バッハ作曲『無伴奏チェロ組曲第3番』
満天の星空の下で出会った
微笑みのバッハ
179時限目◎音楽
堀間ロクなな
いまも野放図に赤ちょうちんがぶら下がっているのだろうか。信州は八ヶ岳の南端、編笠山と権現岳の鞍部にたたずむ「青年小屋」の話だ。れっきとした登山客向けの宿泊施設なのだが、そうした場所は通常、夕食を終えると早々に消灯・就寝となって明朝の出立に備えるのが定めなのに対して、ここ「青年小屋」では大いに事情が異なる。せっかく山を訪れて禁欲する必要はない、思いきり羽をのばして楽しんだらいい、という主人の哲学にもとづいて、玄関には巨大な赤ちょうちんが掲げられ、それぞれに持ち寄った焼酎やウィスキーのボトルを傾けながら夜更けまでおしゃべりに興じたり、主人のギターに合わせて声を張り上げたり……。その雰囲気に惹かれてわたしも幾度か足を運んだのは、もうふた昔も前のことだ。
あるとき、足場の悪い登山道をたどって、常連客で放送局勤務のサラリーマンがヴィオラをかついでやってきたことがある。かくて、夕食後には宿泊者全員を前にして臨時のリサイタルが開催された。
ざっと小1時間におよぶプログラムの内容はもう忘れてしまったけれど、聴衆の大半が懸命に睡魔と闘いながら拍手を送ったのに応えて、アンコールとしてヨハン・ゼバスティアン・バッハの『無伴奏チェロ組曲第3番』よりブーレが弾かれたのはいまも耳に残っている。お世辞にも見事な演奏というつもりはないが、本来の指定楽器のチェロよりもヴィオラのほうが小回りが利くからだろう、バッハの厳めしい顔つきが影をひそめて、そこにはだれにも親しく微笑みかける音楽があった。ほんの3分足らずの演奏が終わり、最後の拍手喝采とともにリサイタルがお開きになって、煙草を吸いに玄関の外へ出てみたら、頭のうえでは満天の星がぎらぎらと輝きを競いあっていた。
この『無伴奏チェロ組曲』は、バッハがアンハルト=ケーテン侯国の宮廷楽長をつとめていた1720年ごろ、30代なかばの作品と見なされている。前奏曲とさまざまな種類の舞曲を組み合わせて6曲ずつ、第1番から第6番までの6セット、つまり計36の曲から構成されている。たったひとつのチェロが描く多彩な小宇宙なのだが、バッハの死後、ただの初心者向けの練習曲とされて長らく顧みられなかったところ、パブロ・カザルスが20世紀のはじめに蘇演したことをきっかけに再発見されて、いまではチェリストにとっての至高の聖典として君臨している。
おびただしいレコードのなかでは、そのカザルスやムスティスラフ・ロストロポーヴィチら、チェロの巨人たちが朗々と楽器を鳴らした雄渾な弾きっぷりが有名だ。その一方で、古楽派のアンナー・ビルスマがバロック・チェロを用いた録音(1979年)はおよそ肩肘の張らない演奏で、親しい友人同士のぺちゃくちゃしたおしゃべりに譬えたらいいだろうか。さらに第3番のブーレは弓が賑やかに飛び跳ね、まるで楽器そのものが酔っ払ってダンスをはじめたかのありさまで、ビルスマが奏でるこの曲を聴くたびに星空の下のリサイタルがありありと思い出されるのだ。
ところで、「青年小屋」をめぐってはもうひとつ忘れられない記憶がある。
またある夜のこと、例によってみんなで水割りのグラスを煽っていたら、主人がふいにギターの手を止めて、そろそろ訪ねてくるかもしれない、と口にしたのだ。この近くで冬期登山中に雪崩に巻き込まれて遺体も出なかった女子大生がいて、いまでも寂しいのだろう、こんな夜にはよく訪ねてくるから仲間に入れてやってくれ。一同が息を呑んだとたん、果たしておもむろに玄関のあたりから冷気がやってきて……。その後に起こったことについてはまあ、別の機会としよう。