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Roux's T Room

本質

2020.05.17 14:20



今回のブログを書き始めた1週間前には、空気も変わりつつあって

既にいまさらな内容と受け取られるかもしれない。

 

でも書きたかったのは本質的な事なので、このままupする事にした。

 

前回のような顛末もあり、私自身は仕事の再開に身構えていたけれど

未だ自宅待機が続いている。

 

だが買い出しに出かけた街は、自粛要請を解除されたかのような賑わいで

思いは複雑だ。  

 





緊急事態宣言後、人出の減り方を確認するための映像や画像に

必ずと言っていいほど添えられていた言葉は

「閑散として」

 

 

えっ? 

なんか、違わない?

「閑散」は意味合いとしては正しいだろうけど、負のイメージが強い。

皆で頑張ってるのに、負? 負け?

 

 

ごく最近までそれは続いていたが

引っかかりを持った人は結構多いんじゃないだろうか。

 

 

 

「自粛」も一般的には負のイメージのような。

 

言葉としては間違いではないはずだけれど、贖罪中とでもいう感じ。



自重・自制もちょっと違うが

結局、負のイメージで合っていたかもしれないと

思い至った事は後述に続けたい。

 

 

  

言葉にモヤる事は多々ある。


料理番組での「~してあげる」 → 食べちゃうのに?

地震が起こる「可能性」 → なんかいい事みたい

真逆 → 正反対って死語?

デニム → 例えばだけど、シルク素材だったら何て?

選挙で勝つ → 「選ばれる」じゃだめなの? その視点だから色々ヘンなんじゃない?

  

……そう、オレはメンドくさい奴だよ

 

 

 

「真逆」に関してはおそらく、「正反対」より口を動かしやすいのと

強く否定できてる感と、言葉を発した時の気持ちよさなんだろうというのが持論。

 

濁音を含む発音は他の言葉より強く発声するし

言葉にも魅力の多寡はあるし。

 

 

あまり肉に興味がない自分が、ケバブのキッチンカーを見て

「ケバブ、後で食べようかな」なんて口にしたのも、持論寄りの感じがする。

すっかり忘れて食べなかったもん。

 

 

はるか昔、正しくはないはずのこの言葉を

作家である石田衣良氏が口にした時、

あぁ、もうこの言葉が世を席巻していくんだろうなと思った。

 

その時代の社会を切り取る人が使うなら、流れはそっちだ。

  

  

 

 

モヤったんじゃなくてツボったのは

「ピンチはピンチ」という貼り紙。

 

いや、そうだけどさ~

いや、そうだよねー

 



 

 

デジタルネイティブ世代ではないから

小さい頃は国語辞典で言葉を調べていた。

 

それは譲り受けたもので、金田一父子監修版だったかと思う。

 

解釈が面白いと話題になる前のその辞典は、使い過ぎてヨレヨレになり

PCと入れ替わりに別れを告げたので定かではない。

 

だからというわけでもないが、金田一 秀穂先生が大好きだ。

 

 

 

先生の話はどれも納得のいく勉強になる事ばかりだけれど

唯一飲み込めないのは「なるほど」という言葉について。

 

 

失礼に当たるとの理由で

たしか「おっしゃる通り」が良い、とされていたように記憶している。

 

それも結構使うけど

わー!すごいなっとく~!と思った時

「なるほど!」以外に感心の度合いを伝えられる言葉は他にない気がして

他の説明がなければ、これだけは先生であっても譲れないのだ。

 

 

 



そんな風に言葉に対する思いは強いから

軽んじがちな今の傾向を危ぶんでいる。

 

的確に理解し、使わなければ

混乱や諍いを招きやすい…って、いろいろ起きてるね…



※追記

 対価を得ているものや、過激・攻撃的・ひどい誤用や使い方などには物申したい。

でも、 何にでも目くじらを立ててるわけではありません...  念のため...

  


 

ともあれ、私は原稿がないスピーチなんて考えられないけど

そして誰もが言うけど、羽生さんは凄い。

その目的でなかろうと、良い教えになるのは間違いない。

 

 

 

学ぶべき事は教室以外にもたくさんあるのだ。 

 



  

 

先日、ニュースサイトの中に懐かしい名前を見付けて手が止まった。

 

 

カヒミ カリィ。

 

 

懐かしいと言っても 私がいろいろと知らないだけの話。

 

耳をそっと撫でるような彼女の歌声を聴く事も、J-WAVEリスナーをやめてしまったのも

かれこれ10年以上前の話なのだから。

 

「ちびまる子ちゃん」に起用されたテーマソングに

馴染みがある方も多いであろう彼女は今

NYに移り住み、様々に活動しているようだ。

 

