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【小説】諸屋超子「オーバーミュート」掲載

2021.03.31 04:34


 長崎在住の作家・諸屋超子(https://twitter.com/k457zAgkr7OkqrA)による〈コロナ in ストーリーズ〉の第5作「オーバーミュート」(5月8日脱稿)を以下に掲載する。下記URLからPDFファイル版(四六判/縦組み/13ページ)もダウンロードできるようにしてある。

 https://xfs.jp/x977ac

 本作のタイトルは「オーバーシュート(overshoot)」(爆発的患者急増)の〈もじり〉である。この用語は、3月19日に開かれた政府の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対策専門家会議の記者会見で用いられ、その後たびたび使用されている(参考までに『M&A Online』の3月26日付の記事を紹介しておく)。

 さて、COVID-19をめぐる5月1日(金)から12日(火)現在までの主な動きを、公共放送局NHKなどの報道によりながら、ここにまとめておこう。

 5月1日(金)

 ◎現金10万円給付 オンライン申請受け付け始まる

 ◎赤羽国交相「連休中の都道府県またぐ移動抑止 不要不急の自粛を」

 ◎河野防衛相 「マスクはそれぞれ好きな柄を」(迷彩柄のマスクをつけて会見)

 5月2日(土)

 ◎新型コロナ 国内死者500人に

 ◎雇用調整助成金 連休中も申請受け付け 厚労省

 ◎「9月入学」影響や課題の洗い出し 大型連休明けにまとめ 政府

 5月3日(日)

 ◎賃料めぐる法律相談相次ぐ 日弁連

 ◎続く外出自粛 アルコール依存の相談急増

 ◎自民・稲田氏 定足数など憲法議論を 野党は慎重

 5月4日(月)

 ◎緊急事態 31日まで延長決定 首相「期限前の解除も」

 ◎“新生活様式” マスクやテレワーク定着の提言案 専門家会議

 ◎大相撲 夏場所の中止決定 7月は国技館で無観客に

 5月5日(火)

 ◎大阪府 自粛解除へ3つの基準 病床使用率や陽性率

 ◎最大20万円 社協の貸し付けに申請殺到 対応に遅れも

 ◎34県で一部裁判再開も 最高裁が検討要請

 5月6日(水)

 ◎新型コロナ 世界の感染者364万人 米はNY以外で増加も

 ◎新型コロナ 仏で19年12月にすでに感染者 経路は不明

 ◎疫病退散の妖怪「アマビエ」 函館で和菓子に

 5月7日(木)

 ◎休業要請 8県が全業種解除 一部業種は17県

 ◎大型連休 新幹線や特急の利用者 去年同時期の5%

 ◎異例の3月期決算 約半数が減益 先行き未定も続出

 5月8日(金)

 ◎「持続化給付金」支給始まる 初日は2万3000件に振り込まれる

 ◎PCR検査相談目安見直し「37度5分以上」表記なくす 厚労省

 ◎29都道府県で高校などの休校延長 教育格差課題に

 5月9日(土)

 ◎「自粛警察」相次ぐ 社会の分断防ぐ冷静な対応を

 ◎金融庁 新型コロナ感染拡大で賃料支援を民間金融機関に要請

 ◎米 失業率が過去最悪 失業率は高止まりの予測も

 5月10日(日)

 ◎「母の日」花を贈りテレビ電話で気持ちを伝える取り組み広がる

 ◎マスクつけてジョギング 注意点を専門家が指摘

 ◎車の交通量減り事故減少も都市部で死亡事故増加

 5月11日(月)

 ◎緊急事態宣言1か月余 週初めの新宿駅混み合う

 ◎新型コロナ影響の倒産 133社 最多は「ホテルや旅館」

 ◎国会 コロナ経済対策で論戦 検察庁法改正案めぐり協議も

 5月12日(火)

 ◎サウジアラビアなど追加減産へ コロナ影響で記録的原油安続く

 ◎新型コロナ治療薬「レムデシビル」 医療機関に配送開始 厚労相

 ◎トヨタ 来年3月期の営業利益約8割減の見通し

 「オーバーミュート」の内容に関連して、日本知的障害者福祉協会のウェブサイトも参照されたい。

 なお、〈コロナ in ストーリーズ〉の既発表作品は、次のとおりである。

 ●第1作「ソシアル ディスタンス」(4月13日脱稿)

 ●第2作「禍禍(まがまが)」(4月21日脱稿)

