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和を大事にする日本人

2020.05.07 10:23

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200506-00000047-kyodonews-soci

熊野速玉大社でコロナ終息へ祈り 「日本中が心を一つに挑んで」

5/6(水) 14:18配信共同通信

熊野速玉大社でコロナ終息へ祈り 「日本中が心を一つに挑んで」

祝詞を読み上げる熊野速玉大社の上野潤権宮司=6日、和歌山県新宮市

 和歌山県新宮市の世界遺産、熊野速玉大社で6日、新型コロナウイルス流行の早期終息に向けた祈願祭が営まれた。若手の神職で組織する神道青年全国協議会による全国一斉の祈願祭の一環。

【動画】コロナ犠牲者を追悼 高野山、早期終息も祈願

 同大社では上野潤権宮司(39)が、一日も早い終息を祈る祝詞を神前で読み上げ、みこが神楽を奉納した。

 上野権宮司は「国難の時。和を大事にする日本人の心をよみがえらせ、日本中が心を一つに挑んでいかなければならない問題だ」と話した。

 協議会は外出自粛要請で神社に参拝できない一般の人が、自宅の神棚で祈れるよう「神棚拝詞」の文面も作り、ホームページに掲載している。


https://ameblo.jp/oranger13/entry-12451279329.html?frm_src=favoritemail&fbclid=IwAR0YXj0SoZLVdXm-yxHsHJrilxvVN9Bth8VWWCWsScuJgQ9aolPU0yOtb5A  より

『令和のちから』

「令」は「れい」であり「0」和は「輪」であり「〇」二つの〇が横に連なると「∞」

新しい元号の画数は「13」 13の持つ新しいものを 生み出す創造の力と輪が連なることで

無限となる循環のエネルギーが交錯する

元号という時代を象徴する言葉が変わることで時代も大きく動く

心が変われば態度が変わる . 態度が変われば行動が変わる  行動が変われば習慣が変わる

習慣が変われば人格が変わる  人格が変われば運命が変わる  運命が変われば人生が変わる

人生を変えるためには  まずは心に変化を与えて  行動を起こすことが大切

あなたの心は  令和というエネルギーから 何を受け取るのだろう

令和のエネルギーを受けて  このブログを読んでいる人の  心に大きなエネルギーが宿り

それぞれの人生と  これからの日本にとって  素敵な時代が開かれることを  心から望んでいる

令和の時代を  君たち一人ひとりが   紡いでいくということを  是非忘れないでほしい


https://ameblo.jp/lifeshift/entry-12451143424.html?fbclid=IwAR0zExMF6FFVCxoRgYNcODNW-qS-9J52Jv1YIAv89qzMNSkvCrEUC5C0Vfo  より   【令和の時代を読み解く】

新元号は「令和」となりましたね。

今、「れいわ」と打って、変換キーを押したら、すぐに令和と変換されました。新元号が正しい漢字に変換されるように既にネットで共有されていることに驚きました。

「令」の字は、漢和辞典(新漢語林)によると、

上の人の部分が集めるの意味とも、頭上にいただく冠の象徴ともいわれ、その下の部分が人がひざまずく形を表していて、人がひざまずいて神意を聞く様を表す会意(二つ以上の漢字を組み合わせ、その意味を合成して独立した文字とするもの)という種類の漢字です。

そこから言いつけるという意味を持つようになり、法令や律令などに「令」の字が使われるようになりました。

「令」の字の用例に、論語の言葉が引用されていました。

それがすごく象徴的だったので、みなさんにも紹介しますね。

其身正、不令行(その身、正しければ、令せずとも行われる)

為政者自身が正しかったならば、たとえ命令しなくても正しい政治が行われる、という意味です。

令とは、本来「ひざまずいて神意を聴く」ことを表してるわけでしょ。

神意とは、宇宙の意志であり、魂の声だと思うんですよ。

論語は君主がどうあるべきかについて語られているところがありますが、「其身正、不令行」という言葉は、君主に限らず、私たちにも言えることだと思います。

私たちが宇宙の意志である魂の声に耳を傾けて、それに正しく従うならば、誰かに命令されるまでもなく、すべてが流れるようにうまく回る。という意味にも通じる気がしました。

すべての人が、魂の声に従うことによって、おのずとこの世界は「和」する。

それが令和の意味するところかなと感じました。

これは私の勝手な解釈ですが、あながち的を射ていないこともない気がしています。

「れいわ」とキーボードを打ったら、新元号を発表されてまだ3時間足らずなのに、

すでに正しく漢字変換される時代ですよ。

情報の共有や拡散が一瞬にして起こる時代に私たちは生きているんです。

ということは、たとえ無名の人であっても、その人の発信しているものが、多くの人にとって有用なものであるならば、それはあっという間に拡散するからこそ、チャンスをつかみやすい時代でもあるということ。

