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旅の日・人類が感染症と戦ってきた歴史

2020.05.17 05:28

旅の日(5月16日・奥の細道出立の日)

二荒山さらに芭蕉のやどりかな  高資

(二荒山=男体山=黒髪山=大国主命=日本最古の医神)


https://news.yahoo.co.jp/byline/mutsujishoji/20200404-00171277/  

【感染症と戦争の文明史――ヒトは何と、どのように戦ってきたか】

感染症のパンデミックはこれまで、しばしば人間のもろさや弱さ、あるいは社会の不正を浮き彫りにしてきた

それだけでなく、時には人間自身がウイルス以上に人間にとっての脅威になったこともある

その一方で、感染症は人間の歴史を前に動かすエネルギーにもなってきた

 感染症との戦いは己との戦いでもある。歴史をふり返ると、パンデミックで己を失った国家や文明は自滅してきたが、感染症をきっかけに生きることの意味を問い直し、より高みを目指した人々がいたこともわかる。

ペストが生んだテロ

 古来、感染症のパンデミックは多くの生命を奪ってきただけでなく、人間のもろい理性を簡単に突き崩してきた。

 2010年に公開された英独合作映画 “Black Death” は文字通り黒死病、つまりペストを題材にしている(日本では劇場未公開だったが一部の動画配信サービスで視聴できる)。

1348~1350年のペスト大流行は、当時のヨーロッパ人口の三分の二にあたる2000万人以上を死に至らしめたといわれ、世界史で最も有名なパンデミックの一つだ。

 ただし、この死者数にはペストによる病死や食糧不足による餓死だけでなく、集団ヒステリーに陥った群衆による殺人も含まれるとみられる。

 “Black Death” にはこんな台詞がある。「北の村じゃ一晩に128人の魔女が焼かれたそうだ。女どもはみんなその前に、ヤツらに殺されてたんだ。そいつらを焼き殺すまで、男たちはブタと寝てたってわけさ」

 実際、悪名高い中世の魔女狩りはペストが蔓延した14世紀に激しさを増し、やがて魔女裁判も制度化された。ペストでパニックになった人々が、よかれと思って狂気に走ったことは、ヨーロッパに地獄絵を展開させる一因になったのだ。

病に敗れた文明

 感染症のパンデミックで己を失った人々は、時には一つの国、一つの文明を滅ぼしてきた。

 古代ギリシアの覇権をかけたペロポネソス戦争(紀元前431~紀元前404)で、アテネはスパルタに敗れた。その一因は、開戦からまもなくアテネでペストが広がり、25~30万人の人口の約三分の一が死亡したことにあった。

 これに拍車をかけたのは、ペストがアテネ人の心も蝕んだことだった。

それまでアテネ人は「無支配」の考え方のもと、何者にも支配されない自由を重んじた。ところが、アテネ民主政の黄金期を支えたリーダー、ペリクレスまでもペストに倒れ、さらにスパルタとの戦争で敗色が濃厚になるにつれ、煽動的で強権的なポピュリストが台頭し、内部崩壊が始まったのだ。

 ペロポネソス戦争後、ギリシア世界では自由な気風が失われ、いくつもの攻防の果てに、地中海の覇権はやがて絶対的な皇帝を戴くローマ帝国に移ったのである。

世界帝国の闇を暴いたもの

 ところが、このローマ帝国の衰退にも、やはり感染症が関わっていた。ただし、こちらは己に敗れたというより、もともとあった己のもろさがパンデミックをきっかけに露わになったものといえる。

 紀元前1世紀に成立し、空前の繁栄を遂げたローマ帝国は、紀元1世紀にはすでに腐敗していた。繁栄の陰で貧富の格差は拡大し、汚職がはびこり、現代でいう不倫はもはや当たり前で、「成功へ押し上げる最も確実な道は(資産家である)美しき老婦人の陰門」ともいわれた。一部の金持ちの間では「食べるために吐き、吐くために食べる」過食が美徳にさえなった一方、主人や酔客が吐いたものを拭きとる専門の奴隷がいるという有り様だった(弓削達『ローマはなぜ滅んだか』)。

 このように不正と虚飾が支配するローマ帝国を襲ったのが「キプリアンの病」だった。249~262年にかけて、最盛期には1日に5000人の生命を奪ったといわれるこの感染症は、記録したカルタゴ司教キプリアンの名をとってこう呼ばれる。

すでに表面化していた人心の荒廃は、「キプリアンの病」で拍車がかかったことだろう。

 ちょうどこの頃、東方からゲルマン人がローマに侵入し始めていたが、かつて無敵を誇ったローマ軍は各地で後退を余儀なくされた。国や社会を真面目に支えようとする人間が減っていたことがローマ滅亡を早めたとみてよい。