 ●第3作「ノー密」(4月25日脱稿)

 ●第4作「I’m working for Essential People.」(4月30日脱稿)

 前置きが長くなった。ここから本編である。ご覧あれ。

(編集室水平線・西浩孝/2020.5.12記)




オーバーミュート

諸屋 超子


「今日は熱があるからお仕事お休みします」

 朝食の席で沙知子が言う。

「お母様に体温計を見せてごらんなさい」

 私は容赦なく右手を差し出す。体温計は36.7℃を示していて、私は思わず笑いそうになる。しかし、口元を引き締めて沙知子へ告げる。

「これは平熱です。お父様に喉を見て頂いて着替えなさい」

「でも……」

 沙知子の口がタコみたいに尖り始めたので、私はパアンと音を立てて自分の両の手を打ち合わせる。沙知子が泣きそうな目でこちらを見たことに、なんだか苛立ちを感じる。なぜ? わからない。

「お父様に喉が腫れてると言われたらまた話しましょう」

 どうせ沙知子は仮病なのだ。私にはよく分かる。あの子の母親をもう32年もやっているのだ。明日は公休日なのに、あの子はそういう日に限って休みたがる。

 ふと庭に目をやると若葉が目に鮮やかで、私は何か思い出しかける。そろそろ松の新芽を摘んでおかなくちゃ。今年はいつまでも寒いけれど、毛布のクリーニングを今日こそは出したい。きっと沙知子は毛布がなくて寒いとぐずるから、湯たんぽを出してあげなきゃだろう。明日は、文則さんの大学の勤務日だから、お弁当の材料の買い出しも済ませておきたい。

「おい」

「はい」

 私は弾かれたように反応する。文則さんが声を掛けたらすぐに返事をすること。これは、新婚当初、私が「文則さんと円満に過ごすための十箇条」と表紙に書きつけたノートにはじめに書き記した大切な決まりだった。

 性格温厚、頭脳明晰、将来有望な外科医である文則さんと結婚できたのは私の人生の中の一番の幸運なのだ。だから、大切にしたかった。1年経つ頃には10箇条は10ではとても収まらない数になっていた。

 ちょうどその頃授かったのが沙知子で、天使のように可愛らしい赤ん坊だった。私はいつの間にかノートに決まりを書き記さなくてもよくなっていた。こんなに可愛い子が居れば、どんな家庭も円満だと思った。

 沙知子は小学校入学直後に軽度の知的障害があることが分かった。入学記念の集合写真は地区の小学校で撮影したのに、その写真が届く頃には、近くの養護学校へ転入する運びとなった。写真だけでも同じ地区の皆さんと写れて良かったと思った。でも、ある人はこう言っていたそうだ。

「写真に写った分、目立っちゃって可哀想」

 私は悔しくて泣いた。世の中に受け入れられるよう頑張ろうと思った。

 沙知子の母校を今は特別支援学校と呼ぶそうだ。それはきっと誰かの働きかけの賜物で、私はそのことを良い傾向だと思う。

 呼び名は大切だ。社会に子どもが受け入れられるかどうかはそういったちょっとした、人の気が付かないような呼び名次第だ。呼び名が私たちを排除したり、連帯させたりするのだ。

 私は沙知子を紹介する時に、あの子の持つ知的な障害が軽度であることを、必ず言い忘れないようにしている。それに、障害を補う明るさを持つよう不平不満は言わないよう躾けてきた。勤勉さを忘れさせないよう自分にも沙知子への甘やかしを禁じている。

 今、世の中は未知のウイルスの感染者が日に日に増え、不安が高まっているようだ。先月には沙知子の勤め先のスーパーの店長さんから電話もあった。

「最近、うちの店も買いだめのお客さんで大混雑です。さっちゃん、品出し頑張ってくれててうちは助かってるんですけど、このまま今まで通り働いてもらってもいいですか?」

 私は心臓が喉元までせり上がり、息が止まりそうになった。

「あの、沙知子がお邪魔になったということでしょうか?」

 店長はえっと言ったきり黙ってしまった。今思えば可笑しな行き違いだったのだけれど、その時は意味がよく分からなかったのだ。

「つまりクビでしょうか?」

 思い詰めた私の言葉に、店長はいえいえいえいえと大声で否定の言葉を繰り返し、電話の向こうで首を振り続けているようだった。

「お母さん、誤解ですよ。逆。うちは感染リスクの高い職場ということになってしまいますが、これからも来ていただけるかお聞きしたかったんです。ほら、はじめの時に、さっちゃんのお父様はお医者さんだってお聞きしていたし、病気とか? そういうの? 気にされてるんじゃないかと思って」

