世界史を変えた13の病
旅の日(5月16日・奥の細道出立の日)
二荒山さらに芭蕉のやどりかな 高資
(二荒山=男体山=黒髪山=大国主命=日本最古の医神)
https://books.j-cast.com/2020/02/28011001.html
【ローマ帝国を崩壊させた「感染症」とは?】 より
世界史を変えた13の病
新型コロナウイルスとの戦いが世界に広がっている。このまま拡大が続くのか、なんとか収束の方向に向かうのか。本書『世界史を変えた13の病』(原書房)は感染症(疫病、伝染病)と人類の戦いを、世界史という枠組みで振り返ったものだ。わざわざ西洋社会で嫌われる「13」という数字をタイトルにしている。
衰退の一因に「疫病」
腺ペスト、天然痘、梅毒、結核、コレラ、ハンセン病、腸チフス、スペイン風邪、ポリオなど知られた病名が並んでいる。中には「ダンシングマニア」(死の舞踏)、「ロボトミー」(人間の愚かさが生んだ『流行病』)、「嗜眠性脳炎」(忘れられている治療法のない病気)なども出てくる。
トップに登場するのは「アントニヌスの疫病」。上記の病ほどは世間で知られていない。(医師が病気について書いた最初の歴史的記録)という副題が付いている。
テーマになっているのは「ローマ帝国の崩壊」。強大な軍事力を背景に北はスコットランドから南はシリアまでを領地に繁栄をつづけたローマ帝国。本書はその衰退の一因に「疫病」があったことを強調する。
皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌス(121~180)のお抱え医師、ガレノスが当時蔓延した疫病について詳細な記録を残していた。この疫病は165年から167年にかけてメソポタミアからローマに到達したとされている。
本書では、まず当時のローマの衛生状態が記されている。公衆トイレはあったものの、公共下水道につながっている個人住宅はほとんどなかった。排泄物はそのまま通りに捨てられていた。人々は浴場を利用していたが、殺菌されていなかった。マラリアや腸チフス、赤痢、肝炎などがしばしば蔓延した。
総死亡者数は1000万人を超えた
ガレノスは新たにローマを襲った疫病について次のように書き残している。
「患者は突然全身に小さな赤い斑点が現れ、一日か二日後に発疹に変化する。その後二週間、単純疱疹ができたあと、かさぶたになってはがれ、全身に灰のような外観が残る」
「黒い便はその病気の患者の症状で、生き延びるか死亡するかにかかわらず・・・便が黒くなければ、必ず発疹が出た。黒い便を排泄した患者は全員死亡した」
多くの患者が血を吐いた。病人の顔が黒くなれば葬式の準備を始めたほうがいいとも。もちろん治る患者もいた。「黒い発疹」が出れば生き延びる可能性がある。この疫病は、今では天然痘だったのではないかと見られている。総死亡者数は1000万人を超えたのではないかと推定されている。ローマでは毎日2000人が死んだとも。
ローマ軍の軍人たちも罹患し、軍がガタガタになる。それに乗じて一時はゲルマン人がローマにまで攻め込んできた。最終的には押し返したが、ローマ帝国の最強神話がぐらつくきっかけになった。
皇帝マルクス・アウレリウスもこの病気で死んだといわれている。『ローマ帝国衰亡史』で知られるギボンは、「古代世界はマルクス・アウレリウス統治時代に降りかかった疫病によって受けた打撃から二度と回復することはなかった」と書いているという。
罹患者を火あぶりにするな
さかのぼれば、紀元前430年にはアテネで疫病が発生。人口の3分の2が死滅したという。腺ペストかエボラウイルスによるものだったと見られている。『戦史』で有名な古代の歴史家トゥキディデスの記述が紹介されている。
「死亡率がどんどん上昇した。死にかけている人が積み重なり、半死半生の人間がよろよろと通りをさまよい、水を求めて泉という泉に群がった。寝泊りしていた聖地にも、そこで死んだ人々の死体があふれた。疫病が蔓延し、自分の行く末がわからなくなると、神聖だとか冒涜だとか、何もかもどうでもよくなったのだ」
このようにギリシャ文明もローマ文明も、疫病によって土台が揺らぎ、崩壊に向かったことを本書は伝える。古代の都市はおおむね城塞でおおわれていたから、その内部では疫病が持ち込まれると、短期間で蔓延したに違いない。今回のクルーズ船の姿とも重なる。
著者のジェニファー・ライトさんはニューヨーク在住の作家。医学史の研究者ではないが、巻末に膨大な参照資料のリストが掲載されている。
著者は、人類が疫病にすばやく対処できるかどうかは、医師や科学者の努力だけにかかっているわけではないと強調する。
「罹患者を罪人と見なして、文字どおりにしろ比喩的にしろ火あぶりにしてはならない・・・だが、新たな疫病が発生したとき、わたしたちは300年前と全く同じ過ちを犯す」
https://1book.biz/2020/02/19/plagues.html
【「世界史を変えた13の病」ジェニファー・ライト】 より
新型コロナウイルスをどう見るのか考えるために手にした一冊です。
人類が疫病に対抗できるようになったのはつい最近のことだとわかりました。
(昔に生まれなくてよかった!)
