【奈良県】法隆寺(斑鳩町)
南大門前から臨む「西院伽藍」
斑鳩を代表する「法隆寺」。
聖徳太子により推古15年(607)に建立されるも、天智9年(670)に焼失、程なく再建されたことで世界最古の木造建築群として現存。
世界遺産の一つとして年間を通じて観光客の訪問が絶えないが、その周辺には寺を支えてきた人たちが生活する「東里」「西里」といった落ち着いた古い街並みが広がる。
寺院そのものは町並み散策の範疇から外れ普通の観光だけで終わってしまうが、周辺集落を合わせて散策すると一味違った印象を受けるはずだ。
【奈良県】法隆寺「西院伽藍」(斑鳩町)202005
南大門から境内に入ると、正面の中門を中心に回廊で囲まれた西院伽藍を控える。
大講堂の前に五重塔、金堂が並ぶ配置だ。
「法隆寺」そのものを説明する場合、大抵はこの西院伽藍を指すことが多い。
訪問当時はコロナ自粛で拝観停止中のため、伽藍外部から撮影。
中門が閉ざされていたため中の様子を伺うことはできないが、五重塔や金堂の屋根は見える。
もっとも、拝観可能でも拝観料を徴収されるが(一般大人1500円)。
【奈良県】法隆寺「夢殿(東院伽藍)」(斑鳩町)202005
法隆寺境内は大きく「西院伽藍」と「東院伽藍」の2つのエリアに大別される。
ここは斑鳩宮の跡地で、その荒廃ぶりを嘆いた行信の進言により天平20年(748)に建立、その中心が八角円堂の「夢殿」である。
「西院伽藍」を見て東大門をくぐると、正面に見事な宝珠を屋根に戴く「夢殿」が廻廊越しに顔を覗かせている。
【奈良県】法隆寺「西里」(斑鳩町)202005
法隆寺西大門を出て、西側に伸びる土塀が両側に続く細い通り。
ここは「西里」と呼ばれ、元々は法隆寺の作事に携わる大工が居住する集落であるが、多くの観光客の脚が世界遺産に向かう一方で、こちらは閑静な佇まい。
しかし、そのことで却って伝統的な街並み風景を保っているともいえる。
法隆寺西里の町並み
【奈良県】法隆寺「東里」(斑鳩町)202005
一方、法隆寺の東側にも静かな佇まいを残した古い街並みが広がっており、そちらは「東里」と呼ばれている。
細い通りに重厚な町家や土蔵が並んでいることで、門前町の中心街をなしていたものと想像できる。
法隆寺東里の町並み
法隆寺裏手「ふれあい交流センター」脇より東里の眺望
【奈良県】法隆寺(斑鳩町)202005
東里の奥にある「ふれあい交流センター」から遠景を撮影し、帰りに農地が広がる場所から撮影。
聖徳太子が推古天皇摂政として政治を輔弼したのが斑鳩京だったが、古都のイメージとは裏腹にのどかな田園風景が広がる風景、その向こうに五重塔が顔を覗かせる。