ワクワクしながら考えませんか?(吹奏楽コンクール中止に伴って)
吹奏楽コンクール、今年度は中止になってしまいました。
残念ですね。
大人になると「じゃあまた来年」と軽々しく言えてしまうところがありますが、学生の一年は二度と訪れないとても貴重な時間の蓄積です。
「残念」、そんな簡単な言葉で片付けられない無念さは、僕自身が中学1年で吹奏楽部に入りトランペットを始めてから吹奏楽漬けの毎日を送っていたのでよくわかります。
僕がもし今、中学生だったら発狂しているかもしれない。
それくらい中学時代は吹奏楽のことしか考えていなかったし、夏休みはコンクールのためにあると思っていたくらいです(地区予選で終わるレベルでしたけど)。
しかし、思えば夏休みだけではなく、前年のコンクールが終わった瞬間から来年の曲探しが始まり、毎週のように新曲を試奏するようなことをしていました。新年度となればコンクールで安定した編成で演奏できるように部員を確保することを考えていたし。結局のところ一年中コンクール状態で、そんな感じになったのはなぜかと思い返してみたら当時の指導者の影響でした。
僕が中学生の頃の指導者は、10年くらい前に卒業したOB(アマチュア)の人でした。詳しくは割愛しますが、吹奏楽が好き、というよりも「コンクールで良い成績を残す」こればかりを考えているタイプの人で、顕著なところでは、秋の文化祭のステージで部員みんなで選曲したポップスに対して興味ゼロで、合奏中に「こういう曲なの?テンポ合ってる?」と聞いてしまうレベル。
コンクール前なんか朝から番まで1曲だけを徹底的に練習し続けているのに。
僕は中学3年生の時に部長をやっていたので、そんな指導者との距離が非常に近くて、部活の練習後に自宅へ呼ばれて他のコーチも一緒に吹奏楽の映像を見たりとか、自分の高校時代の経験談をたくさん聞き、中学校の部活も同じようになればいいね、みたいな話を夜毎に聞いていました。
当時はそれでもよかったです。トランペットを吹くのは楽しかったから、1日何時間でも吹奏楽という環境にいられることが幸せでした。辛いなど思ったことがありません。
でも、今になって思います。僕はコンクールに出場するために吹奏楽に入ったわけではありません。そもそもコンクールという存在を知ったのは入部してからです。
ではなぜ入部したのか。
それは、入学式の時に記念演奏を吹奏楽部がしてくれたからです。映画「ロッキー」のテーマ。トランペットのファンファーレで始まる曲で、吹奏楽というサウンドを初めてきちんと聴き、鳥肌が立ったのを覚えています。
かっこいい。あの中に自分が入って、来年は自分の後輩に演奏を聞いてもらいたい。そんな気持ちにもなりました。決して上手ではない小さな吹奏楽部でしたし、吹奏楽部に入るなんてまったく考えていなかったのに、音楽のパワーというものは本当にすごいんだな、と感じた瞬間でした。
そう。吹奏楽部に入ったのは、「吹奏楽」がかっこ良かったこと、音楽があまりにも楽しかったから。それだけです。
それが2年もしたら、いつの間にか「コンクールで賞を得るため」に部活をしている自分がいました。
これはあくまでも僕の話。コンクール批判をするつもりなどありません。いろんな考えや方向性があって良いのです。
でもひとつ言えることは、大人の力はとても強いんだ、ということ。
そう考えると、吹奏楽コンクールができなくて残念な今の気持ちを、この後どうケアし、充足感を得られるようにするかを考えることは大人に課せられた使命だと思います。
もちろん大人が一方的に決めるわけではありません。吹奏楽部のみんなも、吹奏楽コンクールが中止になったからといって吹奏楽が消えたわけでも、音楽が素敵じゃなくなったわけでもないのです。じゃあ、今、何をしますか?
もちろん悲しい気持ちを癒やす時間はゆっくりとって欲しいのですが、悲観しているだけではもったいないと思うのです。
コンクールに「替わるもの」とか、そんな代替品みたいに捉えるのもイヤだし、何かワクワクすること、企画しましょうよ。すぐにできないんだったら、それだけ時間を費やせるんだから、じっくり積み上げていって、でっかいことしましょうよ。
残念ながらそれが何か、一番良いものは何か、それはまだわかりません。
でも吹奏楽人口ってすごいじゃないですか。
やろうと思えばなんだってできると思うのです。
ワクワクしながら考えませんか。
荻原明(おぎわらあきら)