懐かしや、第47回カンヌ国際映画祭
本来なら今ごろ南仏では第73回カンヌ国際映画祭が開かれているはずでした。しかし新型コロナウイルス感染拡大の影響で今年は……。私自身は2011年の第64回の参加を最後に卒業宣言したのですが、やはり映画界の5月の風物詩が行われないというのは一抹の寂しさがあります。
そこで私が初参加した1994年の第47回の思い出を一つ。
今思い返しても、連日すんごい方達を取材したものです。まずコンペティション部門の審査員がクリント・イーストウッド、カトリーヌ・ドヌーヴ、カズオ・イシグロら。
コンペティション部門にはクエンティン・タランティーノ監督『パルプ・フィクション』。
チャン・イーモウ監督&コン・リー主演『生きる』。
台湾からは『エドワード・ヤンの恋愛時代』。
ほか、ナンニ・モレッティ 監督『親愛なる日記』、パトリス・シェロー監督『王妃マルゴ』、アトム・エゴヤン監督『エキゾチカ』、コーエン兄弟『未来は今』、クシシュトフ・キェシロフスキ監督『トリコロール/赤の愛』、ニキータ・ミハルコフ監督『太陽に灼かれて』、アッバス・キアロスタミ監督『オリーブの林をぬけて』etc……。監督名とタイトルを並べただけでも眩しくてクラックラします。ご存知、『パルフ・フィクション』が最高賞のパルム・ドールを獲得し、ここからタラちゃんがオタクから巨匠への道を歩み始めるわけですが、今思えば、映画界の世代交代の時期だったのかなと思います。ホント、物語がループする『パルプ・フィクション』の展開は新鮮で、あまりの面白さに会期中、2回見ちゃった。
ある視点部門も刺激的で、ガイ・ピアースの出世作『プリシラ』もこの年。ドラッグ・クイーンの皆様が舞台挨拶に登壇し、夜中の上映会場は大盛り上がり。
カンヌといえばお堅いイメージがあり戦々恐々としていたけど、女性がアソコからピンポン球をポンポン飛ばすシーンに拍手喝采を送っている観客を見ながら、「私、ここに居ていいのかも」と心底ホッとしたのでありました。
そして忘れられない女優が一人。『マスク』(1994)のキャンペーンでカンヌ入りしていたキャメロン・ディアスです。
映画祭期間中は正式出品作以外に、いち早くメディアや業界関係者に注目してもらおうと、その年の話題作がPRのためにカンヌにやってきます。『マスク』もまだCG作業中の、80%ぐらいの完成度だったのですが、カンヌで初披露と取材が行われました。
主演のジム・キャリーもサービス精神旺盛。
そして、ヒロインのキャメロンです。モデルとしては注目されていたようですが、当時は全くの無名。おまけに、目の前に現れた彼女は、スクリーンでのティナ役とは違って地味でびっくり。
モデルといえば当時はナオミ・キャンベルとかクラウディア・シファーらスーパー・モデルがぶいぶい言わせていた時代です。でもキャメロンはフレンドリー。スポーツ紙記者の宿命でスリーサイズを遠慮がちに尋ねたら「私はモデルだから、公表するのが当たり前。気にしないで聞いて頂戴」って。めっちゃいい子やん。
そして写真撮影になると、さりげなく反対の手で右手を隠すのです。そこには痛々しく包帯が巻かれていました。モデルは身体が命なのに、どうしたん?と尋ねたら、「アクション映画のオーディションで怪我しちゃった」とのこと。聞けば、女優としては実績が全然ないので、オーディションを受けまくっているという。まさか『マスク』公開後、引く手数多になるとは、この時、誰が想像できたであろうか。
その後のキャメロンの活躍はご存知の通り。そして2014年製作の『ANNIE /アニー』出演を最後に、事実上の女優業引退を決断したのでありました。カンヌ・デビューの同期としては、感慨深いものがあります。お互い、頑張ったな!
はい? 同じ目線で語るなって? ごもっとも。
ドルフ・ラングレン様の写真を貼ってごまかしておこうっと。