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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

日本宣教18-秀吉突如!バテレン追放令

2020.05.13 11:41

秀吉の九州征伐は順調にすすみ、島津は降伏した。この司令官だった黒田孝高は、この頃キリスト教に熱心で、毛利にかけあって教会を建てる許可を得、大友宗麟の子義統を入信させ、豊後のキリスト教を復興、なんと長男長政も受洗してダミアンの霊名を得ている。

秀吉は、アジア準管区長コエーリョと軍船フスタ船で会見した。秀吉はフスタ船を見学して大いに満悦の様子だったが、それを聞いた右近と行長は青ざめ、その船を献上せよと言ったが、コエーリョはわからなかった。秀吉は、平戸に停泊している軍船に博多に来て見せるようにと命令した。

ところが航海の都合上、それは無理と献上品をもって丁重に断り、秀吉も了承したように見えた。しかしその夜秀吉は、態度を一変し、1587年6月19日、突然バテレン追放令を発布したのである。追放は宣教師に限られ、商人達はおとがめなしでった。

そして日本人でこのみせしめとなったのが高山右近だった。秀吉のねらいは右近を改宗させて、キリシタン大名を自分の配下に置くことだった。が、右近は神の道を選び、領地をすべて返上してしまった。右近は同じキリシタンの小西行長に匿われ、それ以上の処分ができなくなった。

下は小豆島教会の高山右近像とゆるキャラうーこんどの