スペインの水差し
スペインの水差し(12,2 x 8 cm 、横は本体のみ)、時代は18世紀後半から1800年初め位だと思います。昔、オランダで仕入れました。昔は仕入れで時々オランダに行ってました。アムステルダムやライデンなどによく行ってましたし、あの頃はアムステルダムに恋してるんじゃないかと思うくらいに定期的に行かないと駄目でした。今はアムス熱は収まり、代わりにエジンバラですかね。最低でもエジンバラには年に一回は行かないと調子が悪い。でも、今年はコロナでエジンバラどころかイギリスにも行けそうにありません。去年の秋にエジンバラの街中の本屋さんで探していた本を買ったときにレジで本を手渡してくれた女の子の目がキラキラと美しくて、こんな綺麗な目があるんだな、と心に刺さるくらいに印象的だったのです。変な意味ではなく、本当に忘れられません。目の輝きが。何時か半年くらい住みたいですね、小さな部屋を借りて。エジンバラは幽霊多いんですよ古い街だから。坂が多くて古い石畳が何処に行ってもありますね。人も優しいし、その点では昔住んでいたダブリンに似てますが、ダブリンよりエジンバラのほうが洗練されてますね。でも、どちらもケルト民族の街ですから矢張り似てますね。ロンドンとかだと、中国系とか黒人もそこに住んでる人は、矢張りイギリス人のように振る舞うんですね。カラード(有色人種)に対しての偏見も強いし、イギリス人のように振る舞わなければ受け入れて貰えない、という同調圧力も強いので、段々と住んでいるうちに皆んなイングリッシュに、イギリスっぽくなっていくんです。その同調圧力に慣れてはいても、ふとしたときに疲れるんですね。全然レベルは違いますが金沢にもそういう圧はあります。能登に行くときに金沢を離れると、その圧が、荷が取れるのが分かる。軽くなるんです肩の辺りが。話しが逸れましたね、Sorry。エジンバラやアムスに住んでいる黒人やチャイナの顔は、まあ簡単に言うと活き活きしてるんです。その街にある程度同化はしてるけど、その人が引っ提げているルーツみたいなものも残っていて、その同化とルーツのミックスが魅力的で、見てて、街を歩いてて楽しいんです。他者に対する街の寛容さ、と言ってもいいかもしれません。ロンドンで高級デパートやピカデリー辺りの高級アーケードに入ってみると分かります。そこにいるカラードの店員は皆んな立派にイギリス人を演じてますから。立ち振る舞いもアクセントも。そして、何処かしら自分のルーツはなかったように振る舞う。カッコいいように見えるかもしれませんが悲しい姿と見ることも出来ますね。というこの僕も最近はルーツを忘れたようにイギリスっぽく振舞っているわけで、何たる偽善。