『噛みついたら離さない』著者:へっけ
カツシ君が私の涙を拭おうとしたから、私はその手を振り払って噛みついてやる。
「痛って!マユちゃん痛いって」
私の方が本当は痛かった。カツシ君の大きな掌に噛みつくとき、そのごつごつとした骨が唇に当たって切れていたのだ。血の味がした。痛みで涙目になっていたけれど、私は一度噛みついたら絶対に離さないと決めていた。なぜなら「顔は好みじゃないけど、身体つきは好みだから」と言って告白してきやがった。最近、下校時に話すようになって気になっていたのに、いま大嫌いになった。ヤリモクって本当に気持ち悪いと思う。死んだ方が良いと思う。男ってみんなこうなのかな?だとしたら私は男と恋愛なんてしない。ユウちゃんとかコナツちゃんと一緒に遊んでいたい。ふたりとも優しくておしゃれで自分の考えを持っているから好きだ。女同士で恋愛するというのもありだと思えてきた。
「離せって!おい!本当に肉が千切れるって!!1発だけ殴るからな。お前が離さないから」
そんな脅し効かない。私は、絶対に、本当に離したくない。もし離してしまったら、カツシ君の私に対する最低な発言を許すことになるって決めたから離さない。なんで好きな女の子にあんなこと言えるんだろう。信じられ・・・あっ、カツシ君が空いている手で拳を作った。これは本気だ。ちょっと怖い。もう痛いのは嫌だな。歯を強く食いしばって衝撃に備える。カツシ君の肉に食い込む感触がした。また血の味がしたけど、私のとは違う味だ。すごく塩気の効いた胃もたれしそうな濃厚な味。私の血の方がさらっとしていて全然美味しい。いやそんな感想を考えている場合じゃなかった。カツシ君が拳を振り上げる。来る。絶対に耐えてやる。
「マユちゃんごめん!」
私は、あれカツシ君そっちなの?と思う。てっきり顔面を殴ってくる気がしていたのに、強い衝撃と痛みが走ったのはお腹だった。もっと正確に言うと鳩尾だ。私は、あまりの痛さと息苦しさで、カツシ君の手を噛みつきから解放してしまう。なるほど、そう来たかと思わず感心してしまうが、そんな余裕はない。今日、私は初恋に敗れたけど、目の前のヤリモク男には勝ちたい。恋愛に幻想を抱いていた昨日までの自分のために。明日の未来の自分のために。
「別に身体目的でも良いじゃん。俺らまだ子供なんだし、気軽に楽しもうぜ」
「はっ!ふざけんな!お前がそれを言うな!!」
私は怒りで、身体の痛みも息苦しさも忘れることができた。お前の敗因は、私を甘くみたこと。後悔させてやる。泣いて謝るまでやめないから。
カツシ君の無傷の手を目標にした私は、まずは近くにあった小石を投げて視覚に揺さぶりをかける。その一瞬で、カツシ君の足下に接近してさっきまで噛みついていた手に鋭い視線を投げる。カツシ君は、警戒して手を引っ込めるが、無傷の手の方は中空に無防備の状態を晒している。
私は、無傷の手に視線を移して大きく口を開ける。
今度こそ絶対に離さないから。
まるでスローモーションのようにゆっくりとカツシ君の手が近づいてきた。加減なく千切ってやるつもりで噛みついたら、また生々しい肉の感触と濃厚な血の味の後に、「ボキッ」と骨の砕ける音が、錆び付いた自転車置き場に響いた。
(了)