 この店長はたしか38歳といっていただろうか。ことばの合間のおかしな部分に疑問符を使ったり、特定できるものに“とか”をつけたり、敬称や敬語の統一性の無さなんかもあって「ああ、語彙が貧弱なのかしら……」と小さな不安を抱かせる人ではあるのだけれど、沙知子も障害がなければこんな風な言葉遣いで私を苛立たせたりしたのかしら? なんて思わせてくれる存在でもある。沙知子と年の近い人として。

 そして何より、沙知子が健常者と一緒に働けるのは、この人がこういう細かな言葉遣いにこだわらない屈託のない人物であるおかげでもあるのだ。感謝しなければいけない。人は、そもそも善良なのだ。こちらが馴染みたいと努力をすれば、受け入れてもらえる。受け入れようと積極的になってもらえる。

「ええ、もちろん。沙知子は毎日仕事に行くのを楽しみにしていますし、こういう大変な時こそ、いつもお世話になっている店長さんや皆さんにご恩返しをさせたいと思っていますので」

 私は張りきって答えた。必死に駆けずり回って、沙知子に様々な指導をして、やっと見つけた受け皿だ。失いたくない。

「あ、ああ、そうですか? いやー助かりました。千夏ちゃんのお母様からは、この感染拡大が収まるまではうちの子は行かせないって怒られちゃったもんだから。ああ、良かった」

 店長は本当に安心したような声を出して電話を切った。千夏ちゃん、休ませるなんて、それも怒るなんて、久松さんたら、何を考えているのかしら。

 久松さんのお宅の千夏ちゃんは、沙知子の二つ後輩で、うちの子が就職した実績もあって、このスーパーの品出しの仕事に入りやすかったのだ。高校卒業後、すぐに就職が決まって本当に良かったと、あの時は私もケーキを焼いてお祝いのお茶会を開いたりしたのだ。割合サバサバした久松さんの人柄に、私は好感を抱いている反面、少しわがままなきらいがあるとも思ってはいた。でも、まさかそんなことをするなんて。

「聞いているのか?」

 文則さんの苛立った声でわれに返った。

「沙知子は喉が少し赤くなっている。今日くらい休ませてやったらどうだ」

 沙知子は文則さんの陰に隠れるようにしてこちらを窺っている。

「まあ、明日にはお休みなのに今日どうしても休まないといけないほどですか?」

 文則さんは沙知子に甘い。沙知子はだから私より文則さんに甘える。

「まあ、口を開けて寝ていただけのようではあるが、こんな時期なんだ。用心させたっていいだろう」

 文則さんは胸ポケットから榮太郎飴のパウチを取り出して沙知子の掌に一つ載せてやる。ベッコウ色ではなく、赤い方。沙知子の好きな赤い方。味はどちらも変わらないのに。 「お父様からの処方です」

 文則さんの冗談に沙知子はクスクス笑う。

「これですぐに良くなりますか?」

 沙知子の歯に飴があたってカチャカチャ音を立てる。

「もちろんです」

 文則さんが沙知子の頭を撫で目を細める。チクチクと胸が痛む。

「お父様のお薬頂いたから、頑張れるわよね? 沙知子」

 私の言葉はさっきのチクチクをそのままに、口から四方八方へ飛び散っていく。

「光世、今日くらい構わないだろう? 体調の悪い時には家で休養するのは、コロナ感染拡大予防の良い対策だと世の中の人だって知ってるんだから。サボったなんて誰も思わないさ」

