花澤研の新歓にお邪魔してきました!
こんばんは。
今日は美術科の花澤研究室の新歓におじゃましてきました!
毎年、花澤研究室では12月ごろに『ふれる・もつ・かんじる展』を開催しています。
一昨年から小林研究室としても参加させていただいており、そのご縁で忘年会にもご一緒させていただいていました。
ほぼ部外者なのにいいんだろうか・・・と毎回思うのですが、学生の皆さんをはじめ、先生方も温かく迎えていただいております。
そんなご縁でつながっているのですが、
今年からはつ・い・に、新歓にも呼んでいただきました〜!
もう単純に楽しくて、時間も忘れてベラベラとおしゃべりをしてしまいました。笑
楽しかっただけで終わらせてもいいのですが、思ったこともまじめに書いておこうかと。
美術の方とお話しさせていただくと、自分にとってとてもいい刺激をもらいます。
特に、毎回驚かされるのが、美術の学生さんが自分の作品のことや美術という教科そのものについてとても深く考えていることです。
例えば、一つ一つの作品に対して、何かしらの問題意識を持って取り組んでいたり、理念を強く持って取り組まれています。
また、教科としての美術についても、(驚くべきことに!)ほとんどの方は自身が小中学生の頃の美術の授業に対して、あまりポジティブな考えを持っていません。むしろ、自分が思う美術と、実際の授業で行われた美術に強いギャップを感じていたようです。そこに問題意識を持って日々活動されている方が多くいます。
それに対して自分を振り返ってみると、そこまで考えて日々の研究活動に取り組めているのか、いつも問い直させられます。
研究の原動力はなんだろう?僕にとっては、「おもしろい」「楽しい」という思いが強いです。もちろん、学問の初めはそんな素朴な疑問や思いで、それはとても大切なことです。しかし、本当にそれだけなんだろうか?はじめは単純なおもしろさではじめたことも、やっているとそこに自分の限界に気づいたり、問題意識や想いが生まれる(もしくは初めからあったものを再発見する)はずです。今日お話しさせていただいた方でも、自分自身の殻を破ろうとして作品に挑んでおられました。そうやってあがく人、あがける人はやっぱりかっこいいと思います。研究者の端くれたるもの、そうありたいと思うし、やっぱりなるべきなんだろうと思います。
よく小林先生が講演で、チェ・ゲバラの言葉を挙げられます。
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もし私たちが空想家のようだといわれるならば、
救いがたい理想主義者だといわれるならば、
できもしないことを考えているといわれるならば、
何千回でも答えよう。
「その通りだ」と。
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つらつら書いていたらこの言葉をふと思い出しました。
今までは僕はこの言葉を、
「自分のやろうとしていることが困難なことであると十分理解している。それでも、そうだとしても、成し遂げたい、成し遂げなければならない。」
そんな意味で捉えてました。目の前の山が高いとわかっていて、それを認めながらも、登ろうとする姿勢はかっこいいな、とそう思っていました。
ですが、今日の新歓から帰ってきて、
「本当にかっこいいのは、挑む姿勢だけじゃないんじゃないか」
と思い始めています。
相手から、「無理なんじゃないの?」と言われた時に、「わかってるよ、でもやるけど」と臆面もなく言えるのは、それまでに努めてきた自信の表れなのかなと。
それってやっぱりかっこいい。
ただ、僕自身がまだそこに至れていない。まだまだいろんなことが足りんなぁ・・・と思いつつ、帰路につきました。