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一号館一○一教室

「武漢日記」は人々を啓蒙する稀有な声になっている

2020.05.15 03:42

 ニュースによると、新型コロナのまん延で封鎖された中国湖北省武漢での生活を描いた女性作家・方方さんの「武漢日記」の英語版とドイツ語版が出版されることが決まった。ところで、中国のネット上では、「武漢日記」の海外出版にあたって、方方さんを批判する声が激しい。「方方さんが外の人に対し、中国の悪口を言う」と「正義感」を振りかざす人がいた。彼らにとって中国を批判する中国人は「売国」であろう。中国のネットでは、ある人が「愛国心の大義」の旗を挙げて、方方さんを攻撃したり、罵倒したりしている。それは極めて残念で、反対意見を言っても相手を尊重すべきである。

 なぜ「武漢日記」が中国の外で人気を集めているのかと考えてみると、封鎖されていた武漢の様子を毎日発信することで、一節の歴史を記録する役割を果たしているからではないか。しかも武漢の経験と教訓も含めて多くの現地情報を提供し、新型コロナに襲われた世界中の人々にとっても読む価値がある。

 私は方方さんの「武漢日記」の大部分を読んだ。政府が武漢に対して異例の封鎖措置を断行した2日後の1月25日から毎日、武漢の人々の暮らしや政府の対策に対する不満などをつづり、毎日SNSに日記をアップした。その精神力に脱帽する。確かに、「武漢日記」は文学作品ではなく、形としては正真正銘の日記である。いいニュースと悲しいニュース、両方を取り上げ、感情豊かな日記である。日常茶飯事のようなことも書かれている。「武漢日記」は、感染拡大の初期に情報を隠蔽した地方政府に対する不信感をにじませ続けた。ただし、それでもちょっとだけ釘を刺したぐらいのことで、相当控えめな批判だ。言葉を濁したこともある。ある程度の「忖度」があったかもしれない。日記なので、報道ではなく、事態の深層を掘っていない。日記の内容には常識を示すことで、あえて言えば、思想の領域に至っていないと思う。

 中国では「武漢日記」は異端の存在だと知らされた。ごく当たり前のことを示した「武漢日記」は、人々に「自国批判」を啓蒙する稀有な声になっている。一つの声に慣れている人々は内の人が自国を批判することに慣れていない。自国のマイナス面を言われたら、精神的に耐えられない人がいる。それこそが憂える社会現実である。もちろん、多くの人は「武漢日記」が自分の心の声を代弁し、方方さんの勇気に感服したと言う。多数の中国の有識者が方方さんを支持している。災難の中で「人間の傷」を記録するのは当然、作家の責任である。「健全な社会であるなら『一つの声』だけであってはならない(李文亮医師)」という言葉を忘れてはいけない。「武漢日記」の内容をめぐって、賛否両方が理性的に議論し合うことができたら、中国社会にとってはありがたいことだろう。幸いなことに、現在方方さんは依然としてWeibo(微博)などで発信を続けている。

 ちなみに、最近私は中国のマスコミの友人と話すと、相手はよくアメリカとトランプ大統領のことを分析したり批判したりしている。「なぜ中国のことを言わないのでしょうか。中国に対する分析などをもっと聞きたい」と私は注文した。相手は苦笑しながら言った。「今、中国のネットで、アメリカを批判する内容が多い。中国を批判することは簡単ではないが、これから頑張って発信したい…」

 現在中国では、新規の新型コロナ感染者数が抑えられ、徐々に日常を取り戻そうとしている。これは評価すべき点である。ただし、そういう時こそ、新型コロナがもたらした教訓を忘れず、排他的ナショナリズムを警戒すべきである。新型コロナの後、国々のナショナリズムはどう変わるだろうか。新型コロナで私たちの世界観と価値観が変わるかもしれない。「武漢日記」をきっかけに、中国の人々が「真の愛国感情はどういう形で表現すればいいか」を考えたらどうだろう。自国をひたすら誇りに思うより政治権力に物申す態度こそ、真の愛国者だと思う。