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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

黒王妃の戦争16-ヴァロア朝途絶し分裂

2020.05.16 11:23

パリではギーズ公暗殺のすぐ後、1589年1月5日、王母にして長らく混乱のフランスに君臨してきたカトリーヌ・ド・メディシスが崩御した。69歳、最後はもう立ち上がれぬほど衰弱していたが、ギーズ公暗殺が最後の指図であったのか定かではない。いずれにせよフランスはかじ取りを失った。

バランスは旧教から新教寄りに動き、旗頭ナヴァール公アンリは3月、国王アンリ3世支持を表明。翌4月に残った2人のアンリはトゥール南で会見して抱擁し合って協力を誓った。この仲介には、思想家モンテーニュも加わっており、彼はこの後目的が達成されたと見て居城に戻る。

2人のアンリはカトリックの牙城パリ包囲に移った。これにはドイツ騎兵も参戦し、一方のカトリックにはスペイン軍も居たので、もはや内戦は国際化してしまっていた。パリ大学は国王アンリ3世の有罪を宣言、ギーズ公弟シャルルを司令官に任命した。

8月1日、サン・クルーに居たアンリ3世は、ドミニコ修道士ジャック・クレマンを謁見したところ、彼に暗殺された。王は後継にナヴァール王を指名し、ヴァロア朝はここに途絶えた。しかしカトリック側では、ブルボン枢機卿シャルルを国王シャルル10世として国は分裂したのである。

下はアンリ3世の暗殺