あなたが魂の声に従い続ける限り、あなたの世界は勝手にうまくいく世界になる。

そして多くの人がその真理に目覚めることによって、この世界も自動的に平和で豊かな世界となっていく。

あなたはその先鞭をつける人なんです。

それをやって見せる係。

そのためにこの時代に生まれてきたのです。

さあ、自分史上最高の人生を生きて見せてください。

それがたくさんの人に勇気と力を与えることになるでしょう。


facebook鈴木善輝さん投稿記事

本日皇太子が天皇になるに当たって、私は愛娘である愛子さんの作文を国民の皆様に読んで頂きたいと思います。

(2019/04/30)

「全文:

                           

” 世界の平和を願って "

                  敬宮 愛子

 卒業をひかえた冬の朝、急ぎ足で学校の門をくぐり、ふと空を見上げた。雲一つない澄み渡った空がそこにあった。家族に見守られ、毎日学校で学べること、友達が待っていてくれること…なんて幸せなのだろう。なんて平和なのだろう。

 青い空を見て、そんなことを心の中でつぶやいた。このように私の意識が大きく変わったのは、中三の五月に修学旅行で広島を訪れてからである。

 原爆ドームを目の前にした私は、突然足が動かなくなった。まるで、七十一年前の八月六日、その日その場に自分がいるように思えた。ドーム型の鉄骨と外壁の一部だけが今も残っている原爆ドーム。

 写真で見たことはあったが、ここまで悲惨な状態であることに衝撃を受けた。平和記念資料館には、焼け焦げた姿で亡くなっている子供が抱えていたお弁当箱、熱線や放射能による人体への被害、後遺症など様々な展示があった。これが実際に起きたことなのか、と私は目を疑った。平常心で見ることはできなかった。

 そして、何よりも、原爆が何十万人という人の命を奪ったことに、怒りと悲しみを覚えた。命が助かっても、家族を失い、支えてくれる人も失い、生きていく希望も失い、人々はどのような気持ちで毎日を過ごしていたのだろうか。私には想像もつかなかった。

 最初に七十一年前の八月六日に自分がいるように思えたのは、被害にあった人々の苦しみ、無念さが伝わってきたからに違いない。これは、本当に原爆が落ちた場所を実際に見なければ感じることのできない貴重な体験であった。

 その二週間後、アメリカのオバマ大統領も広島を訪問され、「共に、平和を広め、核兵器のない世界を追求する勇気を持とう」と説いた。オバマ大統領は、自らの手で折った二羽の折り鶴に、その思いを込めて、平和記念資料館にそっと置いていかれたそうだ。

 私たちも皆で折ってつなげた千羽鶴を手向けた。私たちの千羽鶴の他、この地を訪れた多くの人々が捧げた千羽鶴、世界中から届けられた千羽鶴、沢山の折り鶴を見たときに、皆の思いは一つであることに改めて気づかされた。

 平和記念公園の中で、ずっと燃え続けている「平和の灯」。これには、核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けようという願いが込められている。この灯は、平和のシンボルとして様々な行事で採火されている。

 原爆死没者慰霊碑の前に立ったとき、平和の灯の向こうに原爆ドームが見えた。間近で見た悲惨な原爆ドームとは違って、皆の深い願いや思いがアーチの中に包まれ、原爆ドームが守られているように思われた。「平和とは何か」ということを考える原点がここにあった。

 平和を願わない人はいない。だから、私たちは度々「平和」「平和」と口に出して言う。しかし、世界の平和の実現は容易ではない。今でも世界の各地で紛争に苦しむ人々が大勢いる。では、どうやって平和を実現したらよいのだろうか。

 何気なく見た青い空。しかし、空が青いのは当たり前ではない。毎日不自由なく生活ができること、争いごとなく安心して暮らせることも、当たり前だと思ってはいけない。なぜなら、戦時中の人々は、それが当たり前にできなかったのだから。日常の世界の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから「平和」は始まるのではないだろうか。

 そして、唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う。「平和」は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから。

 「平和」についてさらに考えを深めたいときには、また広島を訪れたい。きっと答えの手がかりが何か見つかるだろう。そして、いつか、そう遠くない将来に、核兵器のない世の中が実現し、広島の「平和の灯」の灯が消されることを心から願っている。」