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松浦信孝の読書帳

読書の先に追い求めているもの

2020.05.06 02:18

昨日5月5日、岡山の皆さんと、センジュ出版吉満さん、どくすめ小川さんのZOOMの会に混ぜて頂いた。


1次会、2次会で計4時間に及ぶ会だった。自分にとっては皆さん初対面ながら、『しずけさとユーモアを』読者という共通点を通して出会った岡山の方々はとても素敵で、是非ともコロナが明けたら岡山に会いに行きたいと思った。


会の中で、僕にも少し話題を振って頂き、吉満さんが、「読書のすすめに出会う前と後で、変わったことは何ですか?」と質問してくれた。


読書のすすめに出会って変わったこと。


まずは、読む本の種類だ。自己啓発本や良さげなビジネス書、最新を謳った翻訳本などが好きでよく読んでいた。


清水店長や小川さんが読んだ本の中から、更に薦められる本しか置かない。という一見非効率な読書のすすめの方式は、読み手を突き動かす強力なエネルギーに満ちていた。


「自分で選んだ本では自分の範疇を超えない」店長達はそう言っていた。確かにそうだ。


「え?これを読むんですか?」と思った本も何冊かある。信じて委ねると、自分の枠が広がった気がした。


読書のすすめに出会って変わったこと、その2


おそらく、自分は強くなった。苦境に際して折れないことではなく、一旦折れてもその先に活路を見出すための知恵を集積してきた。そういう質の強さが、ずっと欲しかったのだ。


中高生の頃は、割と喧嘩っ早く、暴力に訴えることが割とあった。子供の喧嘩は楽である。社会的立場を気にしなくていい。


大人になるとそうはいかない。社会的立場という柵の中で、取り繕った言葉の裏の棘や、言外に込めた皮肉の応酬をする。手を出せない分質が悪い。


そういう毒に塗れつつ、自分を失わないためには、哲学が必要だ。


高次の知性で相手の発言を無力化するための武装、そもそもそんな嫌みを寄せ付けないためには、本を読んで自分が異次元に行くのが最も手っ取り早い。そういうことを考えていた。


また、大事な人を守れるだろうか、なんてことも考えていた。


小学生の時に考えていた理想の死に方は、好きな子をかばって死ぬ、というなんとも漫画チックなことであったが、「人生何があるか分からないから、自分がいなくなっても相手には幸せでいて欲しい 。」この気持は割と根底にある気がしている。


自分の大切な人達を守るには、今の平和な世の中だったら医学だ!と思い医学部を目指したこともあったが、何の因果か辿り着いたのは歯学部だった。自分で何でもやりたい性格の人間に、メインが組織人の医師は務まらない。神の采配である。


自分の周りを守るためだけの知識なら学べば良いのであるから、そこに専従する人間である必要はなかった。


ただ、読書のすすめで出会う、あらゆる本を読んでいく中で、自分の身の周りの人間を守るために必要なのは医学知識ではないことも分かった。


どんな仕事でも、自分の家族は守れる。もっと深い「問い」の世界が開かれていった。


医療には限界があるが、哲学・宗教はその限界を超えて普遍的に存在する。


いのちのスケールが広がった。


また、守りたいと思ったのは、生命だけではなかった。


歯科医師はその多くが開業医だ。患者さんの人生はもちろんのこと、自分だけでなく、従業員やその家族も含めて、人生に責任を負う。


そんな人間が学ばなかったら、どうなるだろう。経営者が負うのは、経済的責任だけではない。関わる周りの人間に必要であれば、哲学を示すのも責任だと考える。


学生の頃から、不思議とこの意識だけはあった。商いをしていた祖父母、開業歯科医の父のお陰だろう。


また、交友関係でも、守りたい人はいる。


センスの良い友人、後輩。輝くアイデアを持っていながら、社会人になると同時に「現実」の洗礼にあって輝きを失っていくのが、勿体ないと思った。


「現実はこんなもんですよ。そろそろ大人になりなよ。」なんて「常識」という名の冷や水を浴びせるのは「常識人」に任せておこう。


「常識」とかいう曖昧な枷を否定して、自由に自分自身を生きるために、「異常識」の人になろう。


レールを踏み外して自分の道を敷設する勇気を手に入れたのは、読書のすすめの本達があったからだ。


今、実に良いタイミングが来ている。


新型コロナの隆盛で、「常識」というよく分からない空気が音を立てて崩れ去る今、各々がなんとなく抱いていた疑問が顕在化する。


あと一押しで、世界は変わっていくんだろう。


古きも新しきも、この世に積み上げられて来た、智慧の集大成が、今、とても輝いて見える。