 

 

サイトにあった寄稿は、私自身もこの一ヶ月強

ずっと考えていた事にほぼリンクする。

 

“「コロナ以前の社会」に恋しくも後戻りをしないために”

https://www.asahi.com/and_M/20200501/11660612/?iref=comtop_rnavi_chumo_n

 

   

「1か月前のことがこんなに遠い昔のように感じたのは初めてかもしれない。あまりに状況が変化し続け、自分も日々いろいろなことを考えさせられているので、まだ全てが渦中で混乱しつづけている状態ですが、それでも自分の芯には静の部分があって、そこではずっと瞑想をしているような不思議な感覚があります」

 

 

この書き出し後、この災いに伴う環境や人種差別の問題にも言及し

とても胸に残っている事として

イギリスの霊長類学者であるジェーン・グドール氏のインタビューに触れている。

 

 

―「日々の小さな選択をする時に、その選択がもたらす結果を考えるようにすれば

誰でも毎日影響を与えられる」

 

「何を食べるか、その食べ物はどこから来たのか、その食べ物は動物を虐待して得られたものか、

集約農業によって作られたものか、子どもの奴隷労働で作られたから安いのか

生産過程において環境に悪影響を及ぼしたか、どこから何マイル移動してきたのか、

車ではなく徒歩で移動出来ないか」

 

「私たちが生活の中で出来ることは、一人一人少しずつ異なるが、

私たち皆が変化を起こすことが出来る。誰もがだ」 ―

 



ナチュラルハウス・らでぃっしゅぼーや

フェアトレード商品等は疎遠になってしまったけれど

私の中の葛藤も消え去る事はない。

 

 

 

そして 私も含め、世界中の数え切れない人々が

きっとそんな風に過ごしてきただろうという、このひと月あまりの想い。

 

「今、深刻な状況のNYにいることで実感しているのは、

私たち一人一人が責任ある行動をすることで、世界の流れが確実に変わるということです。

今の私たちが学ぶべきことはなんだろうかということを、

毎日何をしていても、ずっと考えています」

 



悲しい事だが 私もそう思う最後の言葉は

「敵はウイルスそのものではなくて、人間自身なのではないでしょうか」

 

そこに上述した “自粛” の文字が結び着いた。

 






ニュース映像のなか、小さな女の子が言う。

「ウイルスさん、ごめんなさいしてもゆるさない」

 

 

うん、わかるよ。

私もなんとなくそう思っちゃうんだよ。

 

そしてたぶん、おうちの人も先生や周りの人も

子供の頃からそんな風に言われて育ってきたんだよ。

 

 

 

でもさ、ウイルスさんは

いいとか悪いとか何にも考えてなくて

困った人間が、悪い奴だ~って言ってるだけなんじゃない?

 

 

 

怖いおじさんに怒られるからとか、お店の人に叱られるからとか

よく言われるかもしれないけど、それも違うはずだよ。

 

 

 

 

先日、買い出しの袋詰めをしている時もそうだったのだ。

 

目の端に入ったのは、開けるためポリ袋をペロッとなめたおじいちゃん。

 

二度目の時、たまりかねて私は言った。

「やめた方がいいですよ」

 

すると連れ立って来ていた、奥さんらしき人がそっと言う。

「ほら、他人が見てるから…」

 

 

違うだろー

 

そういえば、「この〇ゲ!!」の後にこの言葉を続け、注目されたあの人は

いつの間にものを語る席を得たのか。


考えや行動を改めて出直す機会はあるべきだと思うし

有能とは聞くけれど

 

他の人が散々その件を あげつらったであろうその場に

逆の立場で、別人のような声色で語る画面は

どこかシュールで

 

気付かないうちに方向性を変える社会は不気味だ。

 

 

 

 

本質を見誤る流れを、連綿と続けたらどうなるのか。

 

 

 

私は、ファンなら知る人も多いだろう例の発言から、

北野武氏の一切を見聞きする事がなくなった。


それは生まれ育った時代に刷り込まれたスタンダードなものかもしれない。

 


だが多様化が叫ばれて久しい今、電波に乗せた失礼極まりない侮蔑的な発言を

誰が同意するというのだ。

 

せめて当該の方達や彼が耳にしていない事を祈るけれど

同氏は変わる事なく業界に君臨し続けている。

 

 

 

 

刷り込みは様々になされる。

 

 

 

9月入学の件について、有識者が話す そもそも論を

TV番組の司会者が「取りあえず、今の問題は」と遮る。

 

 

 

進行してるとそうなっちゃいがちだよね。

 

でもさ、別にそこで決まるわけでもないんだから

本質の部分を大事に話してみない?

