病気と私 39 就活
誤字脱字等、その他本文のおかしなところは、随時修正していくつもりです。
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よろしくお願いします。
1986年夏(19歳)
----- 東京 -----
豊島区の6畳一間のアパートに住んでいた。
ボロアパートと呼ぶにふさわしい、強い風が吹いただけで倒れそうなアパートだった。
トイレは共同、お風呂もシャワーもなし、エアコンなし、
とにかく、引っ越し早々、朝起きると汗だくになっていて、学校に行く以外に生きる道はないとうような状態だった。
一階は、駄菓子屋のような雑貨店だった。
アパートに越したのだから、自炊しなくてはいけなかったのだが、起きたらとにかくできるだけ早くアパートから出ることが、日課になっていた。
学校が休みの日も同じだった。図書館に行くなり、デパートに行くなりしないと、暑くて何もしようがなかった。
東北から出てきた私にとって、東京の夏は半端じゃなく暑くて大変だったのに、このアパートの部屋は、その暑さを凝縮したかのようなものすごい状態になっていて、冗談ではなく日中この部屋で一日を過ごせば、命の危険を感じるほどに暑かったのだ。
池袋の駅前まで自転車で10分ぐらいだったので、アパートから無事に出られさえすればどうにかなった。
学校がある日の日課は、早めに起きて、学校まで行く途中の喫茶店に立ち寄り、トーストとコーヒーを頂くことだった。
暑くて、いったん涼まないと、学校まで行くのも大変だったのだ。
カウンターが一つあるだけの小さなお店だったので、数日通っただけで常連のような扱いになり、私が立ち寄るのを待っているような感じになってしまった。
店内では私以外のお客さんが居たところを見たこともなかったが、日中や夕方などには誰かがきていたのだろうか。
トーストに煮物とか、おかしな組み合わせにはなっていたが、野菜も食べないさいと、マスターが作った食事のおかずなども器に盛られて出てくるようになった。
遅刻しそうになっても、なんだか顔だけは出さないといけないような変な感じにはなっていたが、それはそれで悪くないと思っていた。
この頃は、リラクゼーションのプログラムにはまっていた。
ヨガ、呼吸法、気功法、それとアルファー波などだ。
私は、自分の集中力を高めることにとても興味をもった。
(落ち着きのない自分に終止符を打つには絶好の勉強だった)
アルファー波を使ったリラクゼーションは、脳波を音で表すため、自分の状態を把握するのにとても役に立った。
この頃、喫茶店でバイトをしていて、その時に知り合いになったお客さんから、仙台にあるアルファー波の研究所で働いてみないかと誘われたことがあった。有難い話だったのだが断わった。
その話の前に、実家の隣町に住んでいる人で、特別養護老人ホームの理事長をやっていた人から、新しい施設を作るのでそこで働いてくれないかと話しがあったからだ。
祖母がよく面倒を見ていた親戚の叔父さんが居て、その叔父さんと理事長はとても仲がよかったそうなのだ。
何かの折に、「仙台のベッドスクールを卒業して、今は東京の学校で福祉の勉強をしながらがんばっているやつが居る」という話をすると、理事長は社会福祉協議会の仕事で、何度か慰問と言う形でベッドスクールを訪れ、子どもたちに会ったことがあるという話になり、自分が病気で苦労をしてきたのに、福祉の道に入ろうという人間なら是非自分の所で働いてもらいたいということになったらしい。
新しく施設を作るというタイミングと重なり、とてもスムーズに話が進んで、私の所に打診があったというわけだ。
父も母も、学校を卒業したからといって、なにか資格が得られるわけでもないし、こんないい話は滅多にあることではないと喜んでいた。
今の時代とは就業の形態も違っていて、終身雇用が当たり前の時代だった。
入学と同時に心理学で飯は食えないと言われていたし、就職のことは常に頭にいれてあったが、学校を1年残して中退するのはもったいないとも思っていた。
形式だけの試験だが受けに来てくれというので、私は一旦実家に戻り、試験を受けることにした。
試験は、面接と論文だけだった。
私の論文は、ノンバーバルコミュニケーションと、笑顔と勇気付けを組み合わせた論文で、笑顔を自由に作ることができることの重要性や、話せない老人に対し、その表情や仕草から得られる情報が沢山あることなどを具体的に書いて提出した。
その後、理事長からは何の連絡もなかったので、翌年の4月からは、老人ホームで働くことになるなと覚悟を決めていた。
このことは、先生にも相談していた。
児童に関われば、子どもの未来を創る仕事になるし、老人と関われば、最後の時をどう幸せに迎えさせるかという仕事になり、その時を見続けながら仕事をすることになる。
対極にあるように見えるそれぞれの仕事だが、どちらを知ることでも、人生に共通した流れのようなものは見えてくると思う。
そんな話を先生はしてくれた。
最初に理事長に会いに行ったとき、「本当は、児童と関わる仕事を希望していたのですが」と話すと、それなら数年間老人ホームで働いた後、児童養護施設に行かせてやると言われたので、断る理由もほとんどなくなり話を了承したのだ。
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