 文則さんの知っている世の中は本物の世の中とは違う。

「こんな時にお休みしたら、コロナにかかってるんじゃないかと疑われるわ。そんなに腫れていますか?」

「いや、口を開けて寝ていた程度で腫れてはないが……」

「痛い」

 沙知子が口を開けて見せる。

「飴の角っこがお口の天井にあたりました」

 文則さんは沙知子と私を交互に見ると小さくため息をつく。

「お母様の言う通り、明日になればお休みだ。さっちゃん、頑張れそうかな?」

「はい、お薬効いてきたからのど痛くなくなりました」

 沙知子は聞き分けよく頷く。私はまた一人悪役として取り残された。

 あの日、店長からの電話の後、私は久松さんに電話を掛けてみたのだ。今なら間に合うと思ったから。

 「久松さん、千夏ちゃんお休みするんですって? それはいいとしても怒ることなんてなかったんじゃないかしら?」

 受話器の向こうで久松さんは面倒そうにああ、とかまあ、とか言っていたと思う。

「大変なのは皆さん同じなのよ。こんな風にうちの子たちを受け入れてくれている職場ってなかなか見つからないものなのにあなた……」

 言いかけた時だった。

「うちの子たち?」

 久松さんが聞き返した。

「え、ええ、同じ高校の後輩だから仲間でしょう?」

 私はドギマギした。久松さんの聞き方になんだか強いものを感じた。

「ええ、もちろん、桜澤さんには良くして頂いて感謝しています」

「感謝だなんて、それはほら、お互い様だから」

「いえ、良くして頂いています」

 久松さんはきっぱりと言う。

「でも、それとこれとは分けて考えたいんです。私」

 あの時、私は何か返事をしたのだったろうか? 鼓動が高まって、背中にじんわり汗が吹き出してきた感触だけは残っている。今も。

「私も沙知子ちゃんを可愛く感じますから言います。うちの子たちなんてくくって、受け入れて頂くなんて腰を屈めている限り、桜澤さんからは見えないものがあるんじゃないでしょうか?」

 なんて不躾な人なんだろう。とにかく腹が立って、急いで切りたかった。

「あら、もうこんな時間ね……」

 言いかけた言葉をさえぎって久松さんはなおも言い募った。

「仕事をこなしながら感染予防の手洗いを徹底することも、不快でもマスクを外したりしないことも、千夏には難しい。でも、あの店長は、猫の手も借りたい忙しさだから、ぜひ出勤してくれなんて言ったんです。寸志が出ますよなんて。だから、私は千夏を大切に思わない方と働かせる気にはならないと申し上げたまでです」

 久松さんは一気にまくし立てた。少し息が上がっていたようだった。

「まあ、あなたと千夏ちゃんの選択はあなたと千夏ちゃんの自由だわ」

 私は家の中をウロウロと歩いているうちに、飼い犬のクッキーの尻尾を踏んでしまいクッキーの不興を買った。

「でもね、世の中に自分を理解してくれなんてわがままよ。自分から変わっていかなきゃ。郷に入りては郷に従えって言うでしょう? 少しは合わせなきゃ」

 私はクッキーの頭を撫でながらゆっくりと諭すように言う。久松さんは鼻で笑った。

「わがままって言ってはいけないことでしょうか?」

 いいかげんに私は腹が立ち「とにかく意固地にならずに、お茶会でもしましょう」と話を逸らして電話を切った。お茶会はしなかった。どうせ誘うとご迷惑な時世になったし、ちょうど良かった。

 世の中に受け入れられることの大切さを、あの人はなんだと思っているのかしら。この子たちの可愛らしさをいったい何人の人が分かってくれると思うのか。

 私は沙知子が可愛いから心を鬼にしているのに。

「お母様」

 沙知子がモジモジしながら近寄ってきた。謝るつもりで来たのだろう。素直が一番だと、私はこの子に言い聞かせてきた。

「今日はお仕事に行きます。来週のお誕生日のケーキはこの絵がいいです」

 四つ折りの紙を私の手に押しつけ、頰に口づけて沙知子は出かけていった。ここ数年、沙知子の誕生日には、ケーキにお気に入りの絵をデコレーションプリントしてくれるお店に注文を入れている。そうだ。さっき、庭の若葉を見て思い出しかけたのは、小さな沙知子。片手で持てそうに軽くて、でも両腕でしっかり抱かないと不安なくらい柔らかだった赤ん坊の沙知子。

 この子を必ず守ると決めたのだ。世の中がこの子を嫌わないように努力して、何が悪いというのか。

 ケーキには毎年、絵本や、アニメのキャラクターをプリントしてもらってきた。沙知子のリクエストに沿って。だから紙にはきっとアニメのタイトルとか、そういった文字が書かれてるのではないかと思った。

 開くと人が三人横になっていた。お日様の下で。裏にはこう書いてあった。

「お父さまとお母さまと私」

 私はまた一人、悪役になって立ちつくす。


 [2020年5月8日脱稿 © Choko MOROYA 2020]