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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

日本宣教17-細川ガラシャ洗礼を受ける

2020.05.12 11:38

1587年キリシタンの運命の分かれ目、秀吉の九州征伐が開始された。しかしそれを機に自ら運命を変えた女性が居る、謀反人明智光秀の娘にして細川忠興の妻玉子、現在は洗礼名ガラシャと呼ばれている。彼女は逆族となってから84年までの二年間、丹波国味土野に幽閉された。

この幽閉時代に玉子は次男興秋を生んでいるが、夫忠興も側室から女子が誕生している。88年忠興が九州に出征したとき、玉子は教会に行くのである。玉子にキリスト教に興味を持たせたのは、儒学者ながら信者となった清原枝賢の娘にして、幽閉時代を過ごした侍女いとだったようだ。

その日は復活祭であり、感動した玉子は、説教師コスメに色々質問をした。コスメは「これほど明晰かつ果敢な判断ができる日本の女性と話したことはなかった」と思った。そしてその場で玉子は洗礼を希望したのである。しかし身許を隠していたため、その場での受洗は叶わず、家の者に連れ戻された。

彼女は禅宗だったが、「深い疑問や躊躇」があった。それは裏切りに満ちた武家社会、また多妻制のようだ。彼女はその後外出が叶わなくなったが、侍女達を教会に通わせて受洗させ、いとによって洗礼を受け「ガラシャ(グラシア)」となる。しかし彼女を待ちうけていたのはまた過酷な運命だった。

下は宮津教会前のガラシャ像