 「キプリアンの病」は長く伝承として伝えられ、病名もはっきりしなかったが、オクラホマ大学の生物考古学者ケイル・ハーパー博士は発掘された遺骨の分析から、黄熱病やエボラ出血熱のようなウイルス性出血熱だったと結論している。

人間がウイルス以上の脅威になるとき

 このように感染症に翻弄される人間は、その一方で、しばしば感染症以上の凶悪さもみせてきた。戦争にウイルスを利用することもあったからだ。

 ハイデルベルク大学のフリードリヒ・フリッシュクネヒト教授はウイルスを兵器として用いた主な事例をリスト化しているが、それによると1152年には早くも神聖ローマ皇帝フリードリヒ一世がイタリアでの戦争で、人間や動物の死体を井戸に投げ入れている。これは現代でいえば、無差別殺戮を目的にした生物兵器にあたるだろう。

「相手を病気にする」というアプローチとは違うが、「自分たちだけ病気を克服する」ことも、戦争と征服を有利に進める手段としてしばしば用いられた。

 ヨーロッパでは1630年代に南米原産のキナの樹皮から抽出した解熱剤キニーネが商品化され、やがて各国軍隊の標準装備になった。これは銃弾に匹敵する武器として、マラリアなどが蔓延するアフリカなど熱帯地域にヨーロッパ列強が進出することを後押ししたのだ。

 もしウイルスに知性があるなら、その上前をはねる人間に舌を巻くかもしれない。

より高みを目指して

 こうして歴史をふり返ると、感染症のパンデミックは少なからず人間のネガティブな面を露わにしてきたといえる。ただし、その一方で、人間は時に感染症を、よりよい世の中を目指すステップにもしてきた。

 ペストに襲われ、スパルタとの戦争にも敗れたアテネでは、人心の荒廃が目にあまるなか、「哲学の王」プラトンをはじめ、ソクラテスやアリストテレスなど後世に名を残す大哲学者が相次いで現れた。「善き生」のあり方や「正義とは何か」を現代の我々にも問いかける彼らが登場した背景には、荒れ果てたアテネ社会があった。

同じことは、黒死病が吹き荒れた中世ヨーロッパに関してもいえる。

 黒死病の影響がとりわけ大きかったイタリアでは、その後「万能の天才」レオナルド・ダ・ビンチをはじめ、ミケランジェロやボッカチオなど数多くの天才が登場し、15世紀にルネサンスの華が咲くことになる。これに関して、歴史作家バーバラ・タックマンは「あまりにも多くの人が簡単に亡くなる状況が、それまでキリスト教会の説く死後の安寧のみに傾いていた人々に、この地上で生きることの意味を考えさせるきっかけになった」と考察している(バーバラ・タックマン『遠い鏡』)。

 人間はしばしば病に己を失い、国や文明、社会を崩壊させただけでなく、人間自身がウイルス以上に人間の敵になることもあったが、その一方では災厄から再生し、より高みを目指す力もみせてきた。先人たちが示したこの道を、現代の我々はどのくらい活かせるだろうか。


https://books.j-cast.com/2020/02/16010906.html 

【新型肺炎でわかった、人類にとって唯一の天敵!】 

新型肺炎で感染症への関心が高まっている。『感染症の世界史』(角川ソフィア文庫)は人類が感染症と戦ってきた歴史を振り返ったものだ。

 新型肺炎は新型コロナウイルスの感染によるものとされ、「COVID-19」と名づけられた。本書は40億年の地球環境史の視点から、人類と対峙し続ける感染症の正体を探る。

マラリア4回、コレラ、デング熱・・・

 著者の石弘之さんは1940年生まれ。東京大学を卒業後に朝日新聞で科学部や外報部の記者、アフリカやアメリカの特派員を経て退社。国連環境計画(UNEP=本部ナイロビ)上級顧問や東京大学大学院教授、ザンビア特命全権大使、北海道大学大学院教授、東京農業大学教授を歴任。この間、国際協力事業団参与、東中欧環境センター理事(ブダペスト)などを兼務し、国連ボーマ賞、国連グローバル500賞、毎日出版文化賞をそれぞれ受賞している。

 この経歴からもわかるように、新聞記者として様々な現場を取材したうえで、国連に移って世界的な視野で環境問題にかかわり、さらに研究者としてアカデミズムでも活躍してきた。アフリカの大使にもなっている。日本のジャーナリストとしては、かなり異色の人だ。

