「感染症と人間の物語」4 1348年フィレンツェ(4)ボッカチオ『デカメロン』④聖チャペレット
『デカメロン』の100話の中で、私が一番好きで、ボッカチオの人間観が端的に表れていると思う話を取り上げる。ピエル・パオロ・パゾリーニ脚本・監督の映画『デカメロン』の第四話にもなった詐欺師チャペレットの物語、第一日第一話だ。極悪非道の男チャペレットが、死の間際嘘の懺悔をして、死後「聖チャペレット」と呼ばれるようになった物語。そのいきさつを少し詳しく紹介しよう。
いったいこのチャペレット、どれほど極悪非道の男だったか。ボッカチオの筆が冴えわたる。
「彼は代書人である。・・・人を騙すのが好きで好きでたまらぬ男で、偽の証書を作るのなら只でも仕事をした。・・・頼まれようが、頼まれまいが、喜んで偽証した。当時のフランスでは誓言(せいごん)はたいへん重きをなしたが、チャペレットは宣誓しても平気で嘘をつく。名誉に誓って口述するよう求められた法廷で平気で嘘をつく。それやこれやで、訴訟事件では片端から勝訴した。友人と友人の間、親族の間、その他誰であれ彼であれ、その間に不幸、敵対感情、スキャンダルが生ずれば生ずるるほどそれを見ては喜ぶ。それで結果が悲惨であればあるほどはしゃぐという様であった。人殺しなどの悪事にも頼まれれば喜び勇んで手を貸した。いやそれどころか自分から真っ先に手を下して殺すということも何回もあったほどである。神を罵り、聖人を罵倒することも平気の平左で、ちょっとしたことでもすぐ激怒した。教会へは行ったこともなく、教会の秘蹟をも呆れはてた言葉で愚弄した。他方、飲屋とか悪所には足しげく通う常連で、女が好きなことといったら盛りのついた牡犬のようである。あまつさえ男の方も大好きだったのである。聖人が金を寄付するのと同じ調子で他人の金を掠め取り、平然と強奪もした。たいへんな大食漢でへべれけに飲むものだから時々、醜態をさらしたほどである。賭け事は大好き、いかさまも尋常の程度ではおさまらない。・・・要するにチャペレットはこの世に生まれついた悪の権化であった。」
チャペレットは仕事でブルゴーニュへ出かけ、フィレンツェ人の二人の兄弟の家に宿泊。そこでチャペレットは病に倒れる。重態の彼は二人の兄弟に言う。
「一人聖人の聞こえの高いしっかりした坊様を私のところへお連れ下さい。この辺りで一番立派な方をお頼みします。」
「身を持すること潔(きよ)く尊い年老いた修道士で聖書の教えに精通した尊師」がやってくる。「この前懺悔したのはいつだったか」尋ねる尊師に、懺悔などしたためしのないチャペレットは答える。週1回は懺悔する習いだったが、病気になって8日目だが一度も懺悔せず気が重くてならない、と。そして病人だからといって手心を加えることなく、細かく尋ねるよう求める。尊師は感心しつつ、おもむろに尋ね始める。「色欲の罪を女と犯したことはないか。」
「私は母の体から出てきた時と同じように童貞のままでございます」
尊師は「おお、神に祝福されてあれ」と言う。次に尊師は「大喰らいの罪で神に対し不敬を働いたことはないか」と尋ねる。
「(自分は)毎週少なくとも三日はパンと水だけですませる習慣がある。それで水を飲むのも大酒飲みが葡萄酒を飲むのと同じようにうまそうにごくごく飲んでしまう。・・また信心から断食している身でありながら、こんなにも食べるものがおいしくていいのかと思ったことも何度もある。」
「お前の清らかで善良な心根は喜ばしい限りだ。」と尊師。「貪欲の罪を犯したことはないか」との問いにはこうだ。
「(亡くなった父は)豊かな資産を残してくれました。私はそのほとんどすべてを慈善に使いました。それから自分の生活を支えキリストの友の貧乏人を助けることができるようにと、つつましい商売もやりました。・・そしてキリストの友の貧乏人と私は儲けたものをいつも折半しました。」
これ以外にも尊師は色々聞きただしたが、チャペレットはどれもこれも同じ調子で返答。それで尊師が罪の許し赦免を与えようとした時、チャペレットは激しく泣き出して「私は小さな時に、一度母親を罵りました。」と言う。それは大罪ではない、と言う尊師にこう言う。
「私の優しいおっ母さんは、9か月の間昼も夜も私を胎内ではぐくみ、うまれてからも何百回も私を抱きかかえてくれました。そのおっ母さんを罵った。これはあんまり悪(わる)がひどすぎます。度を越した大罪です。」
これを聞いた尊師は、チャペレットを世にも稀なる聖人であると思い、赦免を与え、祝福を授けた。チャペレットはその後具合が救いようもなく悪くなり、最後の塗油を受け、殊勝に懺悔を済ませたその同じ日に亡くなった。尊師は、僧院の修道士を皆講堂に集めてこう言った。
「自分が懺悔を弔問した事から判断するとチャペレット氏は聖人さまであった。この人については主は数々の奇跡をお示しになるであろう。」
チャペレットの遺骸は、盛大に教会に運ばれた。尊師は説教壇に登り、故人についてその生涯、その断食、その童貞、その質朴、その無垢、その聖人にふさわしい態度など数々の驚嘆すべき事柄を説教。これを聞いた信者たちは尊師の言葉を信じきっていた。
「頭も心も信心で燃えたぎり、法事のお勤めがすむと、人々は遺骸のまわりに一斉にどっと詰めかけた。チャペレット氏の手にも足にも接吻し、着ていた服はみな引き剥がされ、その着物の小さな一片なりとも手に入れることのできた人は有難い仕合せと歓喜した。・・・その翌日からというもの、人々がお詣りに来て蝋燭に火をともして個人に崇敬の念を示し始めた。お慈悲を得ようと願を立てるものもいる。そして願を立てた印として蝋製のお像を掛ける者もいれば絵馬を掛ける者もいる。チャペレット氏の聖人の聞こえはいよいよ高く世間の信心も増して、不慮の災害に遭遇した人は、ほかの聖人様でなく必ずチャペレット様にお願いするようになった。そして聖チャペレット様と呼ぶようになった。」
これが悪の権化チャペレットが聖人になりおおせたいきさつ。さすがに第一日目の第一話。百話の中でも横綱級の面白さで、残りの話も是非読みたいと思わせるストーリー。『デカメロン』どの話からも伝わってくるのは、人間という生物のしたたかさと滑稽さへの共感、肯定。すべてが「充実した生」の諸相の一面として描写され、悲壮感や無常観や厭世主義とは無縁の世界。あのペストのパンデミックを背景に書かれたとは思えない。強靭な精神のなせる業。さすが、ヨーロッパ近代文学の祖といわれるボッカチオだけのことはある。
サルヴァトーレ・ポスティリオーネ「デカメロン」
第一日第一話 チャペレット
(左)懺悔をするチャペレット (右)死者の徳を説教する尊師
生と死