 

 

 

だけどそれじゃ納得しない視聴者が多いのだ。きっと。

 

私だって特にこの春進学の子を持つ親だったら

それどころじゃないって思うんだよ。 たぶん。

 

電話やメールだってしちゃうのかもしれない。

 

 

 

でもさ、でもさ

別の特番でさ

 

爆問の太田も言ってたんだよ。

 

 

「現状の不安を解消するためにこそ学問が必要

色々な問題を各教科や政治に落とし込んで考えるには今こそチャンスで

考えないのはむしろもったいない」って。

 

 

表情がその心境を物語るMCに遮られたけど

太田は最後にもう一度言った。

 

 

「学ぶっていうのは与えられるもんじゃなくて、自分から取りに行くもんだと思うから

学ぶ事に関しては言葉は悪いかもしれないけど、今の状況は大チャンス」

 

こんな風に学びが必要だと思える状況って滅多にない

子供たちは知りたいわけだし」

 

 

MCは茶化す言葉で遮り

今後の共生について短くまとめ、番組を閉めた。

 

 

煽情的な冒頭で、「戦い続けよ」とナレーションしていた

この特番のタイトルは

 

  

"今こそニッポン変えませんか?"

 

 

MCの宮根さん、変えませんかの意味ってなに? 

冒頭で「バンバン過激に言ってください」「何でもアリなので」って言ってたけど

過激じゃない、本質的な事を考えよう的な話はダメなの?

 

 

言い添えておきたいが、どちらのMCも基本的には好感を持っており

骨身に染み込んだその立場から来るものだろうと思ってはいる。

 


つい先日も、先のMCの方のデジャヴなやり取りを見たけれど

ワイドショーってその域を出ないのか。 

 

って、だからオワコンになっちゃうんじゃない?

 

 


 

一方で萩生田文部化学大臣の意識が漏れ出ていると思った発言は

「様々な議論を場外でもやってくれてて、それは有難いんですけれども」

 

私は、“場外” の説明が欲しい 。


 


 


そして再度、爆問・太田氏の印象深かった話。

 

 

 

―この病気が厄介なのは、分断しちゃいけないって言ってる割に距離を取れとか

人とは話すなとか集まるなとか。分断する事が治療方なんですよ。

 

だから精神的なものと物理的なものがちぐはぐになっちゃってね。

受け止められないでいるからSNSでコミュニケーションをとる事になるけど、

もともとSNSって荒々しい言葉が出やすいところだから、よけい言葉が荒くなる。

 

もしかしたら、物理的な距離を離すっていう事は

いつも以上に言葉を親切にするとか人に親切にするとか

そういう事を意識してコミュニケーションしないと皆元気なくなっちゃう―





スタジオも、誰ひとり口を挟む事なく視線はそのままで

頷きながら聞き入っていた。

 

 

今こそ太田総理、またやってくれないかな。

石破さんとのやり取りも見たいよ。

 

 

 

 


モヤり言葉は様々だ。

  


「タッチタイピング」は、かつての言葉を使いがち。

社会のアンテナを張っていないと気付かないから悩ましい。

 

「アフリカ系」は、あまり使ってないよね。

吉井さんの THE YELLOW MONKEY は、名乗ってるんだから別の話。

 

「イスラム国」は国として認めてるように聞こえて、より喚起しかねないから

イスラミックステートと言おうって話にまとまりかけたり、ISと言ったりして

結局多くは「イスラム国」になってる。

 

そうとう定着してしまった「ご利用ですか?」 

日本特有でややこしい「スタイル」とか「ネット」とか。

“かぶる”系は微妙で、世の趨勢や相手との兼ね合いを量らなくちゃならない。

 

 

 

私は「黄人(そんな言葉はないが)」とか言われたらやだよ。

  

ウイルスが世界中に蔓延し始めた頃、

アジア系の人々への攻撃がいくつも報道されていたけど

そういう問題って延長線上に日常の言葉使いがあるはず。

 

 

 

一言が及ぼす影響を知っている人は、言葉を大切にする。

 

そう言えば、星野源さんの曲のタイトルにはHomeではなくInsideが使われていた。 


 




心理学では、不安定な時に物事を決めるのは望ましくないというが 

わかるけど、そうであってさえ何も変わらないような日本。

 

たった今も給付金申請で手間取る人はいるはずなのに

夫婦別姓なんて一体何十年うだうだと決まらないのか。

 

  

この状況下で浮き彫りになった諸問題も、多くは俎上から外れてしまいそうだ。

 

 

