黒王妃の戦争14-ギーズ公パリ入城
2020.05.09 11:58
メアリ・スチュアートの処刑はフランスにももちろん衝撃を与えた。王母カトリーヌは皮肉なのか悲嘆なのか「これが私達の災いと紛争がもたらした結果です」とロンドン大使に手紙を書いた。彼女はその感想をもって1587年6月、旧教派頭目ギーズ公を訪問するが、新教憎しと爆発寸前である。
10月20日、新教ナヴァール公のもとにドイツの新教援軍が来たとの報をきき、王アンリ3世は軍をさしむけるが、クートラの戦いで無残な敗北。しかしドイツ援軍は合流前にギーズ公が見事討ち取ってしまう。当然パリっ子の期待はギーズ公に集まる。パリ市政庁は旧教の砦と化した。
翌88年5月9日、ついにギーズ公はパリに入城した。程なくスペインは無敵艦隊で、イングランドを攻撃に出発する。旧教の大勝利が待っている!アンリ3世は護衛のためにスイス傭兵を引き入れたが、遂にパリ市民が決起し、道路の敷石を剥がして王を攻撃、この日を「バリケードの日」と呼んだ。
アンリ3世はパリ脱出を与儀なくされ、周辺を転々流浪、ギーズ公は全国に檄を飛ばし、フランスは旧教となったと宣言した。そして旧教派はブロアで再び三部会をひらき、ナヴァール公の王位継承を取り消した。ところが王は、これで王はギーズ公に憎悪をつのらせる。
下上はルーブル宮に姿を見せたギーズ公その下はバリケードの日