 とはいえその身体は「傷」だらけ。既往歴はマラリア4回、コレラ、デング熱、アメーバ赤痢、リーシマニア症など多数。高熱を出してジャングルのテントで横たわったままほとんど意識不明が続いたこともある。帰国後、日本の健康診断の調査票に病歴をそのまま書いたら、「ふざけないでください」と看護師さんに叱られたそうだ。

 本書はそうした多彩な活動歴や、自身の罹患体験などが凝縮された一冊と言える。記者出身だけあって、何よりも文章がわかりやすい。

 序章で「エボラ出血熱とデング熱――突発的流行の衝撃」を扱い、第一部で「20万年の地球環境史と感染症」、第二部で「人類と共存するウイルスと細菌」、第三部で「日本列島史と感染症の現状」、終章で「今後、感染症との激戦が予想される地域は?」という構成になっている。

感染症の巣窟になりうる中国

 この中でとりわけ興味深いのは終章だろう。ずばり、「感染症の巣窟になりうる中国」と言い切っている。その内容を簡単に紹介すると、以下のようになる。

 ・中国は歴史的にパンデミックの震源地。過去3回のペストの世界的流行も、新型インフルエンザも、遺伝子の分析から中国が起源とみられる。

 ・13億4000万人を超える人口が、経済力の向上に伴って国内外を盛んに動き回るようになった。春節前後には延べ3億人が国内を旅行し、年間に延べ1億人が海外に出かける。最近の12年間で10倍にふくれあがった大移動が、国内外に感染を広げる下地になっている。

 ・国内の防疫体制が遅れている。上水道が利用できない人口が3億人、下水道は7億5000万人。慢性的な大気や水質汚染から、呼吸器が損傷して病原体が体内に侵入しやすくなり、水からの感染の危険性も高い。

 ・高濃度の残留農薬、抗生物質など禁止薬物の添加、細菌による汚染、偽装食品などによる事件や事故も多発。

 たしかにSARSや、いくつかの新型インフルエンザは中国発。今回の新型肺炎も同じだ。本書では中国に加えて「多くの感染症の生まれ故郷」であるアフリカも「巣窟」として警告している。すべての災害のなかで、もっとも多く人類を殺してきたのが感染症であり、どんな対策も効果がないような菌やウイルスがいつ出現してもおかしくない、というのが著者の基本認識だ。

人類とウイルスの軍拡競争

 著者は本書の冒頭で感染症と人類との近況をまとめている。一時は、人類によって感染症はいずれ制圧されるのではないかと見られていたという。1980年にWHOが天然痘の根絶を宣言、その翌年にはポリオ(小児マヒ)の日本国内での発生がゼロになった。ところが入れ替わるかのように、エイズが想像を超えるスピードで広がり、次々と「新型」インフルエンザが登場する。エボラ出血熱、デング熱、西ナイル熱という予防法も治療法もない新旧の病原体が流行し、抑え込んだはずの結核までもが息を吹き返した。

 感染症とは、微生物(ウイルス・細菌・寄生虫)が人や動物などの宿主に寄生し、そこで増殖した結果、宿主に起こる病気のこと。かつては「疫病」「伝染病」とも言われたが、現在は「感染症」という言葉に統一されている。

 著者は言う。私たちは、過去に繰り返されてきた感染症の大流行から生き残った「幸運な先祖」の子孫だと。一方で、私たちが忘れていたのは、いま感染症の原因となる微生物も「幸運な先祖の子孫」だということだ。人間が免疫力を高め、防疫体制を強化すれば、微生物の側も対抗し、薬剤への耐性を獲得、強い毒性を持つ系統に入れ替わる。両者がまさに「軍拡競争」を繰り広げているのだ。微生物の役割はいろいろ。腸内細菌のように健康維持と深い関係を持つものもある。著者はこう結論づける。

「微生物は、地上最強の地位に登り詰めた人類にとってほぼ唯一の天敵でもある。同時に、私たちの生存を助ける強力な味方でもある」

 「縄文人が持ち込んだ成人T細胞白血病」「弥生人が持ち込んだ結核」など日本人の祖先についての興味深い記述もある。本書は2014年に洋泉社から刊行された同名本の文庫化だ。今回の新型肺炎で緊急重版、「新型ウイルスの発生は本書で警告されていた」というキャッチが新しく付いている。本書も、BOOKウォッチで紹介済みの『猛威をふるう「ウイルス・感染症」にどう立ち向かうのか』(ミネルヴァ書房)などと同じく、中学や高校の図書館には備えてほしい本だ。これからの感染症対策やウイルス研究を担う人材を育てることになる。