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中山治美の”世界中でかき捨てた恥を回収す”

初カンヌ ! その前に、パリで仕事して来〜い!

2020.05.13 14:54


  1994年5月。

マルティニークでのレジャー面用取材を終えた私は、いよいよ初のカンヌ国際映画祭へ!!

と行きたいところだが、約25日間も日本を留守にすることになる新人記者に、会社が「ゆっくりしておいで」なんて寛大な心を示してくれるワケがない。「どうせトランジットでパリに寄るのだから取材して来〜い!」という上司の指令で、現地で同じく日本からカンヌ国際映画祭に向かう映画記者たちと合流して、撮影中だったロバート・アルトマン監督『プレタポルテ』(1994)の製作スタッフのインタビュー取材を実施。

 さらに1993年に相次いで他界したフランス映画社元副社長の川喜多和子さん、母親で川喜多記念映画財団前理事長の川喜多かしこさんの功績を讃えて当時シャイヨー宮にあった映画の殿堂シネマテーク・フランセーズで追悼上映が行われパーティーが開かれるということで、お誘いいただいた。

 

 とはいえ、薬師丸ひろ子・渡辺典子・原田知世の角川三人娘や真田広之が歌う♪青春ハリケ〜ンにどハマりして映画担当記者になった筆者にとっては真逆の世界。しかも列席されている方々は、和子さんの夫でフランス映画社社長だった柴田駿さんや、元「シュガー・ベイブ」のメンバーで字幕翻訳家の寺尾次郎さんetc...欧州と日本映画界を繋げてきた日本映画界の重鎮ばかり。って、寺尾さんなんて当時は、見るからに堅気じゃないので、気さくな酒飲み仲間としか思っていなかったのですが(苦笑)。正直この時も、今まで経験したことのないシャンパン片手のパーティーに緊張したのか酔いが回り、この時のことはあまり記憶に残っていないのが残念! 

 でも今でも、この時いただいたかしこさんと和子さんのイニシャル入りボールペンは大事にとっています。試写の最中にメモが取れるよう、ライト付きというのがステキ。

  調べてみるとこの時の追悼上映も、かしこさんと和子さんたちが海外に紹介した日本映画の代表作として黒澤明監督『羅生門』(1950)、同『七人の侍』(1954)、小津安二郎監督『東京物語』(1953)、成瀬巳喜男監督『浮雲』(1955)など22本。さらに日本に紹介した欧州作品として、フランソワ・トリュフォー監督『大人は判ってくれない』(1959)、ビクトリ・エリセ監督『ミツバチのささやき』(1973)など12本の、計34本を上映。さらにかしこさんは1963年のカンヌ国際映画祭コ

ンペティション部門の審査員を務めていることから、同年のカンヌではお二人への特別オマージュとしてジャン・ルノワール監督『ゲームの規則』(1939)が上映されている。こういうところにフランスの芸術への理解と愛情の深さを感じますね。今特に、余計に。

 そして寺尾さんは2018年6月6日、柴田さんも2019年12月11日に逝去されました。この時の出会いがいかに大きかったか。


一期一会を大事にせなアカンなと改めて。 

 ちなみに、時間を作ってしっかり観光しました。

ヴィクトル・ユーゴー原作『ノートル・ダム・ド・パリ』(1957)でお馴染みのノートルダム大聖堂はもちろん、

エッフェル塔では、中にある観光用記念写真コーナーでエッフェル塔との合成写真も購入(おそらく、家のどこかにあります)。

 それどころか入場チケットもちゃんと保存していたことも判明。


 あたい、相当浮き足立っていたようです💦