ワクチンの一種である牛痘が1796年ペニシリンは1929年。
結核が抗生物質によって死病でなくなったのはつい最近のことなのです。
・1600年以前は、どんな病気も区別が難しく、急速に広まるエピデミックはすべて単に疫病と呼ばれた(p20)
■普通のインフルエンザの死亡率が 0.1%以下ですので、新型コロナウイルスの死亡率が
仮に2%程度だとすればインフルエンザよりは悪い。スペインかぜよりは軽い。
新型コロナウイルスは最悪の疫病というほどではありませんので、できるだけ感染者を減らすことしか対策はないのでしょう。
新型コロナウイルスの拡大で手洗い徹底なのど対策が行われ、他の伝染病も予防されるプラスの効果があるかもしれません。
・インフルエンザの死亡率は、1917年は赤ん坊や60歳以上の人が最も多かった(感染者の約30から35%)それ以外の年齢層で、当時インフルエンザで死亡する割合は10%を切っていた・・・1918年は、インフルエンザで死亡した患者の35%が20代だった(p208)
■最も恐るべきことは、
実は新型コロナウイルスではなく敵性国家が天然痘やペストなどをばら撒くことではないかと感じました。
アメリカは天然痘のワクチンを備蓄しているという。
現代の技術であれば生物兵器を作ることも、防御の準備することは容易です。
問題はどの程度、準備しておくのかどうかということなのでしょう。
ライトさん、良い本をありがとうございました。
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■この本で私が共感したところは次のとおりです。
・腺(せん)ペスト・・・膿や血液を出す卵大の横痃(おうげん)のほかに、発熱、嘔吐、筋肉痛、譫妄(せんもう)・・14世紀に2000万人から5000万人、ヨーロッパの人口のおよそ30%がこの病気で死亡した(p39)
・14世紀から17世紀にかけて、黒死病(腺ペスト)がヨーロッパの国々に及ぼした影響は、歴史のきわめて恐ろしい章のひとつとして記憶されている。だが、ヨーロッパの文明は持ちこたえた・・・シェイクスピアのきょうだいと息子は腺ペストで死病した。シェイクスピアが生きているあいだ、疫病が原因で劇場は閉鎖された(p77)
・天然痘は天然痘ウイルスによって発症するとわかっている。感染すると(40度まで)発熱し、嘔吐を伴うこともある。その後、急速に発疹が出て、透明の液体か膿が詰まった、でこぼこした膿疱に変化する・・一般的に、天然痘患者の致死率は約30%だった。(p82)
・天然痘・・アメリカ政府は・・全国民を守れるくらいの量のワクチンを備蓄している。ワクチンは病気にさらされてから三日以内に接種すれば有効である。最悪、どこかの極悪人が一般の人々に天然痘ウイルスをばらまいても、被害を防ぐ計画がある(p92)
・今日、ワクチン接種を信用しない声高な少数派が存在する。その多くが、ワクチンを信用しないのは、1998年にアンドリュー・ウェイクフィールドという名の胃腸科専門医が、麻疹(ましん:はしか)と流行性耳下腺炎(じかせんえん:おたふくかぜ)、風疹(MMR)のワクチンの接種と自閉症の発症に関連性があると主張する論文を『ランセット』に発表したからである。ウェイクフィールドは詐欺師だった・・・MMRワクチンのメーカーを訴えようとした弁護士から数十万ドルを受け取っていたことが判明した(p98)
・1917年にはユリウス・ワーグナー=ヤウレックが、梅毒患者にマラリアを接種し、高熱を引き起こしたあとキニーネで治療するという新たな治療法を考案した。この研究によってノーベル賞を受賞したが、約15%の患者が死亡した(p114)
・1851年から1910年のあいだに、イングランドとウェールズで、実に400万人もの人が結核で死亡したと考えられていた・・・地中海の温暖な土地を訪れるのは、それが「結核患者の最後の望み」と言われていたからである(p135)
・結核は現在も存在していて伝染性があり、ワクチンを作るのに16セントくらいしかかからないのにもかかわらず、購入単価は3ドル13セントで、いまもなお周辺諸国に被害を与え続けている。毎年、世界じゅうで何百万人もの人が結核で死亡している・・完全に治療できるのに(p143)
・コレラ・・"米のとぎ汁"と呼ばれる白い剥片状の水様性の下痢を引き起こす・・脳が最後まで働くことが多く、そのため患者は最後まで苦痛を知覚する(p149)
・チフス菌に感染すると、糞便、稀に尿に細菌が含まれる。つまり、調理の前によく手を洗わなければ、細菌が食事に付着する可能性がある・・腸チフスに感染して治療せずにいると、約60%が死亡した。現在は抗生物質によって、死亡リスクがほぼゼロまで減少した(p187)
・1918年に、世界じゅうで5000万人がスペインかぜで死亡したが、その原因も治療法も撲滅法も、再来するかどうかも不明である・・スペインかぜはほぼ確実に、カンザス州ハスケル発祥の、アメリカの疫病である(p205)
・第一次世界大戦中に、4万人のアメリカ兵士がスペインかぜで死亡した。比較のために言うと、ベトナム戦争の戦死者数より7000人少ないだけだ(p216)
・スペインかぜは世界じゅうで2500万人から1億人の命を奪ったと推定されている。約67万5000人のアメリカ人が死亡したと考えられている。4年続いた南北戦争の死者数より多い(p227)