活元運動の組運動 〜野口晴哉著「著作全集第十巻」〜
《野口晴哉著作全集第十巻より》
後期文集 活元運動の組運動
活元運動が出るようになった二人が組んで行うことが相互運動であります。従って一人でやる自己運動の延長でありますが、二人でやると、一人でやるのと異なった状態となり、効果も亦異なるものです。
スピーカーを二個でならすと音量が六dB多くなる。六dBというと四倍の音量であります。二個なら二倍の筈ですのに四倍になる。何故か判らないが、強いていえば気の交感作用とでも言う可きではないかと思います。
活元運動は意識しないままに動く運動ですが、やはり二人で組むと、一人の時とは違う動きになる。一人の時は疲れて体が硬直すると出にくいし、又偏り疲労が少なければ運動も活発でない。しかしこういう二人が組むと活発な運動が出る。
そういうわけで、自己運動より相互運動の方が、効果という点からいうと能率がよい。
今までは外路系運動の訓練という意味で活元運動をすすめて参りました。体の勘がよくなるので生活の様子が違ってくる。億劫が少なくなる。面倒臭いがなくなる。自発的にサッサと気楽に動けるようになる。
中略
活元運動は体の勘を敏感にするはたらきを持っております。古代の人々は今の人々より、より体の勘は鋭かったのでしょう。その為に現代に至るまで、生き続けていたのでしょう。
体の勘によって瞬間に動作方向を決め、咄嗟に自分の行為を決める。そういう原始的な体の使い方をしてきた人々が、知識で使うことを知って、より優れた生活の営みかたをしたのでしょう。
しかし知識に依存する度が高まるにつれ体の勘が鈍って、自分の動作も、自分の体の異常も、自分の行為も、体の勘では判らなくなり、人々はだんだん人形に、ロボットに近づいて、何をどう食べたらよいかさえ判らなくなり、百科辞典でも手許に置かないと行動できないようになる、そんな日が近づいております。
健康生活にも、当然こういうことが言える筈です。健康であるか病気であるかということを知るのも、又それを快復させるのも、やはり体の勘による場合が多いからであります。
原始の昔にフィードバックせよというのは、もう一度体の勘を取り戻し、自分の体のことは自分で感じ、行動し、全うすることのできる体に至るべきだということであります。
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