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郷愁の風景

【東京都】佃島(中央区)

2020.05.04 12:09

東京在住以外でも恐らく一度は耳にしたことある人が少ないだろう「佃島」。

「佃煮」はこの地の名前が由来で、伝統的な佃煮専門店が現在も数軒現役として営業を続けている。

江戸時代は隅田川河口に浮かぶ小さい洲島に過ぎなかったが、徳川家康が江戸入府の際、摂津国佃村の漁師を呼び寄せ、江戸近郊の漁業権を与え、造成のうえ住まわせたのが始まり。

その際、彼らが信仰してきた住吉大社を勧請し、住吉神社を創建した。

島民のほとんどが漁師という漁村で、徳川幕府への献上品だった白魚を初め、近海で水揚げされた魚介を日本橋魚河岸に卸してきたことで、長らく生計を立ててきた。

現在も漁家の名残りを伝える町家が残り、船溜まりとともに往時の風景をとどめている。

近年の再開発で大川端リバーシティ21が造成されたことで、新旧が同居する風景を目にする。


【東京都】佃島「佃大橋からの遠景」(中央区)202005

現在の佃島は周辺に埋立地が造成されたことで「島」という感覚が全く感じられなくなっている。

大川端リバーシティ21は江戸時代に人足寄場が置かれた石川島で、明治以降は石川島造船所(現在のIHI)の敷地だった。

住吉神社の一の鳥居が隅田川沿いに西に向いているが、島民が故郷の大阪がある西への望郷を込めていたのだろうと想像できる。