病気と私 41 HIV
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よろしくお願いします。
1987年(20歳)
----- 東京 -----
1987年2月25日
具合が悪くなり帝京大学病院へ通院した。
そこで、衝撃的な話をされる。
「去年エイズの検査をさせてもらいましたが、その結果は出ています。
現在は国の指導で、検査結果を患者さんにお伝えすることはできないことになっています。
これから結婚や、妊娠を伴うような性行為をされる方に対しては、個別に相談にのります。
エイズは血液や精液などから感染を引き起こすことが分かっています。
怪我や鼻血などで自分の血液が他人に付いたりしないように細心の注意を払ってください。
また、周囲の人への感染防止のため、学校や家族などにこのことを話すようにしてください。
ディープキスは避け、性行為では、必ずコンドームを使用してください。
自分は感染しているものと考え、周囲の人には十分配慮した行動をとってください。
念のために言っておきますが、これは陽性の方にも、陰性の方にも同じ指導をするようにとの国からの指示ですので、冷静に行動してくださいね」
私が浅はかだったのだ。
自分が得体の知れな病気になっているなんて思いたくもなかったし、関係ないと思いたかった。
実際に、プロプレックスはほとんど使っていなかったし、感染時に起こる発熱の症状にもまったく心当たりはなかった。検査の時には、大丈夫だと言っていたのに
※資料
(日本人では1400人が血液製剤により感染していた)
血友病患者の総数は約6000人
日本で、加熱処理製剤が承認されたのは、アメリカで承認されてから2年後の1985年だった。
HIV感染のリスクのある血液凝固因子製剤が回収されることはなく、1988年までHIVが混入している製剤が使われ続け、HIV感染が広がることになった。
厚生省エイズ動向委員会の2001年のデータでは、血液製剤による感染者は 1,430人で、523人の死亡が報告されている。
(血友病HIV-1 感染者の生存時間と多剤併用療法導入後の臨床経過に関する追跡調査)
あと5年だなと思った。
そんなことより、彼女が大丈夫かどうかがの方が重要だった。
本当にどうしようもなかった。
マンションに戻り彼女の帰りを待って、医師に告げたられたことを話をした。
お互いに症状は何もなかったが、感染リスクを考えれば、今後は極力接触を避けなければならなかった。
幸いなことに、彼女は大丈夫だった。
昨年の夏に、就職試験を受け、4月から田舎に戻って仕事を始める予定だったので、春休みに入ると同時に自動車の運転免許を取るために実家に戻った。
家族にも話さなければならなかったが、自分が感染していると思うとは言えなかった。
医師から伝えられらた事の中で、何かあっても自分の血には触らないで欲しいとだけ伝えた。
免許を無事に取得したので、問題なく4月からは勤務できますと報告するため、理事長宅に報告しに行った。
「急な話になって大変申し訳ない、今まで考えもしていなかったのだが、今回の施設での人事権は、理事長の私にはなかった。ついこの前、内定者の名前を見て、びっくりして町長に連絡をしたのだが、既に試験の前から内定者が決まっており、今回ばかりはどうにもならないと言われた」
そういうことか、自分がそういう待遇を受けることができるということは、もし他の人が逆の立場だったら、無意味な就職試験を受けて無意味な期待と準備をすることになるのだ。
私は、学校が残っていますので大丈夫ですと伝えた。
本当は、就職が決まれば、無理を承知で彼女に一緒に来てくれないかと言ってみるつもりだった。
彼女には、やりたいと言う明確な仕事があり、私が先生に就いていたように、彼女は他の大学の先生に就いて勉強を進めていた。元々無理だと思ってはいたが、それどころの話ではなくなってしまった。
免許取得のため、数週間別々に暮らし、頭も十分に冷えていたし、一緒に住んでいたのはお金がなかったというだけのことだったと思っていたので、一時的に生活が少し苦しくなるぐらいのことで、私と一緒にいるメリットは何もないと思った。
彼女が無事だったことが唯一の救いだった。
私は彼女に何も相談することなく、その場から居なくなることを決めた。
#血友病#血液製剤#心理学#エイズ#HIV