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ニジェールの外科医と静子さん

今日は鈴蘭忌

2020.05.06 13:32

《今日は、静子さんの命日。

今日、静子さんのことを思い出している人、多くはいないかもしれない。でも大勢ではなくても、心から懐かしんでくれる人が、1人2人いるだけで、私だったらうれしい気がする。五月なので、ぱっと鈴蘭忌っていう言葉が浮かんだ。

 アフリカに居た時、静子さんに借りて読んだ洲之内徹の本に、この方の息子が事故で死んでしまった時、9月だったそうで、あかまんま忌と呼ぶことにした、と書かれていた。

この、洲之内徹の本はすばらしい、なんのかざりも、なんのひねりも、なんのからくりもない普段着文章なのに、立派な本にも劣らず、私は本当に感激した。・・・》

(2000年5月6日、妻からのメール抜粋)

20年前、私が長期でコートジボワールに赴任している時、日本に残るカミさんから届いたメールである。 

更にさかのぼること12年前、ニアメに住んでいた頃、谷垣夫妻もニアメに住んでおられ、互いに朝食を持ち寄ってご一緒したり、ご夫妻は、小学生の我が家の子供たちと一緒にハイキングに連れてくださったりもした。

我々の帰国後も、谷垣ご夫妻は首都ニアメから770km離れたテッサワに移られ医療活動をされていた。

一方、ニジェールから日本に戻った妻は、静子さんお気に入りの本を送ったりしていたようだ。そして1999年5月、先生からの便りが届き、静子さんの永眠を知らされた。

私のコートジボワール赴任は子供たちの学校の関係から、しばらくは単身赴任であった。冒頭の「鈴蘭忌」は、そんな時、東京からアフリカに届いたメールである。

アフリカの援助に携わる人の多くは、先生から大きなインパクトを受け、エネルギーを与えられてきた。そして今も、皆が先生の志に少しでも近づこうとする力をいただいている。

天国の静子さん、やすらかに鈴蘭につつまれておやすみ下さい。鈴蘭を見るたびに、これからもずっとあなたの事を思い出すと思います。

今日は鈴蘭を活けてみました。杏子に代わる梅も添えてみました。 

広報担当: Y.A