるでしょ?笑



今でも季節の変わり目は傷口が痛みます。

骨が飛び出た場所は未だ、皮膚に傷が残ってます。

ついでに、腕の長さも少し変わってるし、腕を外側に向けることも出来ない。

ラーメンのスープを飲む時も腕が上手く動かないのでレンゲを口に近付けるのも困難で、口をレンゲに近付けたり。

後遺症は一生モノらしいです。


写真を見れば何となく左手が曲がってるの分かりませんか?


こんな腕でよくドラム叩いてるよな。笑

みんなも気を付けてね…。

折った腕が利き手じゃないだけ不幸中の幸い。


ちなみに、07.23は亡くなった祖父の誕生日。

祖父は左利きでした。


本当に何かあったのかなぁ…。