 

 

このブログの最初の方で

 

『選挙で勝つ → 「選ばれる」じゃだめなの? その視点だから色々ヘンなんじゃない?』

と何気なく書いたけど、これって真理なのかもしれない。

 

 

政治家を志した時は、本当に世の中を良くしたいと思っていても

既得権益や複雑化していく関係性がそれを変えていく。

 

 

そう言えば、清々しく終わった回の朝生は

老獪な印象の出演者がいなかった。

 

 

 

そうだ、すみません。前ブログを訂正してます。

 

>前者が政府・中高年

>後者が都道府県・若者

 

傾向と言っても乱暴がすぎました。

現状はひどく違っていくので、訂正線を引きました。




 

 

それにしても、だ。

今日はまた長い…

 


名前の呼び方は人それぞれかと思うが、いざ 文章にしようとした時

ごくたまに手が止まる。

 

上述した “爆問の太田”も “爆問・太田氏” も

色々打ち直したけどしっくりこない。

 

 

敬称を付けない事を不遜と思われる方がいらしたら申し訳ないけれど

国外の方に対しては敬称を付けない事が多い。

 

多くはその方が一般的で馴染みが良いという理由で

付けた時の違和感が勝ってしまうから。

 

 

 

羽生さんに関しては嵌る呼び方が見つからなくて

この先もずっとそうなんだと思う。

 

 



呼称とは対象との距離感をあらわすものだろう。

 


私はユーミンが言っていた 「汚してはいけない」 という感覚がいちばん近い気がしている。

だから、少なくとも一番しっくりくるのは、鍵かっこ付きの

 

「羽生結弦」

 

そこに控えめな「羽生さん」が寄り添っている。

 

 

希望の星は遥か彼方にあり、

「羽生結弦」と「羽生さん」は一体でそこにいるイメージ、とでも言っておこう。

 

 

 

 

 

大好きな紀行番組  “ 世界はほしいモノにあふれてる ” 

  

その中で、一瞬映り込んだ籐のトルソーに思った。

 

 

 

実物よりちいさめの羽生さんトルソー、作ってくれないかな。

籐素材で。

 

 

 

なぜ籐素材かというのは

抱きしめるのにいいんじゃないかって思ったから。

 

 

いやいや、不届きな事はしちゃいけませんよ。 笑

 

 

 

介護施設で人形を抱きながら電話をしたところ

精神的にとても安定したという話を聞いた事がある。

 

羽生さんは高齢の方々の生き甲斐になっているという話も

幾度となく聞いてきた。

 

 

 

彼自身が監修して、利益はしっかり受け取れるように。

  

 

伊藤さんも絡めて衣装も別に買えるの。

いいお値段になっちゃっても仕方ないかな。

 

もっと小さい廉価版もあったり。

小さくても各プログラム分揃えたら、壮観だろうなぁ。

 

練習着も欲しいなぁ。


 

 

 

でも籐だと着せるのが難しいね。

衣装も映えないしねぇ。

 

分けて考えないとだめかな。

    

 

 




上記 “せかほし”でMCを務める一人は

こちらも大好きなJUJU。

 

 

 

― 明日がくるなら 何もいらないよ

  

 

ただ君だけに

 

 

  笑っててほしいから いつでも ―

 

  

 

 数え切れないほど聞いているのに、 

  

いつだって涙が止まらない

彼女の代表曲。 

 

 

 

 

 

平昌の前年に描いて編集した

記念切手ならぬ、祈願切手。

 

  

消印の数字も、額面も

真剣に考え

 

祈りを込めて作った。

 

 



ルール変更は(文字通りになるまで絶対“改定”とは言わない)

実際のところを見て、こちら側で連盟をジャッジしたい。

 

 

その前にまずは、練習できる環境だ。

 

 

 

補足まで、この祈願切手の原画は

 セピアではなく、明るい色のカラーです。




    

最後に。

 

 

” COVID-19 ” と決まるまで、けっこう時間がかかったように思う。


調べてみて名称を決める難しさは理解できたが

今後、ややこしくなったりしないんだろうか。

 

 

次元が違うけれど、もはや呼び方がデニム的展開のようで

SARS や MERS と同種のウイルスなのに

次に新型が来たら間違いや混乱を招きそうだ。

 

 

単純に CORONA - 〇〇 と、末尾をナンバリングしていく方向に決めて

他の事に全力を注げたらと素人考えをしてしまうけど。

 


でもそうしたら今度はその数字の出席番号の生徒がいじめられたり。

というか、既にそんな事は当然のように起こってるんだろう…

 

結局は根本のところを解決しないとだめって事だ。